2013年12月31日

大晦日

今年も残り2時間あまり。

年初の目標は『高安国世の手紙』を刊行することだったが、それは無事に達成できた。
時間をかけて調べて書いたものが一冊にまとまって率直に嬉しい。

その一方で、第3歌集はまたも刊行できず。
一年間に2冊の本を出すというのは、やはり金銭的に無理がある。
来年こそは何とかしたい。

大きな出来事としては、秋に妻の入院と手術があった。
久しぶりにいろいろなことを考えさせられる日々が続いた。
とにかく、明るく前向きに考えるしかない。

そして、ブログをお読み下さった皆さん、一年間ありがとうございました。

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2013年12月30日

バルザック像(その2)

リルケ『ロダン』(岩波文庫、1941年、高安国世訳)から、バルザック像について書かれた部分を引いてみよう。
また、かのバルザックの像もさうである。ロダンは此の像に、恐らく此の文學者の實際の姿を凌駕する偉大さを與へた。彼はバルザックをその本質の底に於て捉へたのだ、が彼は此の本質の限界のところで止まることをしなかつた。

この岩波文庫版『ロダン』は、1960年に改版になっている。
訳文は次のようになった。
また、あのバルザックの像もそうである。ロダンはこの像に、おそらくこの文学者の実際の姿をしのぐ偉大さを与えた。彼はバルザックをその本質の根本から捉えたのだ、が彼はこの本質の限界のところでとどまることをしなかった。

また、この改版では図版も変更されている。

 IMG_3588.JPG

上半身だけであった写真が全身をうつした写真になっている。
同じ像の写真であるが、だいぶ印象は違うように思う。

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2013年12月29日

池本一郎歌集 『萱鳴り』

鋤かれたる田に白鷺が六羽立つそれぞれあらぬかたを向きつつ
戸袋という袋だけ残りおり朝あさ入れて夜ごとに出しき
茄子畑に水はこびゆく漣が腕より足に伝わりながら
六月の足守川に水は盈(み)つ水にて陥ちしこの城とひと
口あけて雪を待ちいし日のありきみな逸れてゆく記憶のみある
急停車すれば枯れ葉がゆっくりと降りしずむなりわが前に出て
ひんろろうだいせんやまのとびのすけひんろろう 伯耆のお話おわり
爪きれば爪を運びてゆく蟻よ働きものの季なり五月
50年ぶり、コンパスを手に赤をひく島根原発から100キロの円
くすの根に自転車はみな同じ向き二番手の子がかんじんなのだ

第6歌集。2008年春から2013年初夏までの467首を収める。
過疎化の進む鳥取での暮らし、田や畑における農作業の歌、動植物に対する親しみ、口語を使ったユーモアの歌などに特徴がある。

1首目は「あらぬかた」という語の選びが良い。「あちらこちら」ではダメなのだ。
4首目は、秀吉による備中高松城の水攻めを詠んだ歌。
7首目は、昔話などの終わりの一節だろうか。「お話おわり」で歌も終っているのがいい。
10首目は発見の歌。なるほど、二番目が同じ向きに止めたから、三番目以下も続いたのだ。大事なのは一番手ではなく二番手という面白さ。
哺乳類河野裕子とかつてわれ詠みしがその乳(ち)に奪われたまう

2010年に乳癌により亡くなった河野裕子を詠んだ歌。
上句は次の一首を踏まえている。
水族館出でし広場に哺乳類河野裕子が腰かけており
            『藁の章』(1996)

2013年10月25日、砂子屋書房、3000円。

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2013年12月28日

バルザック像(その1)

宮柊二の『小紺珠』(昭和23年)に、次のような歌がある。
ロダン作バルザック像の写真みてこころに満つる寂しさは何

宮柊二は、どこでこの写真を見たのだろうか。

ロダン作のバルザック像は、フランス文芸家協会の依頼により作られたもので、1898年の完成までに7年の歳月がかかった大作である。けれども、完成当時は「失敗作」と酷評され、協会からも引き取りを拒否されたというエピソードが残っている。

『小紺珠』のは他にも
告白と藝術と所詮ちがふこと苦しみてロダンは「面(めん)」を発見せり

というロダンを詠んだ歌があり、また
試験管を持ち歩むときライナア・マリア・リルケを憶ふは何ゆゑ
疲れたるわれに囁(ささや)く言葉にはリルケ詠へり「影も夥しくひそむ鞭」

といったリルケの歌もある。
こうしたことを踏まえて考えると、宮柊二の見た「ロダン作バルザック像の写真」というのは、リルケ著『ロダン』に挟まれている図版のことと考えて良いだろう。

この時期に出ていた翻訳は、弘文堂書房世界文庫の石中象治訳(1940年)と岩波文庫の高安国世訳(1941年)の二つ。

 IMG_3585.JPG

これは岩波文庫の『ロダン』の図版である。
おそらく、宮柊二の見た写真はこれだったのだろう。

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2013年12月27日

本郷義浩さん

『高安国世の手紙』の中で、1960年代を中心に「塔」で活躍した本郷義武とその遺児である義浩氏ついて書いたことがある。
本郷義浩氏は、現在(二〇一一年)、大阪の毎日放送で「水野真紀の魔法のレストラン」などのテレビ番組のプロデューサーを務めるほか、「あまから手帖」にコラム「Pの細道」を連載するなど、多忙な日々を送っている。

その本郷さんが、先日、本を出したのでご紹介。


高安国世の『新樹』(1976年)には「本郷義武を悼む」という一連がある。
体弱き妹にかまくる父なれば甘ゆる義浩君を見ざりき
こらえいる小さき拳を見たるのみかく早くその父をうしなう

こんな歌を知っているだけに、現在の活躍ぶりを嬉しく思う。

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2013年12月24日

2014年1月号

短歌誌の1月号に、下記の文章などが掲載されています。
皆さん、どうぞお読みください。

・「短歌往来」1月号
   連載「樺太を訪れた歌人たち」13 石榑千亦と帝国水難救済会(1)

・「歌壇」1月号
   特集「師系を辿る」 超克の論理

・「現代短歌」1月号
   特集「回顧と展望・2013〜2014」 近代、戦後、そして現代―評論

・「NHK短歌」1月号
   現代詞華集「遊園地」

・「短歌」1月号
   歌壇時評「近代の巨人」

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2013年12月22日

短歌往来」2014年1月号

今月から新しい連載が2つ始まった。
一つは島内景二「短歌の近代」。
古代文学と現代短歌の両極から光を当てることで、近代短歌の志と限界をあぶりだす。
現代短歌が、真の開花と結実の季節に向かうためには、近代短歌が乗り越えたと思い込んでいる「和歌文化」の長所と短所を、今一度、再確認しておく必要があると思う。

このあたり、私がちょうど興味を持っているところでもあるので、今後の連載が楽しみである。

もう一つは及川隆彦「編集者の短歌史」。
ながらみ書房の社長であり、「心の花」の歌人でもある及川さんが、自らの40年近い編集者人生を記す内容。これは貴重な記録になりそうだ。

私の連載「樺太を訪れた歌人たち」も2年目に入った。
今回は「石榑千亦と帝国水難救済会(1)」。
地味な連載ですが、どうぞお読みください。

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2013年12月21日

ご散歩

中島敦が次男の格(のぼる)に宛てた葉書(1940年7月5日付)は、全部カタカナで書かれている。
ノチャクン
マイニチ
ナニシテル?
アヒカハラズ
カサ ヲ モツテ
ゴサンポカイ?

ここで気になったのは「ゴサンポ」という言葉。
今なら「ご散歩」とは言わず、「お散歩」というところだろう。

「お」と「ご」の使い分けについては、「お+和語」「ご+漢語」が基本という話を聞いたことがある。「お願い」「ご依頼」、「お知らせ」「ご案内」といったように。

それならば、本来は「ご散歩」の方が一般的であり、それが次第に「お散歩」へと変わってきたのかもしれない。

調べてみると、「ご散歩」という用例はいくつか見つかる。
宮沢賢治「真空溶媒」(1922年)
 (どちらへ ごさんぽですか
  なるほど ふんふん ときにさくじつ
  ゾンネンタールが没〔な〕くなつたさうですが
  おききでしたか)
坂口安吾「お魚女史」(1948年)
「先生、どちらへ、ゴ散歩ウ? 私も一しょに行きますわよウ。おイヤ? あらア、そんなことないでしょう。アラマ、エヘヘ、言ッチャッタワヨ、アハハ、バカネ、チェッ!」

中島敦の葉書も含めて、いずれも相手に問い掛けている場面で使われている。
そのあたりも何か関係があるのだろうか。

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川村湊編 『中島敦 父から子への南洋だより』


1941年から42年にかけて、中島敦は南洋庁の国語教科書編修書記としてパラオに渡り、ポナペ島、トラック島、サイパン島など、当時日本の植民地であった南洋群島を視察してまわった。その中島が8歳の長男桓(たけし)と1歳の次男格(のぼる)に宛てた書簡81点を、全点写真入りで収録した本である。

南洋の風景や果物などを写した絵葉書に書かれた手紙が多いのだが、表面、裏面ともに写真で紹介し、さらに自筆部分はすべて活字にもしているという念の入れようだ。実物をそのまま見ている気分を味わうことができる。
東京(とうきよう)は もう
秋(あき)だね。かき や
くり が たべられて
いいね。南洋には
秋も 春(はる)もなくて
年中(ぢう) バナナと
パパイヤばかり。
早く桓と格
のところにかへりたいな。
(1941年9月30日)

こんな葉書を、多い日には一日に何通も書いている。
遠く離れた子どもに対する思いが伝わってきて、じーんとなる。
中島が帰国して一年も経たずに亡くなったことを知っているだけに、一層そうした思いを強く感じるのかもしれない。

もちろん、時代の影響は南洋にも及んでいる。
桓!
日本の海軍は強いねえ。
海軍の飛行機(ひかうき)は
すごい ねえ。
おとうちやんは 今 パラオに
かへる と中(ちう)です。
   テニアンで、
(1941年12月11日)

太平洋戦争開戦のニュースを受けて書かれた葉書である。
この葉書の書かれた「テニアン」から、後に多くの飛行機が日本の本土空襲のために飛び立ち、原爆を積んだB29も飛び立ったことを思うと、何とも複雑な気持ちになる。

2002年11月10日、集英社、3000円。

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2013年12月19日

『エフライムの岸』のつづき

この歌集は2006年から2010年までに発表した作品552首を収めている。

後半から10首。
ここはかつて水路を渡る小橋なりきクランク状の路地をぬけたり
箸づかひうつくしからぬむすめなりうつくしき手に見とれるにあらず
西瓜ふたつ提げて合宿に行きたるは卒業ののちの夏一度のみ
  阿武隈
地図帖に山脈、山地、高地とも名をかへていまだたひらかにあらず
自重せよと言ひて言ふのみにありたるは見殺しにせしことと変はらず
迷ひつつ書きけむ文のおのづから長くはじめと違ふこと書く
ひやくねんは水を入れたることのなき青磁の壺を乾布でぬぐふ
冬の旅はむしろ着がへの少なくて小さな書類かばんで足りる
菜の花の黄ははつかなりあざやかな緑にかかるからし味噌ひと匙
ふたわかれしてゆく水の一方は砂礫のなかに消えてゆきたり

1首目の「水路」は今では埋め立てられたか、暗渠となっているのだろう。道の形から過去の風景が甦ってくる。過去と現在の時間が重なり合う面白さ。

2首目は娘を詠んだ歌。娘、息子、妻といった家族が、この歌集でも良い味を出している。距離の取り方や描き方に工夫があるのだろう。

5首目は思索詠。「のみ」という限定や「変はらず」という打消しが多いのも、真中さんの歌の特徴である。今回引いた中にも、2首目に「うつうくしからぬ」「あらず」、3首目に「のみ」、4首目に「あらず」といった言葉が使われている。

8首目は、佳品とでも呼びたい一首。難しい言葉は何もないが、「むしろ」「足りる」といった語の選びがよく、31文字で「できあがり!」という感じ。

10首目は自然詠なのだが、こういう歌が象徴的、比喩的なニュアンスを帯びるところに、短歌の面白さがあるのだと思う。

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2013年12月18日

せんじ

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先日、鹿児島へ行った時に「せんじ」という調味料を手に入れた。
本かつおの旨みをエキス状に濃縮した天然由来の調味料です。鹿児島地方では古来より「せんじ」として親しまれております。

と、ラベルに記されている。水飴状のどろっとした黒っぽいものなのだが、「お料理にスプーン一杯入れると一層おいしさが増します」とあり、わが家でもそのように使っている。

『かつお節と日本人』を読むと、この「せんじ」の正体がわかる。かつお節を作るには、まず原料のカツオを三枚に下ろし、籠に並べて「煮熟」という工程を経る。カツオを摂氏80度のお湯で約60分煮るのだが、この時の煮汁も捨ててしまうのではない。
管理された煮汁は、エキス工場へ行き、かつお節の濃縮エキスとなる。

と書かれている。つまり、これが「せんじ」になるわけだ。
かつお節作りの副産物ということになる。

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2013年12月17日

真中朋久歌集 『エフライムの岸』


真中朋久さんの第4歌集。

最近は続々と歌集が出版されるので、「あの人の新しい歌集が読みたい」と思うことが少なくなった。そんな中にあって、真中さんの歌集は私が待ち望んだ歌集の一つである。

まずは前半から10首。
すこし前に過ぎたる船の波がとどき大きくひとつ浮橋をゆらす
年わかき女ともだちの結婚を妻は真顔でさびしいかと言ふ
そのかみの蘇鉄地獄を語りやればどうやつて食ふのかと子は問ふ
踏み絵なら踏んだらよいと思ひゐしは踏み絵を前にするまでのこと
空調機のかげのくらがりに走り入りてふりかへる猫のふたつまなこは
背のたかきビルに二方をふさがれて小さき鰻屋が角で商ふ
わたしではなくてお腹(なか)をかばつたといまも言ふあれは冬のあけがた
をばちやんビールもらふよと言ひ正の字のいつぽんをまた書き加へたり
サクソフォンが「春の小川」を吹きながらビルの谷間をひかりつつゆく
壕のなかに絶えしをとめらを語りつついつよりか酔ふごときそのこゑ

1首目、「波がとどき」を「波とどき」、「浮橋をゆらす」を「浮橋ゆらす」とすれば定型に収まるのだが、そうすると調べが軽くなってしまい、このゆったりとした波の感じは出ない。

3首目の「蘇鉄地獄」は沖縄の歴史を語るときに必ず出てくる言葉。食べ物がなくて野生の蘇鉄を食べたという悲惨な話である。それに対して「どうやつて食ふのか」という反応が、何とも子どもらしい。伝えたいことが伝わるとは限らない。

4首目は思索詠とでも言ったら良いのだろうか。こういうタイプの歌が、真中さんの一番の特徴と言っていいかもしれない。苦みと重みのある思索の歌が、他にもたくさんある。

7首目は阪神淡路大震災、10首目は沖縄戦の語り部の人たちのことを詠んだ歌。

9首目は、「春の小川」を演奏するサクソフォンが光を反射しているのだが、まるで本物の川がきらきらと谷間を流れていくようなイメージが湧いてきて面白い。

2013年7月7日発行、青磁社、2700円。

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2013年12月16日

角川文庫『近藤芳美歌集』解説

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角川文庫の『近藤芳美歌集』の解説は高安国世が書いている。これは高安と近藤の関わりを考える上で外せない内容で、私も『高安国世の手紙』の中で何度か引用している。

先日、現代歌人集会の講演において、大島史洋さんがこの解説に触れ、初版と改版で大きく内容が違うことを述べられた。私は改版の方しか読んでいなかったので、慌てて初版を買い求めてみた。確かに大きく内容が違う。

初版は昭和31年発行で、『早春歌』から『冬の銀河』までの5歌集を収録。
改版は昭和46年発行で、『早春歌』から『黒豹』までの8歌集を収録。

解説に関して言えば、初版は7ページで、解説らしい客観的な近藤芳美論といった内容である。これに対して改版は12ページで、そのうち7ページ半は雑誌に書いた高安自身の文章の再録という形になっている。

改版には高安の自分語りが多く、歌集の解説としては異色とも言える内容だ。
それは一人称の使われている回数の多いことからもわかるだろう。

・「私」 10回
・「私たち」 5回
・「ぼく」 29回
・「ぼくたち」 3回
・「ぼくら」 2回
・「我々」 1回

ちなみに初版の方は「僕」が1回、「僕たち」が1回、「我々」が1回出てくるだけである。

初版と改版のこの違いから、はたして何が読み取れるのか。
面白い問題を含んでいるように思う。

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2013年12月15日

宮内泰介・藤林泰著 『かつお節と日本人』


江戸時代に本格的に生産の始まったかつお節が、どこでどのように作られ、人々がそれにどのように関わって来たのかを記した本。かつお節を通して、日本の近代から現代にかけての歴史や、人々の暮らし、経済問題、環境問題までを多面的に描き出している。

焼津(静岡県)、枕崎・山川(鹿児島県)、池間島(沖縄県)、台湾、ポナペ島・トラック諸島(ミクロネシア連邦)、シアミル島(マレーシア)、ビトゥン(インドネシア)など、太平洋を跨いだ各地が登場し、人々のネットワークの広がりを実感することができる。

戦前、沖縄からポナペに渡った人の話の中に
当時は、池間からみたらポナペに行くのも東京に行くのもあまり差がないという感じだった。

とあるのが印象的。当時のポナペは日本が統治する南洋諸島の一つであった。国境という線を外してみると、人々の距離感は全く違ってくるのだろう。

かつお節の生産量が増え続けていることも、本書で初めて知った。1960年が6348トン、1980年は2万2162トン、2010年には3万2759トンになっている。これは調味料やめんつゆなどに使われる量が増えているからであるが、今でもかつお節が日本人にとって大事な食品であることをよく示す数字である。

2013年10月18日、岩波新書、760円。

posted by 松村正直 at 17:39| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年12月13日

『そらち炭鉱遺産散歩』のつづき

本書を読んで興味を持ったのが、北海道の炭鉱と樺太との関わりである。石炭は樺太でも主要産業の一つであり、両者には深い関係があった。例えば
三菱芦別炭鉱は1914年、(…)芦別初の炭鉱として開鉱した。33年に樺太の塔路(シャフチョルスク)などでの炭鉱開発に力を注ぐため一時休止された。戦後、樺太からの引き揚げ者の受け皿として再開され(…)

といった記述がある。また、三井芦別ヤマの会会長の飯田盛雄さんのインタビューには
一九二五(大正十四年)に樺太で生まれ、十六歳で現地の王子製紙系の炭鉱に入りました。四五年の三月に召集され、五カ月後の終戦で南樺太に抑留されました。翌年十二月に引き揚げ、四七年六月、三井芦別鉱に入ったんです。

という話が出てくる。

戦後、樺太から引き揚げてきた人は約40万人。北海道に移り住んだ人もかなりの数にのぼったことだろう。

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2013年12月12日

北海道新聞空知「炭鉱」取材班編著 『そらち炭鉱遺産さんぽ』

写真:風間健介。

北海道の空知地方(三笠市、美唄市、夕張市、赤平市、芦別市など)に残る炭鉱関連の遺跡を、写真や証言とともに紹介した本。2001年に北海道新聞空知版に100回にわたって連載された「炭鉱遺産散歩」と、同じく10回連載された「炭鉱再考」が元になっている。
日本と北海道の近代化を地底から支えた空知の炭鉱。産業も、資本と労働も、地域社会も文化も…。近代北海道の多くの原型がここにありました。先住民族を抑圧した開拓政策や戦時中の強制連行、繰り返された炭鉱事故。遺構を目の前にすると、そうした負の側面を含め、近代化とは何であったかを、ここで感じ、考えることができるのです。

炭鉱遺産の保存・活用には費用を含めて様々な問題があり、本書に載っている遺産の中にも既に現在では取り壊されたものがある。けれども、最終的に壊されて無くなってしまったとしても、保存を目指す運動を通じて人々のなかに芽生えたものがあるならば、それは決して無駄ではなかったと言えるのだと思う。

2003年10月1日、共同文化社、1800円。

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2013年12月10日

書評など

下記の書評で、『高安国世の手紙』を取り上げていただきました。
ありがとうございます。

・後藤由紀恵「手紙から見えるもの」(「うた新聞」2013年12月号)
・光本 博「Book Review」(「短歌人」2013年12月号)

『高安国世の手紙』のご注文は、松村または版元の六花書林まで。

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2013年12月09日

『言語学の教室』のつづき

『言語学の教室』を読んで感じたのは、短歌を読み解いたり分析したりする際にも、認知言語学の理論や考え方は大いに役立つだろうということだ。

以前、吉川宏志さんの『風景と実感』の批評会で、東郷雄二さんが認知言語学や心理学のアフォーダンス理論を援用して、短歌の分析を試みたことがあった。
http://lapin.ic.h.kyoto-u.ac.jp/tanka/yoshikawa.pdf

この時も非常に面白かったことを思い出す。

短歌の世界で「ジャンルを越えて」と言った場合、それは俳句や現代詩とのつながりを意味することが多いのだが、個人的には言語学や心理学といった分野とのクロスオーバーに、むしろ可能性や魅力を感じる。あるいは、歴史学や民俗学とも相性が良さそうだといったことを考える。

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2013年12月07日

阿部泰宏さん

今日の朝日新聞朝刊の「耕論」に、阿部泰宏さんが載っていた。
阿部さんは福島市にある映画館フォーラム福島の支配人で、私が1997年から99年にかけてそこで働いていた時に一番お世話になった方である。

原発事故に伴う許容年間被曝線量を1ミリシーベルトにするのか20ミリシーベルトにするのかといった問題に対して、どのように考えたら良いのか、どう考えるべきなのか、意見を述べている。
私は福島市にとどまり、妻と小6の娘は京都に自主避難中です。災害救助法に基づいて公営住宅に無償で入居できるのは、いまのところ4年。そのあと福島に戻すべきかどうかは決められずにいます。
ただ実際には、抜き差しならぬ「棄民感」とでも言うべきものをずっと感じています。福島は大事にされていないな、たかだか200万人ということなのか――。この感覚はなかなか「外」の人に伝わりません。

こうした文章に強い印象を受けながら読んだ。
阿部さんと一緒に仕事をしていた頃のことを思い出しながら、今、自分に何ができるのか考えている。

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2013年12月06日

西村義樹・野矢茂樹著 『言語学の教室』


副題は「哲学者と学ぶ認知言語学」。

哲学者の野矢が西村から認知言語学の講義を聴くというスタイルで、6回にわたって行われた対談をまとめたもの。すこぶる面白い。

「雨に降られた」は自然な日本語なのに「財布に落ちられた」はヘンなのはなぜか、とか、「花子は交通事故で息子を死なせてしまった」と「息子に死なれてしまった」とどちらでも表現できるのはなぜか、とか、「ブザーを押す」と「ブザーが鳴る」ではブザーの指す場所が違っている、とか、そんな話がたくさん出てくる。

専門的な内容もだいぶ含まれているのだが、講義という形で話が進んでいくので理解がしやすい。しかも一方的に「教える―教わる」のではなく、生徒役の野矢さんがしばしば反論したり、自分の意見を述べるのがいい。
野矢 ラネカ―には悪いけど、認知主義の意味の捉え方を示すのに、そんなにいい例だとは思えませんでした。
西村 えーっ、そうですか?

こんなところ、ほとんど漫才みたいで楽しい。

2013年6月25日、中公新書、840円。

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2013年12月04日

志賀直哉著 『小僧の神様・城の崎にて』


大正6年から15年までの全18篇を収めた短編集。

高校生の頃に読んで以来の再読だったが、なかなか良かった。夫婦を題材にした話など、かなり大人向けの内容であって、今くらいの年齢で読むのがむしろ良いのかもしれない。

主人公の男は、どの短編でもとにかくすぐ不機嫌になる。
そんな事は他の奴にさせればいいのにと思って不愉快を感じる事がよくあった。 「佐々木の場合」
何しろ自分達が余り不愉快を感じない人間であってくれればいいがと思った。 「好人物の夫婦」
「見るんじゃない、彼方(むこう)へ行って……」自分は何という事なし不機嫌に云った。 「十一月三日午後の事」
然し私はこれから間もなく其処に起るべき不愉快な場面を考えると厭な気持になった。 「流行感冒」
彼は不愉快で仕方がなかった。もう口をきくのがいやだった。 「痴情」

こういうところに、共感してしまう。
共感するべきところではないのだが、つい共感してしまう。
自分にもそういう部分があるからだろう。

他にもいくつか読んでみよう。

2005年4月15日、新潮文庫、520円。

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2013年12月03日

馬場あき子歌集 『あかゑあをゑ』

第24歌集。
年改まりわれ改まらず川に来て海に引きゆくかもめみてゐる
くねりまがり鯰尾坂(なまづをざか)とよぶところ眠り地蔵をみればほほゑむ
ぼんやりしてゐれば何かが見えるといふ隣家にみのる枇杷の明るさ
デパ地下の水の広場に人憩ひポンペイにもあつたひとときのやう
渤海のふるき使節の貌もちてアザラシはゐたり早春の檻
朝鏡無数の亀裂ある顔を写しをり人生も大寒に入る
ごきぶりは見るに大きく死にたれば小さし殺さるる虫として生きる
つがひつつ打ち重なりてありしものふとかがやきて草より飛べり
風神と雷神と来てあらそひし落葉の庭にその香ただよふ
胎内といふ吹雪の街をゆきしとき越後の瞽女のほろびききたり

タイトルの「あかゑあをゑ」は「赤絵青絵」のこと。
「きみは赤絵の茶碗にしろき朝粥をわれは奈良絵の茶碗の茶漬」という歌がある。
10首目の「胎内」は新潟県にある市。

引用した歌以外にも、若くして亡くなった母を詠んだ歌や、「番(つがひ)」という一連が印象に残った。口語や新語なども積極的に取り込んで、85歳とは思えないエネルギッシュな内容となっている。

2013年11月20日、本阿弥書店、2700円。

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2013年12月01日

富山和子著 『日本の米』


副題は「環境と文化はかく作られた」。

日本の国土や文化、歴史、環境などは、すべて米作りが基盤になっていることを、様々な角度から繰り返し述べた本。吉野ヶ里遺跡、条里制、新田開発、安積疏水、式年遷宮などを例に挙げて、米を通じて歴史や風景を見ることや、水と緑と土の関わりを考えることの大切さを説いている。
ライン川流域の葡萄畑や、地中海沿岸の丘陵地帯などを歩きながら、彼我の風景の違いに、はたと気づいたものであった。そうだ、水田は水を張る。だから水平でなければならないのだ、と。
日本の歴史とは治水、つまりは水抜きの歴史であり、同時に、溜池の歴史、つまりは水を作ってきた歴史であった。
私たちは川の水も地下水も、自然物と思いがちである。そして事実、水の値段には、水を作ってきた農民の労働の費用など含まれてはいない。

読んでいて、「なるほど」と思ったことがいくつもある。その一つは江戸時代の和算の流行のこと。これまで和算に対しては文化的な趣味といったイメージしか持っていなかったのだが、実際は検地や新田開発、さらに疏水を引くための測量や土木工事と深く関係していたのであった。なるほど、なるほど。

1993年10月25日、中公新書、760円。

posted by 松村正直 at 23:19| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする