2013年11月29日

「短歌人」2013年12月号

花鳥佰さんの評論「茂吉の見た近代の風景」がおもしろい。
10月号に「その一」が載って、12月号が「その二」。ひとまず、この2回で終わりのようだ。

明治15年(1882)に生まれて昭和28年(1953)に亡くなった斎藤茂吉。その作品の中から、「郊外」「百貨店」「飛行機」「心中」「洋行」「精神病院」「別荘」「トマト」「映画」「疎開」といった風景を取り出し、時代背景もまじえて論じている。

それも単なる歴史の回顧ではなく、近代から現代を照射するという視点を持ち合わせているところに特徴がある。現在の私たちにつながる問題として近代を捉えているのである。これは、大事なことだと思う。

気になった点も指摘しておきたい。
瘋癲院とは精神病院のことで、茂吉はしばしばこのややグロテスクな用語を使った。

という一文がある。「瘋癲院」という呼び方は、確かに現在の眼から見ると「グロテスク」であるが、茂吉が歌に詠んだ大正時代にはどうだったのだろう。茂吉だけが好んで(?)この言葉を使ったのだろうか。

以前、このブログにも書いたことがあるが、
(精神病院の歌 http://blogs.dion.ne.jp/matsutanka/archives/11363327.html )
大正2年に前田夕暮は「狂病院」、古泉千樫は「瘋癲院」という言葉を歌に詠んでいる。

また、北原白秋「邪宗門」(明治42年)、夏目漱石「彼岸過迄」(明治45年)、宮沢賢治「ビジテリアン大祭」などにも「瘋癲院」「瘋癲病院」という言葉は出てくる。

そうした点を踏まえると、「瘋癲院」は当時かなり一般的な言い方であったことがわかる。茂吉にしても、特に「グロテスク」という意識は持っていなかったのではないだろうか。

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2013年11月28日

新島(その2)

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草木になかば埋れるようにして、島のあちこちに空家や廃屋がある。
最盛期には250名もの人々がここに住んでいたというが、その当時を
思い浮かべるのは難しい。

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西桜島村立(現在は鹿児島市立)桜峰小学校の分校跡。
1915年から1972年まで、ここに分校があった(前身の分教場は1898年設立)。
教室の中には黒板などが残っていて、わずかに当時を偲ぶことができる。

ここで学んでいた子供たちは、今頃どこで何をしているのだろうか。

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2013年11月27日

新島(その1)

鹿児島県の新島(燃島)へ行ってきた。
かつて佐藤佐太郎が訪れた島である。

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桜島の浦之前港から、週に5日、一日2便「市民の交通の利便及び市行政の円滑な遂行を図るため」(鹿児島市HP)という名目で行政連絡船「しんじま丸」が出ている。片道100円。

乗船客が名前を記したノートを見ると、時々、釣り客が利用しているようだ。島が無人化してしまった現在、この連絡船もいつまで存続するかわからない。

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到着した港の左右に続く海岸沿いの道から、4本くらいの道が島の奥へとのびている。ただし、途中で藪に遮られている所が多く、歩き回るのは大変な状態である。

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2013年11月26日

田中康弘著 『女猟師』

著者 : 田中康弘
エイ出版社
発売日 : 2011-07-25

副題は「わたしが猟師になったワケ」。

5名の女性の猟師の生活や狩猟の様子を追ったドキュメンタリー。カラー写真も豊富で、現場の雰囲気がよく伝わってくる。

「狩猟がもたらす喜びのひとつは共同作業。皆で力を合わせて獲物を手に入れることが、コミュニティの存続に繋がるからだ」という言葉が印象に残った。狩猟においても、さまざまな形での人とのつながりが大切であるらしい。狩猟組や夫婦、あるいは猟犬との関わりが描かれている。

狩猟を始めたきっかけとして「理由は犬なんですよ」という答えがあった。犬の訓練競技会やショーへの出場だけでは物足りなくなったと言うのだ。
獲物を探して人のところに持ってくる。狩猟の場で人と犬とが力を合わせる行為が、やはりレトリーバーは最も活き活きと躍動するのだ。

この人の猟犬はラブラドールレトリーバーであるが、レトリーブ(回収する)が語源であることに、あらためて気づかされた。セッターもポインターも、元は狩猟の用語から付けられた名前である。

2011年8月10日、エイ出版社、1500円。

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2013年11月24日

「未来」2013年11月号

生野俊子さんの「近藤とし子夫人の思い出」という2ページの文章が印象に残った。

生野さんは、昭和29年に「未来」に入会してから、長年にわたって、近藤夫妻のもとで会計や発送、宛名印刷、袋詰めなどの仕事をされてきた。その文章からは、生前の近藤夫妻の姿や性格が実によく見えてくる。
近藤さんは愛妻家と言われていたが、旧いタイプの愛妻家であった。いや、彼の理想が「旧いタイプ」であった、というべきだろうか。彼は奥さまをその理想の中で愛していた。そして、奥さまがまた、すすんでその理想の中に自分をはめこむことによって彼の愛に答えた。

深みのある文章だと思う。単純な礼讃でも批判でもなく、ひっそりとした哀しみが感じられる書き方だ。近藤芳美の歌を考える上でも、参考になる内容だろう。

結社について語る時に、しばしば選歌や雑誌発行などのシステムや、結社に所属する利点・欠点といった面だけが取り上げられるが、本当はこういう生野さんのような方の存在を抜きに、結社について語ることはできないのだと思う。

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2013年11月23日

新しい島

小笠原諸島の西之島の近くに、噴火によって新しい島が出来たとのニュースが報じられている。映像を見ただけでも凄まじいエネルギーを感じる。

このニュースを聞いて思い出したのが、鹿児島県の新島(燃島)のこと。桜島がかつては島であり、噴火で陸地とつながったことはよく知られているが、その桜島の近くに新島という小さな島がある。ここは1780年に、桜島の噴火に伴って出来た島である。最盛期には約250名が住み、小学校の分校もあった。

1959年、当時50歳の佐藤佐太郎がこの島を訪れている。
年々に地(つち)せばまりてゆく島にひとつの井戸によりて人住む  『群丘』
一島が二十九世帯の子等あそぶ分校の庭午後の日暑く
島にある分教場の楝(あふち)の木(き)花おぼろにてしきりに落つる

その後、佐太郎が歌に詠んだ分校は1972年に閉校。
現在、この島の人口は住民基本台帳によれば4人。実質的には無人島になっている。

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2013年11月22日

書評など

拙著『高安国世の手紙』の書評をお書きいただきました。
・島田幸典「〈評伝〉の力」(「短歌往来」12月号)

また、以前「D・arts」8号に書いた「白桃の歌を読む」について、ご紹介いただきました。
・中西亮太ブログ「和爾、ネコ、ウタ」
http://crocodilecatuta.blog.fc2.com/blog-entry-34.html

ありがとうございます。

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2013年11月21日

映画 「清須会議」

原作・脚本・監督:三谷幸喜
出演:役所広司、大泉洋、小日向文世、佐藤浩市、鈴木京香、中谷美紀、剛力彩芽ほか

1582年の本能寺の変を受け、信長亡き後の織田家の後継者と領土の分配をめぐって、愛知県の清須(清洲)城で行われた会議を舞台にしたドラマ。歴史モノとしても、人間ドラマとしても、あるいは組織の世代交代の話としても、楽しめる内容になっている。

2時間18分という長さでありながら、最後まで少しも飽きることがない。俳優陣の演技力ももちろんだが、何と言っても脚本が良いのだろう。

それにしても、当時の血縁関係の複雑さや時代の移り変わりの早さには驚くばかり。映画の主要登場人物であった柴田勝家は翌1583年の賤ヶ岳の戦いに敗れて自害しているし、丹羽長秀は1585年に病死、池田恒興も1584年の小牧・長久手の戦いで討死している。

MOVIX京都、138分。

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2013年11月19日

岸由二著 『「流域地図」の作り方』


副題は「川から地球を考える」。

私たちが普段使っている行政区分に基づいた地図ではなく、川や水系を中心とした「流域地図」を使ってものを考えることを提唱した本。簡単に言えば、自分の家の前に降った雨が、どの川に注いで、どこを通って、どの海へ注いでいるかを知るということである。
あなたは普段、自分が歩いている足もとの大地のデコボコを意識しているだろうか。
私たちはそれぞれが、慣れ親しみ、信頼し、愛情を感じる「すみ場所」を持つ。それは、生まれながら備わっているものではなく、少年少女のころに感動し、楽しみ、幸せを感じたりした空間が大きく影響するのではないかと私は考える。

著者の述べる「流域地図」に基づいた思考方法の大切さには、納得する部分が多い。けれども、同じ内容の繰り返しが多く、また文体がやや押しつけがましい点が気になった。
温暖化の危機にしろ、生物多様性の危機にしろ、基本的にはどれもこれも、生命圏の大地の凸凹(でこぼこ)、水の循環などを枠組みとして対応せざるをえない課題であることは、とくに難しい思索なしでも自明のことといえるだろう。

こんな文章を読むと、本当にそれが「自明のこと」であるならば、この本も要らないだろうと言いたくなってしまう。

もっとも、あとがきによれば、この本は著者自らが書いたのではなく、編集者やライターが原稿を準備して、それに追加・修正を加える方法で成り立ったそうだ。そうなると、結局どこに問題があるあるのかはよくわからない。

内容が良いだけに、書き方が惜しまれる一冊であった。

2013年11月10日、ちくまプリマー新書、740円。

posted by 松村正直 at 21:46| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月18日

『水の旅』のつづき

『水の旅』の中に、こんな文章があった。
阿蘇の外輪山の水を集めて有明海に注ぐ緑川。その支流、御船(みふね)川の流域に七滝村という小さな村がある(現熊本県上益城郡御船町)

アッと思う。七滝村と言えば河野裕子さんの生まれた村ではないか。
文章は次のように続く。
この村は江戸時代、水の乏しい土地であった。人々は土地を開きたいのだが水がない。そこで村人たちは山へ登っていって木を植えた。村人総出で毎年数万本ずつ植え、そのようにして半世紀にわたり植えつづけた。すると涸れ川に水はとうとうと流れるようになり、年々水勢は増加した。
植林した面積は四〇〇ヘクタール。その結果開かれた水田は数百ヘクタール。いまもその水は水田にも、生活用水にも使われている――。

河野さんは2歳か3歳で大牟田市に転居するまで、この七滝村に住んでいた。
五十年の歳月の向かうに煤けたる本家の梁見ゆ従姉妹たち見ゆ 『母系』
中村と井無田(ゆみた)のあひだの泥田圃(ずつたんぼ)記憶のままにあをく広がる
ふるさとは墓が古びてゆく所縁(へつり)に赤い椿が咲きて

50年ぶりに墓参りに訪れた時の歌である。
「五十年ぶりに帰って、本家のところから、田んぼの向こうのほうをぼぅーと見ていると鮮やかに、これは記憶のなかにあるなあと思いましたね」(『牧水賞の歌人たち 河野裕子』)と自ら語っている。

posted by 松村正直 at 22:51| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月15日

富山和子著 『水の旅』


先日読んだ『水の文化史』の姉妹篇。副題は「日本再発見」。

水と人との関わりを探して、日本全国を旅したルポルタージュ。「旅」1986年1月〜12月号に連載された文章が中心となっている。
1987年に文藝春秋社より刊行された単行本の文庫化。

著者の主張は「自然とは人間が利用してこそ守られる」という一文によく表れている。米作りや山仕事を通じて、日本人は自然と関わり、自然や風景を育んできたという考えである。
「炎天下、一日中踏みつづけるのは辛いので、クリークの端に柳を植えた。その木かげに水車を寄せた」とも、老人はつけ加えた。技術が風景をつくり出していく。
日本で酒が量産化され、酒造産業として確立するようになったのは、竹のタガが発明されてからである。
国鉄米原駅という重要な駅が、なぜこんなところに立地しているのかと、ふしぎに思う人も多いであろうが、それはかつて、そこが琵琶湖東岸の港町だったからであった。

水を中心に考えることで、新しい発見がたくさんある。風景やモノがこれまでと別の見え方をしてくることに気づかされた。

2013年8月25日、中公文庫、724円。

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2013年11月14日

堂園昌彦歌集 『やがて秋茄子へと到る』

朝靄の市場の広いまたたきのアンデルセンは靴屋の息子
春先の光に膝が影を持つ触って握る君の手のひら
秋茄子を両手に乗せて光らせてどうして死ぬんだろう僕たちは
噴水は涸れているのに冬晴れのそこだけ濡れている小銭たち
冬にいる寂しさと冬そのものの寂しさを分けていく細い滝
いくつかの拙い措辞が僕たちの短い春を台無しにした
透明な涙が胸に湧き出して目から零れるまで藤が咲く
僕もあなたもそこにはいない海沿いの町にやわらかな雪が降る
ほほえんだあなたの中でたくさんの少女が二段ベッドに眠る
許されて記憶の赤い花が咲く冬それぞれの稲荷神社に

第1歌集。1ページ1首組で195首が収められている。

一首目はまず韻律に惹かれる。上句は「AAOAO」「IIAOIOI」「AAAIO」と、「A」「O」「I」だけが使われている。そして4句目で「AnEUEnA」と「E」と撥音が初めて現れ、結句「UUAOUUO」で「U」が連続して現れるという流れ。

二首目は「触って握る」がいい。いきなり握るのではない。最初に軽く「触って」、相手も嫌がっていないことを確認してから「握る」。恋の初めの感じがよく表れている。

四首目は、結句の「たち」がいい。「小銭」という無機物に「たち」が付くことで、まるで小さな生きもののような愛おしさが生まれる。「小鳥たち」みたいに。

固有名詞のない世界、というのが全体を読み終わった時の第一印象。実際には「アンデルセン」「王子駅」「横須賀線」などいくつかあるのだが、固有名詞に代表される現実との強い結び付きといったものからは、だいぶ距離がある。

春夏秋冬などの季節や時間、天気を表す言葉がとても多い。「春」25首、「夏」14首、「秋」8首、「冬」23首。他にも、例えば「光」「ひかり」は27首もある。どれも、変りゆくもの、移りゆくものばかりだ。

虹のような歌集とでも言えばいいのか。虹というのは「七色」や「弧を描くこと」や「雨上がりに現れること」が本質ではなくて、たぶん「消えること」が本質だろう。この歌集からも、そんな印象を受ける。

2013年9月23日、港の人、2200円。

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2013年11月13日

精神病院の歌

「歌壇」11月号の特集は「斎藤茂吉『赤光』刊行百年をめぐって」。
小池光、品田悦一、花山多佳子が「『赤光』とは何だったのか」と題して鼎談を行っている。その中で、次のようなやり取りに注目した。
小池 『赤光』は大正元年、二年の歌で六、七割くらいを占めている歌集で、突然、この辺で歌があふれるように出てきたという感じがするが、どうしてなんですか。
品田 (…)やはり精神病医になったことが大きいんじゃないかな。そこからしか、今のところ、説明ができないんです。(…)
小池 年譜を見ると、大正元年に勤務医になっているんです。その動機はすごく関係しているのかもしれない。

『赤光』には、例えば「狂人守」(大正元年)という一連など、勤務先の巣鴨病院での見聞を詠んだ作品がたくさんある。
うけもちの狂人(きやうじん)も幾たりか死にゆきて折(をり)をりあはれを感ずるかな
くれなゐの百日紅は咲きぬれど此(この)きやうじんはもの云はずけり
このゆふべ脳病院の二階より墓地(ぼち)見れば花も見えにけるかな

この時期、他の歌人の歌集にも精神病院を詠んだ歌が出てくる。
 前田夕暮「九月狂病院を訪ひて 歌二十五首」(大正2年) 『生くる日に』所収
狂人(きちがひ)のにほひからだにしみにけり狂病院(きやうびやうゐん)の廊下は暗し
きちがひの眠れる部屋にあかあかと狐のかみそり一面に生えよ
「此の男は直(ぢ)きに死ぬる」とまのあたり医員がいへりうごかぬ瞳よ
 古泉千樫「瘋癲院」(大正2年) 『屋上の土』所収
狂女ひとり風呂に入り居り黄色(わうしよく)の浴衣(よくい)まとひて静けきものを
ものぐるひの若きをみなご湯につかり静かに飯(いひ)を強ひられにけり
夕あかりうすら匂(にほ)へる病室にならびねて居る狂人の顔

前田夕暮の年譜には、大正2年の9月に斎藤茂吉の案内で巣鴨病院を見学したことが記されている。おそらく古泉千樫の歌も同様だろう。現在の目で見ると、用語も含めて差別的な印象を免れないが、特にそういう意識はなかったのだと思う。

人間の心や精神の働きに対する関心が、こうした歌の背景にはあるのだろう。歌を作ることは、自分の心を覗き込むことでもあるから、歌人がそうした部分に関心を持つのはよくわかる。さらに、精神医療は当時もっとも新しい分野であったので、歌人たちの強い興味を引いたのにちがいない。

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2013年11月12日

ジャンルを超える

用があって今年の短歌総合誌を読み返している。
「短歌研究」の対談が、どれも刺激的でおもしろい。
1月号 佐佐木幸綱×鷲田清一(哲学者)「身体と言葉」
8月号 伊藤一彦×池内紀(ドイツ文学者)「牧水の自然と恋の歌」
10月号 吉川宏志×綾辻行人(ミステリ作家)「ミステリと短歌」

昨年8月号の篠弘×梯久美子(ノンフィクション作家)「戦争を短歌はどのようにうけとめたのか」も含めて、単に珍しいゲストを呼んできたという感じではなく、どれも議論の中身が充実している。事前にかなりの準備をして対談に臨んでいるのだろう。話がよく噛み合っており、歌人同士では出て来ない視点や論点が提示されている。

これこそまさに、ジャンルを超えた交流と言っていいだろう。以前、ある人が、短歌の世界で「ジャンルを超える」と言うと、俳句や現代詩の話しか出て来なくて物足りないと言っていたが、同感である。絵画にしろ音楽にしろ、他のジャンルというのはもっと広くいっぱいあるではないか。

加藤治郎の評論集『TKO』(1995年)には、コンテンポラリー・アートの柳幸典の作品の話が出てくる。私は短歌を始めたばかりの頃にこの本を読んだのだが、他のジャンルの最先端と拮抗するものとして現代短歌を捉えていることに、とても興奮したことを憶えている。

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2013年11月11日

『高安国世の手紙』の装幀

装幀家の真田幸治さん(書籍装本設計 真田幸文堂)のブログで、『高安国世の手紙』の装幀を紹介していただきました。

http://www.sanadakobundo.com/blog/?p=218

「里紙(うすねず)」とか「スノーフィールド(ホワイト)」とか、紙にもいろいろな名前や種類があっておもしろいですね。

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2013年11月10日

田中修著 『フルーツひとつばなし』


副題は〈おいしい果実たちの「秘密」〉。

「ミカン」「イチゴ」「ブドウ」など食卓にお馴染のものから、「マンゴスチン」「チェリモヤ」などの珍しいものまで、全50種類の果物を取り上げて、その歴史や栽培方法、栄養、特徴などを記した本。カラー写真がふんだんに使われており、眺めているだけでも楽しい。

二十世紀梨が「1888年、千葉県松戸市の民家のごみ捨て場で、ひっそりと人知れず生まれました」という話や、マスクメロンの「マスク」は麝香を意味する「musk」であり、マスカットという名前も「麝香猫(musk cat)」に由来しているなど、初めて知ることばかり。

また、植物の持っている不思議な力や、何代にもわたって品種改良を続けてきた人間の努力に関する話も多く、ふだん当り前のように食べている果物の奥深さに、あらためて気づかされた。果物が今まで以上に美味しく感じられそうだ。

2013年8月12日、講談社現代新書、1000円。

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2013年11月09日

駒井家住宅

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京都市左京区北白川にある駒井家住宅へ。
叡山電車「茶山」駅から、歩いて7分くらい。「銀月アパート」のすぐ近くである。

この家は京都帝国大学教授であった駒井卓(1886〜1972)の自宅として、昭和2年に建てられたもの。設計はヴォーリズ建築事務所。現在は財団法人日本ナショナルトラストが所有し、金曜日と土曜日に一般公開している。

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食堂・居間・寝室・書斎・和室の他に、一階と二階にそれぞれサンルームが設けられている。
こんなところで読書をしたら、さぞかしはかどることだろう。

見学料は大人500円。
おすすめです。

posted by 松村正直 at 18:47| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年11月08日

「黒日傘」2号

高島裕の個人誌。毎回ゲストを迎えて、同じテーマで競詠をしている。
今号の特集は「母」。ゲストの黒瀬珂瀾「母知らず」30首は、母と妻と二歳の娘のことを詠んでいて、印象に残る歌が多い。
長き会議に倦みたる妻は帰り来て桃色の保育所日誌をひらく
妻は児をざばざば洗ひ湯船なる吾はも膝を引き寄せにけり
妻と児を待つ交差点 孕みえぬ男たること申し訳なし

「父より母になりたい話」というエッセイも載っていて、その中に次のようなくだりがある。
 子供が出来れば変わるよ、などとはよく言われるもので、言われるたびに「何が変わるもんか」と反発していたが、なるほどころっと変わる。自分でもこんなに変わるものとは思わなかった。(…)感情も考え方も生き方も変われば当然、短歌も変わる。それを単純に肯定したくない自分と、どこかで喜んでいる自分がいて、中々に複雑な精神生活を送っている。

率直な書き方で現在の自身について述べているところに、共感を覚えた。近く第3歌集『蓮喰ひ人の日記』が出るようなので、楽しみである。

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2013年11月07日

現代歌人集会秋季大会

現代歌人集会の秋季大会が、下記の通り行われます。
どなたでも参加できますので、どうぞお越し下さい。

日時 平成25年12月1日(日)午後1時〜 (開場12時)
場所 アークホテル京都(四条大宮西入る)

基調講演 大辻隆弘理事長
講演 大島史洋「歌の交差するところ〜近藤芳美と高安国世〜」

授与式 第39回現代歌人集会賞
     大森静佳『てのひらを燃やす』

総会  午後3時45分〜
懇親会 午後5時〜7時

参加費 講演会1000円 懇親会6000円 (当日受付にて)
お申込 永田淳まで seijisya@osk3.3web.ne.jp

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2013年11月05日

資延英樹歌集 『リチェルカーレ』

右クリック、左ワトソン並び立つ影ぞ巻きつる二重螺旋に
モツァレラとトマトを和へたパスタからしづかな午後がはじまつてゆく
ゆく年とともに出で来てポストまで歩いたあとをかへる年なり
一頭を呼び戻すためもう一頭柵から外へ放ちやりたり
一旦は消されたレーンの石灰がそぼ降る雨に浮いてきたりぬ
しなやかな手つきに首を摑まれた白鳥だつたゆふべのぼくは
道綱の母と呼ばれて八〇〇年わたしもすこし草臥れました
崩れつつある砂山は砂山の本質として崩れつつある
一体にいくつ心は宿るらむまづはここなるたなごころ二つ
生きてゐるものをそのまま摂り入れてみせる行為が愛なんだらう

『抒情装置』(2005年)に続く第2歌集。第3歌集『NUTS』と同時に刊行された。

1首目はコンピューター用語の「右クリック」と、DNAの二重螺旋構造を発見したフランシス・クリック(とジェームズ・ワトソン)を掛けている。機知に富んだ歌だ。

7首目は「蜻蛉日記」の作者である藤原道綱の母のこと。名前が伝わらず「道綱の母」とのみ呼ばれている女性の、かなしみのようなものが感じられる。

2013年3月1日、砂子屋書房、2000円。

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2013年11月04日

吉岡宏高著 『明るい炭鉱』


北海道三笠市に炭鉱職員の息子として育ち、現在はNPO法人炭鉱(ヤマ)の記憶推進事業団の理事長を務める著者が、炭鉱とそこに生きた人々の姿を描いた本。暗くて悲惨なイメージが付きまとう炭鉱の歴史を再評価し、炭鉱遺産を受け継いでいこうという強い意志が感じられる。

第2章では「ある炭鉱家族の物語(ヒストリー)」として、父や自分の歴史を詳しく綴っており、ドキュメンタリーとしての側面も持っている。また、後半では、炭鉱遺産を中心とした町づくりについて触れているが、町づくりが単なる観光振興ではなく、地域の人々のアイデンティティと誇りを取り戻すことにつながることを述べているのが印象深かった。

著者は、1960年代のエネルギー政策の転換により急速に衰退した石炭産業について
このような短期間での劇的な変化の中で、炭鉱のある部分だけがクローズアップされ、「炭鉱=暗い」という図式が定着してしまった。そこでは、石炭生産を支えていた人たちの思いやドラマ、技術的な工夫と進歩といった前向きな要素は、一顧だにされなかった。

と指摘する。忘れられようとする歴史にこうした観点から光を当てる試みは、非常に大事なことだと思う。私が「樺太を訪れた歌人たち」について調べているのも、おそらく同じような理由によるのだろう。

2012年8月10日、創元社、1600円。

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2013年11月02日

「かりん」2013年11月号

「歌の彩時記」というページに、高安国世の歌が取り上げられている。
  我が心をののき易き季(とき)となる山羊は日なたを既に恐れず
                 『夜の青葉に』

筆者の早崎久子さんは、他にも山羊の歌をいくつか引いて「歌集には〈山羊の歌〉の一連があり、そこここに山羊の姿があった」と書く。そして、自分も戦後の時期に牡の子山羊を飼っていたことを述べ、「私の山羊は戦後のあの日々の記憶の中に今も生きている」と記している。

私も以前、「山羊の歌と日本の戦後」(「星雲」2012年1月号)という文章を書いたことがあり、そこに高安の山羊の歌を引いた。同じく戦後の近藤芳美の歌集『歴史』にも、山羊を飼っていた歌が出てくる。

私は、それらの歌が詠まれた昭和二十年代を体験してはいないのだが、こうした歌や文章を通じて、少しではあるがその時代の空気を感じることができる。そんなところにも、短歌を読むことの楽しみはあるのだ。

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2013年11月01日

渡辺松男句集 『隕石』

涅槃西風(ねはんにし)こころにまるい石ひとつ
みがかれし黒曜石と涼みたり
ゆふぐれのはじまるころのところてん
鉄亜鈴避暑地に行きしことあらず
かたつむり今生分は歩きけり
子らの眸(め)にとつぜん金魚死にてをり
鋸と万力のある大暑かな
揚がるたび河口のみゆる花火かな
鳳仙花子の友だちの友だち来(く)
流星や口の欠けたる益子焼
象の背のほこりうつすら文化の日
入口と出口ばかりの冬木立

渡辺松男さんが歌集ではなく句集を出したことに、まず驚いた。
同時に、何となくわかるような気もしたのはなぜだろう。
近年のシュールで飛躍のある歌風は、俳句との相性が良いように感じていたのかもしれない。

次々と繰り出されるモノとイメージの世界を十分に楽しませていただいた。

2013年10月30日、邑書林、2500円。

posted by 松村正直 at 23:18| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする