2014年01月30日

宇田智子著 『那覇の市場で古本屋』


副題は「ひょっこり始めた〈ウララ〉の日々」。

牧志公設市場の向かい側に、広さ三畳の「市場の古本屋ウララ」を構える著者が、開業に至るまでの道のりや日々の仕事、市場通りの出来事などを記した本。沖縄の出版社が作った「沖縄県産本」の話など、興味深い話が多い。この本の版元であるボーダーインクも沖縄の会社だ。

ジュンク堂池袋本店に勤務していた著者は、ジュンク堂沖縄店の開店に際して自ら異動を希望し、その後、書店を辞めて古本屋を開く。

何だかどこかで聞いたことがある話だなと思ったら、以前、朝日新聞の「ひと」欄に載っていたのであった。その時に印象に残ったので、覚えていたのである。

以前、フリーターをしながら全国を転々としていた頃、いつかは那覇にも住みたいと思っていた。実際に、岡山、金沢、函館、福島、大分と移り住んできて、次は那覇にしようと考えていたのである。結婚して京都に住むことになったので、それは実現しなかったのだが、今でもかすかな憧れのようなものが胸に残っている。

2013年7月22日、ボーダーインク、1600円。

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2014年01月29日

映画 「寫眞館」「陽なたのアオシグレ」

木屋町通にある元・立誠小学校の3階に特設シアターがある。
http://risseicinema.com/

人通りの多い繁華街からすぐの所にあるのに、建物の中はひっそりとして、黒ずんだ木の廊下や階段など、昭和の雰囲気が濃厚に漂っている。

短篇アニメの2本立て。

「寫眞館」は、監督・脚本・原画:なかむらたかし、17分。
明治、大正、昭和という時代とそこに生きた人の姿を、写真館を舞台に描いた作品。

「陽なたのアオシグレ」は、監督・脚本・作画:石田祐康、18分。
転校する少女を追いかけて、思いを伝える内気な男子小学生の話。

シアター横の教室では両作品の原画展も開かれていて、アニメの表現力の豊かさが印象に残った。

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2014年01月28日

井上ひさし・平田オリザ著 『話し言葉の日本語』


2003年に小学館より刊行された本の文庫化。

1996年から2001年まで、戯曲専門雑誌「せりふの時代」に掲載された二人の対談13篇が収められている。

「せりふ」「助詞・助動詞」「敬語」「方言」「対話」「流行語」など、毎回決められたテーマに沿って交わされる二人の話はとてもおもしろい。

初回の対談時の年齢は井上が62歳、平田が34歳。親子ほども年の離れた二人が率直に意見を出し合っている。異なる世代の二人が語り合うからこそ、それぞれに新しい発見があるのだろう。
平田 自分でも思いもよらなかったせりふが出てくるというか、まさに前のせりふに導き出される。そういうことがよくあると思いますね。
井上 言葉を組み合わせたり、つむぎ出したり、いろいろしながら、演劇というのは、結局は言葉で表現できないものを表現しようとします。
平田 寺山修司さんがかつて「演劇の半分は観客がつくる」という名言を残してくれましたが、これを九〇年代風に言い替えますと、「演劇のリアルの半分は観客の認知が支える」ということになると僕は思うわけです。
井上 戯曲を書こうと思ったときに、たとえば原爆をテーマにしようとか敗戦間際の大連を書こうとかといったテーマや思想や構想を最初にもって書き出すと、必ずと言っていいほど、失敗します。

演劇や戯曲、さらには日本語全般を考える上で、示唆に富む言葉がたくさん出てくる。

2014年1月1日発行、新潮文庫、590円。

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2014年01月27日

『galley ガレー』のつづき

就職を「した」と「しない」と「できない」でさびしきわれら薄く鎧へり
わたくしの白とあなたの水色をかさねて仕舞ふ給与明細
腹がすいたと体のどこが思ふのかぼんやりと手が考へてゐる
じつと手を見てゐる人がひとり、ふたり、さんにん、よにん昼の電車に
退職を決めし同僚と向き合へりかもなんばんに鼻を温めて
三十キロ離れて撮れば青鼠の海市のごとく建屋が並ぶ
ゆめの中で落としてしまつた顔のこときれいな凹凸だつたと思ふ
防護服の人が防護服の人に向き合ひてファスナーぎゆつと喉元へ詰む
八時間赤ボールペン使ひたる手を包む泡がももいろになる
祖父の内にありしシベリアも燃えてゆく鉄扉の向かう火の音たてて

2首目は共働きの夫婦ならではの歌。こういう歌は、これまでありそうでなかったように思う。最初は何のことかなと思って読んでいき、結句の「給与明細」まで来てようやくわかるという語順がいい。

4首目は啄木の「ぢつと手を見る」を想起させるが、実際はケータイやスマホを見ているのだろう。そこに時代の移り変わりが感じられる。

8首目は原発事故の歌。分厚い防護服を着ているので、自分ではうまく閉められないのかもしれない。そこに生々しさがある。

9首目は仕事を終えて手を洗っているところ。石鹸の泡ににじむ「ももいろ」が、仕事を終えた疲れや充実感をよく表している。

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2014年01月26日

1月26日

今日は永井陽子さんの命日。
2000年に亡くなってから、もう14年になる。
あまでうすあまでうすとぞ打ち鳴らす豊後(ぶんご)の秋のおほ瑠璃(るり)の鐘
                  『モーツァルトの電話帳』
生まれくる風やわらかい2Bの芽が出はじめるえんぴつ畑
「大航海時代」の語のみいきいきと前をゆく男ふたりの話

永井さんの歌の持つ透明な明るさや軽やかさを私は愛する。
一方で、その裏側にあった寂しさやかなしみについても、考えないではいられない。
もしある夜、どこかの街で私が死んでしまっても、そうとは知らずだれかが電話して、私の声とながれている音楽とを聞くだろう。そして、何か伝言を入れておいてくれるにちがいない。   『モーツァルトの電話帳』

留守番電話に吹き込まれた故人の声や音楽を聞くように、永井陽子の残した歌を読んでいる。本当に良い歌は、何年経っても良いままであり続けるだろう。

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2014年01月25日

澤村斉美歌集 『galley ガレー』

著者 : 澤村斉美
青磁社
発売日 : 2013-12-25

第2歌集。2007年春から2012年秋までの450首を収録。
まずは前半から。
初、春、夏、名、秋、九と覚えたり力士にめぐる六つの季節
赤紫蘇の葉の裏側へ透けながら秋の陽は手に取りてみがたし
サワムラは水の流れる村にして夜勤ののちをふかく冷えこむ
旅一つ終へて失せたるマフラーの濡れて踏まるるさまを思へり
夫をらぬ昼にもぐれる夫の布団の案外寒きその掛け布団
夫のなかに蓮のひらきてうすべにのやる気といふものつねにはかなし
にほんざるのやうに並んで過ごす冬消したテレビに顔の映れる
人の死を伝へる記事に朱を入れる仕事 くるくるペンを回して
君の敵のウチカワのことをなぜか思ふウチカワが勝てばいいと思へり
しらかばとしらかばの影が向かひ合ふ奥蓼科の冬晴れの水

新聞社の校正の仕事を詠んだ歌が歌集のベースとなっている。
また、夫を詠んだ歌も多く、現代的な夫婦のあり方が見えてきて面白い。

1首目は大相撲の「初場所」「春場所」「夏場所」・・・のこと。一年に六場所あることを「力士にめぐる六つの季節」と詠んだのが美しい。

5、6、7首目は夫を詠んだ歌。夫婦の間の距離感をうまく捉えて歌に詠んでいる。これまでの短歌に見られる夫婦像とは違う感じがあり、この歌集の特徴、収穫と言っていいだろう。

8首目、「人の死」と「くるくるペンを回して」の落差に、自分の仕事を客観的に見つめる眼差しが感じられる。

2013年11月11日、青磁社、2500円。

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2014年01月22日

郡上市古今伝授の里短歌大会のお知らせ

4月24日(木)に岐阜県郡上市で開催される 「郡上市古今伝授の里短歌大会」 に、
選者の一人として参加します。

現在、投稿 (題詠「伝」) を募集中です。
詳しくは、下記のチラシをご覧ください。

http://www.n-gaku.jp/life/competition/etc/docs/2014gujyou_tanka.pdf

投稿の締切は2月20日(消印有効)です。

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2014年01月21日

服部文祥著 『百年前の山を旅する』


食料を現地調達するサバイバル登山で知られる著者が、近代登山の紀行文や歴史的な文献に記された先人の足跡をたどった旅の記録。全7編を収録。

単に足跡をたどるだけではなく、できるだけ当時の装備で、現代的な装備を用いることなく旅するところに大きな特徴がある。著者があえて不便で困難な方法を取るのには理由がある。
登山とは、あるがままの大自然に自分から進入していき、そのままの環境に身をさらしたうえで、目標の山に登り、帰ってくることだ。自分の力ではできないことを、自らを高めることなしに、テクノロジーで解決してしまったらそれは体験ではない。

こうした考えには賛否あるだろうし、どこまではOKで、どこからがダメかという線引きも難しい。でも、著者のこうした姿勢は何とも魅力的だ。
穂高は昔と変わらない。しかし、今の穂高に昔の大きさはない気がした。われわれはいろいろなものを手に入れて、代わりにスケールを失ったのだ。そのわれわれが失ったスケールのなかに、ウェンストンも嘉門次も生きていた。
山頂はただ単純に登った者を肯定するのだ。それが自分なりの特殊な能力を出した結果ならば、なおさらである。

自らの身体を使って深められた思索には、確かな説得力がある。
こうした言葉の持つ力こそが、この人の一番の魅力なのかもしれない。

2014年1月1日発行、新潮文庫、630円。

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2014年01月20日

「現代短歌」2014年2月号

大島史洋さんの「河野裕子論」は2回目。
歌集『桜森』を取り上げているのだが、気になる箇所があった。
河野は、昭和五十二年の七月に高校時代からの親友であった河野里子が自死するという出来事に会う。

この「高校時代から」というのは間違いだと思う。
二人が出会ったのは京都女子大学でのことだ。
四十一年に京都女子大に入りました。先日ダンボールの中から、女子大の入学関係書類が出てきてびっくりしました。受験番号が一二四八七番。そして、河野里子さんに会ったんです。   「歌壇」2007年9月号
(京都女子大の)旧校舎のときは階段教室だったんですよ。下のほうに教授がいて。すり鉢の底で教授が講義をいたしますでしょう。窓の外にキイチゴの花が咲いたりして。その階段教室でとにかく一番はじめに見たときから、この人が好き、と思ったんです。     『シリーズ牧水賞の歌人たち 河野裕子』

こうした河野さん自身の発言からも、初めての出会いが大学に入ってからだったことは明らかだろう。

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2014年01月18日

書評など

『高安国世の手紙』の書評をお書きいただきました。

・大島史洋「異文化圏の人」(「塔」1月号)
・水沢遙子(「歌壇」2月号)

ありがとうございます。

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2014年01月17日

『王仁三郎歌集』のつづき

出口王仁三郎は、とにかく桁外れである。結社にいると、毎月10首の詠草を出すのが大変といった話をよく耳にするが、王仁三郎は一日に二百から三百首、一か月に数千首という数の歌を詠んでいたらしい。
歌人としての出口王仁三郎は、昭和五(一九三〇)年に前田夕暮の結社「詩歌」に入会したのを皮切りに、百以上の結社に次々と入会する。

と笹公人さんが解説に書いているのを読んでも、その桁外れのスケールに驚くほかはない。しかも、中には女性のみの雑誌に女の名前を使って入ったりもしているのである。

王仁三郎の第4歌集『霞の奥』の目次を見ると、まず「昭和六年六月」という章立てがあって、「詩歌 沈默」「つき草 春寒し」「短歌月刊 春の歌」「心の花 天城嶺」「創作 天橋」「都市と藝術 外濠」「水甕 鶴山林」「蒼穹 湯ケ嶋にて」「吾妹 夕月」「香蘭 温泉の村」「アララギ 如月」「潮音 東上」……と、実に50以上の結社誌の名前がならぶ。これはすべて、ひと月に王仁三郎が結社に発表した作品である。しかも、次は「七月」とあって、また同じように続いていくのだ。

今では、というか、当時でも考えられない常識破りの行いであり、作歌量であろう。
そんな王仁三郎は、当時の歌人たちをどのように見ていたのだろうか。
小賢しく主義や主張とあげつらふ歌人の尻の小さきに呆るる
病雁(びやうがん)の一つの歌に数ケ月の喧嘩続くる小さき歌人よ
くやみごと上手に並べ肺病を歌によむ人を歌人といふなり
全国の歌人がわれをにくむとも鎧袖一触(がいしういつしよく)の感だにもなし

2首目は昭和4年から5年にかけて、斎藤茂吉と太田水穂との間で行われた「病雁」論争のことを言っている。王仁三郎という桁外れの人物から見れば、どんな歌人も「尻の小さき」存在でしかなかったであろう。

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2014年01月16日

笹公人編『王仁三郎歌集』

玄界灘のあなたに青々と浮ぶ壱岐の島! 新しい塗料のやうに
久方の天の橋立に風あれてかもめのむれは片寄りにけり
憑依現象だ幽霊研究だとさわぐ学者のやせこけたあをじろい顔
日に幾度鏡のぞけどわが白髪朝もゆふべも白髪なりけり
をさな日のうつしゑのなきわれにして淋しみにつつ自伝記を書く
大いなる牛を曳きつつ牧童が夕べの川に足浸しをり
いかづちの音にもまがふ大瀧の真下に立てば夏なほ寒き
包丁をぐさりとさせばほんのりと匂ふメロンの朝の楽しさ
やまめと思つて食つた膳の魚が鰆(さわら)と聞いて俄かに味が変(かは)る
宗教家の自分をみて人間味たつぷりと評する人がある宗教の真味を知らないのだらう

大本(教)の教祖である出口王仁三郎は、生涯に15万首もの歌を残したことでも知られている。その膨大な歌から328首を選んで収めた本。

1首目は「新しい塗料」という比喩が印象的。
2首目、6首目は写実的な歌で、絵になるような風景を的確に描いている。
4首目は当り前の話ではあるのだが、加齢や老いに対する寂しさが滲んでいる。
9首目は人間の味覚の不思議を感じさせる歌。私たちは料理そのものだけではなく、それに関する情報も含めて味わっているのだろう。昨今の食材の「偽装」問題にも通じる話かもしれない。

王仁三郎については、以前「D・arts ダーツ」第6号(2004年12月)の特集「越境する短歌」の中で、「出口王仁三郎『東北日記』を読む」という文章を書いたことがある。

『東北日記』(全8巻)は北陸・東北・北海道・樺太への巡教の記録であるが、ここにも膨大な数の短歌が収められている。「樺太を訪れた歌人たち」でも、近々取り上げるつもり。

2013年12月28日発行、太陽出版、1800円。

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2014年01月14日

岡崎琢磨著 『珈琲店タレーランの事件簿』



京都の喫茶店を舞台にしたミステリ短編集。
設定や内容は『ビブリア古書堂の事件手帖』にかなり似ている。

日常の謎をめぐる話だが、ミステリとしては今ひとつ。いくつか面白かったものもあるが、トリックがわかってしまうものや謎解きが不発なものもある。

それでも「京都が舞台」「日常の謎を解くミステリ」「登場人物の恋の行方」「コーヒーに関する蘊蓄」の合わせ技といった感じで、息抜きとしては十分に楽しかった。3巻目も出たら買ってしまいそう。

2012年8月18日、宝島社文庫、680円。
2013年5月9日、宝島社文庫、680円。

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2014年01月13日

山口誓子句集『凍港』のつづき

『凍港』という題名は
凍港や舊露の街はありとのみ

から採られている。

この句の舞台は、樺太南部の港町、大泊(コルサコフ)である。明治34年に京都で生まれた誓子は、明治45年に樺太日日新聞社の社長であった祖父の住む樺太へと渡った。そして、大正6年に大泊中学から京都府立一中に転校するまでの約5年間を樺太で暮らしている。

句集『凍港』には、こうした樺太時代の思い出を詠んだ句がいくつもある。
犬橇(のそ)かへる雪解の道の夕凝りに
船客に四顧の氷原街見えず
氷海やはるか一聯迎ひ橇
唐太の天ぞ垂れたり鰊群來
橇行や氷下魚の穴に海溢る

1句目の「犬橇(のそ)」は樺太犬が曳く橇のこと。
4句目の「唐太」は樺太、5句目の「氷下魚」は「こまい」と言って、タラ科の魚。冬期に氷に穴を空けて釣るのである。

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2014年01月12日

山口誓子句集 『凍港』

氷海や月のあかりの荷役橇
探梅や遠き昔の汽車にのり
轍あと深くかげりぬ誘蛾燈
白樺の皮葺きたれや避暑の宿
初瀬の驛獅子舞汽車を待てるかも
くらがりに七賢人の屏風かな
扇風器大き翼をやすめたり
眼にのこる神樂の面のことをいふ
蟷螂の鋏ゆるめず蜂を食む
スケートの君横顔をして憇ふ

山口誓子の第1句集。虚子が序文を寄せている。
どの句からも場面がくっきりと目に浮かんできて、印象が鮮やかだ。

今回読んだのは、名著復刻「詩歌文学館」シリーズの1冊。
昭和7年に素人社書屋から刊行された本の復刻版であり、当時の雰囲気を味わえるのが良い。

1980年12月20日、日本近代文学館
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2014年01月11日

久野はすみ歌集 『シネマ・ルナティック』

窓際は特等席ゆえLPにかすかにまじる木枯らしの音
ひいらぎさん柊さんという人を思い出したり春のはじめに
岬まで白い風車が建ち並びならずものにはなれないふたり
いくつもの沢があなたの腕にあり夏の終わりの瀬音ひびかす
どのドアも朽ちてしまってアンティークショップに並ぶ真鍮の鍵
「つるばらの香る季節となりました」薄きはがきが閉店を告ぐ
舌先は口内炎にふれながらあざみ野行きのバスに揺られる
海沿いのちいさな町のミシン屋のシンガーミシンに砂ふりつもる
ひだまりの祖母は揺り椅子ゆらしつつどこへも行かずどこへでも行く
貝印カミソリいつもしまわれて鏡台は母のしずかな浜辺

2001年から2012年までの作品253首を収めた第一歌集。

日常とは少し違った物語的な歌が多く、「シネマ・ルナティック」「喫茶きまぐれ」「黒猫レストラン」など、お店を舞台にした連作が印象に残る。

2首目は「柊」という名字なのだろう。一度目は平仮名、二度目は漢字にすることで、「柊」という字の中に「冬」があることを気づかせてくれる。

6首目は、時候の挨拶に「つるばら」を持ってくるところに、お店の雰囲気や店主の人柄が滲んでいる。「薄き」がよく効いていて、閉店を惜しむ気持ちが伝わる。

9首目の祖母は一日中うとうとしているのだろう。もうどこへも行けない身体ではあるけれど、記憶や思い出や夢の中で、どこでも好きなところへ出掛けているのだ。

2013年11月10日発行、砂子屋書房、2400円。

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2014年01月10日

原口隆行著 『鉄路の美学』


副題は「名作が描く鉄道のある風景」。

1981年から86年にかけて季刊誌「旅と鉄道」に連載された記事をまとめた本。以前読んだ『文学の中の駅』の姉妹編にあたる。

文学作品の中に登場する鉄道について、当時の時代背景や現在の状況などを調べつつ、細かく読み取っていくという内容。取り上げられている作品は、井伏鱒二『集金旅行』、若山牧水『旅とふるさと』、国木田独歩『空知川の岸辺』など13編。雑誌連載時から単行本出版時までに起きた変化についても、各編の最後に補足されている。

「鉄道の誕生と発達は旅のあり方を根本から変革してしまった」「近代文学と鉄道の出会いは、一つの大きなエポックであった」といった部分に、作者のモチーフがよく表れている。

2006年9月15日発行、国書刊行会、2000円。

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2014年01月09日

お知らせ

1月8日付でKDDIから、私の利用しているブログ『LOVELOG』の
「サービス提供の終了について」のお知らせが届いた。

新規記事の投稿は3月末まで、閲覧は6月末までとのこと。
ブログというメディアも、そろそろ(もうとっくに?)潮時ということなのだろう。

2010年5月18日に書き始めて、投稿件数は先日1000件を超えたところ。
まあ、随分と長く書いてきたものだ。

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2014年01月08日

旧石巻ハリストス正教会教会堂

1985年に、司馬遼太郎は「街道をゆく 仙台・石巻」の旅で、旧石巻ハリストス正教会教会堂を訪れている、1880年に建てられた木造の教会で、1980年に旧北上川の中州に移築されたものである。
 そこに美しい建物が保存されていた。
 西洋の教会とも、日本の城の櫓ともつかぬふしぎな折衷建造物だった。正面(ファサード)は八角形のうちの五つの面でかこまれた二階建造物で、玄関を構造する柱が四本ある。どの柱も、日本の寺院の柱のように、礎石というはきものをはいている。外壁は、白亜である。

この建物は、2011年の東日本大震災の津波によって大きな被害を受けた。流失や倒壊は免れたものの、二階まで冠水し、壁や窓などが大きく破損した。
倒れたる案内板の泥はらひハリストス正教会の由来をよめり
                 小林幸子『水上の往還』
教会は覆はれゐたり 八角形の屋根の上なる十字架さむく

現在、「旧石巻ハリストス正教会 復元市民の会」「旧ハリストス正教会堂応急保存プロジェクト」などにより、解体・復元に向けた資金集めなどが行われている。

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2014年01月07日

小林幸子歌集 『水上の往還』

雨戸すこし開けてねむればその幅に月が収まる夜の深きとき
これだあれ、写真ゆびさすをみなごは死者になりたるひとらを知らず
たましひを抜かれて阿修羅はそののちに筑紫の国へたちゆくといふ
白き繭と黄緑の繭並びゐる 糸つむぎ場の窓べの棚に
ふかぶかと傘さすひとと八月の影かたむけてすれちがひたり
眉毛だけ描いておほきなマスクかけ余震のつづく街へいでゆく
漁をせぬ船ながめつつ小名浜の市場食堂にメヒカリを食ぶ
はつあきのひかりふる日は星鰈など頭(づ)にのせて海辺ゆきたし
おほき波ちひさき波のあひだからきこえてゐたりこどものこゑは
ゆく道にかへりの道にさへづりて身にうぐひすを匿ふごとし

2008年から2012年までの作品526首を収めた第7歌集。

「歌という詩型が、死者とひとつづきの地平から生まれたことをいくたびも思う」(あとがき)とあるように、死者を詠んだ歌が多いのがこの歌集の一番の特徴だろう。上野久雄、河野裕子への挽歌をはじめ、葛原妙子、前登志夫、息子を詠んだ歌がある。さらには、ナチスによって壊滅させられたチェコのリディチェ村の人々、東日本大震災で亡くなった人々を詠んだ連作は、歌集の中核と言っていい。
松戸よりはるばると来し梨原樹は湯梨浜町に母樹となりたり

「鳥取行」の一首。作者の住む千葉県松戸市二十世紀が丘は、二十世紀梨の発祥の地である。この梨の木が1904年に鳥取県にもたらされ、今では県の特産品となっている。

2013年11月22日、砂子屋書房、3000円。

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2014年01月06日

司馬遼太郎著 『街道をゆく26 嵯峨散歩、仙台・石巻』(新装版)


久しぶりに「街道をゆく」を読む。

全体としては歴史紀行なのだが、その中に個人的な思い出や現地でのやり取り、文化や言語をめぐる思索などが挟み込まれて、話は何度も本筋から逸れたり元に戻ったりする。こうした文章の書き方は、短歌で言えば近年の岡井さんの書き方に近い。もっとすっきりも書けるのだが、そうしないところに味わいがある。
文化というのは元来不合理なもの・便利でないもの・均等的でないものをいう。不合理であればこそ、人間のくらしを包んでくれて、ときには生きるはげみになるということを思わねばならない。

夏目漱石や吉田松陰の文章に関する話も興味深い。
 文章語というものは、結局は社会が“共有化”するものである。それまでは、学者、小説家、評論家、新聞記者、国定教科書の筆者などが、めいめい手作りをした。
 そのあげく、私は漱石において第一期の成熟をみたと思っている。
 松陰における言語とは、そういうものだったのである。ことわっておかねばならないが、この時代までの話し言葉としての日本語は、古代ギリシアの哲学者や政治家からみれば、滑稽なほど未開だった。
 口頭から発する言語で、思想を語ることもできなければ、簡単な報告すらむりだった。

2009年2月28日、朝日文庫、660円。

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2014年01月05日

「開放区」第98号

野一色容子さんの連載「ナンジャモンジャの木―清原日出夫評伝拾遺―」は4回目。
前回に続いて、高校3年生の清原が地元の北海道新聞「根室歌壇」に投稿した作品58首について取り上げている。

「清原清人」「山川四郎」のペンネームで投稿されたこれらの歌のことは、多分これまでどこにも書かれていない。清原日出夫について考える上で貴重な資料である。

現代歌人文庫『清原日出夫歌集』の中で、清原は
次に〈短歌〉と付き合うようになったのは、高校生になってからである。ここでの付き合いを経て、本当の意味で現代短歌に出会ったのは、(…)高安国世の〈砂の上の卓〉によってである。昭和三十三年のことだ。

と記している。
この高校生時代の短歌との「付き合い」というのが、新聞歌壇への投稿を指しているのだろう。

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2014年01月02日

「レ・パピエ・シアン2」2013年12月号

紹介が遅れて年を越してしまった。

大辻隆弘さんの連載「戦後アララギを読む」は58回目。
「高安国世から見た近藤芳美」という講演録の1回目が掲載されている。

この講演は、12月1日の現代歌人集会秋季大会で、理事長の大辻さんが行ったものである。12月1日に行った講演の内容が12月15日発行の誌面にもう載っているわけだ。何よりもそのスピードに驚く。

高安と近藤という昨年ともに生誕100年を迎えた二人の歌人の関わりが非常によくわかる講演なので、どうぞ皆さんお読みください。

posted by 松村正直 at 22:52| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2014年01月01日

初詣

自宅から歩いて10分のところにある藤森神社へ。
ここは、毎年5月5日に駈馬神事が行われるなど、馬と勝運の神様として知られている。

境内に立っている神馬像。

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今年は午年のためだろう、例年の数倍の人出で賑わっていた。
拝殿には大きな「馬」の字が書かれた絵馬が奉納されている。

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こちらは「左馬」

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良いことの多い一年でありますように。

posted by 松村正直 at 23:45| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする