2013年07月30日

「アララギ」と高安国世

1977年刊行の高安国世『わがリルケ』を調べていて、一つ気が付いたことがある。
巻末の著者略歴に、こう書いてある。
三高、京大教授を経て関学大教授、京大名誉教授。アララギ短歌会会員、「毎日新聞」「読売新聞」歌壇選者、歌誌「塔」主宰、現代歌人集会理事長。

「アララギ短歌会会員」とあるではないか。つまり、この時点でも高安は、まだ「アララギ」の会員であったのだ。

高安がいつまで「アララギ」の会員であったのか、以前調べたことがあるのだが、はっきりとはわからなかった。「アララギ」誌面では1973年7月号の「左千夫短歌合評」に出ているのが最後である。けれども、それで退会したというわけではない。

1977年時点でまだ会員であったということは、1984年に亡くなるまでずっと会員であった可能性も高いということだろう。

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2013年07月29日

時評など

下記の時評で、拙著『高安国世の手紙』を取り上げていただきました。

・今井恵子「歌人論と作品論」(「現代短歌新聞」8月号の歌壇時評)
  「佐佐木信綱研究」、杜澤光一郎『宮柊二・人と作品』とともに。

・大辻隆弘「歌人論の切り口」(今日の毎日新聞の短歌月評)
  杜澤光一郎『宮柊二・人と作品』、きさらぎあいこ『近藤芳美の音楽の歌』とともに。
  http://mainichi.jp/feature/news/20130729ddm014070012000c.html

ありがとうございました。

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2013年07月28日

佐藤晶歌集『冬の秒針』批評会

昨日は13:00から、愛知芸術文化センターにて、佐藤晶さんの歌集『冬の秒針』の批評会。
参加者約50名。

前半はパネルディスカッション。司会:荻原裕幸、パネリスト:斉藤斎藤、錦見映理子、松村正直、江村彩。後半は会場発言。鈴木竹志、糸川雅子、小塩卓哉、柴田典昭、三井修ほか。

「われら」という言葉の使い方、専門の中世文学を題材にした歌、「光」や「白」のことなど、いくつか突っ込んだ議論ができたように思う。

花束贈呈や版元のながらみ書房の及川さんの挨拶、作者の佐藤晶さんの挨拶などがあり、17:00前に終了。

その後、近くの「トアプラン」というお店に移動して懇親会。「井泉」の皆さんの行き届いた運営により、最後まで楽しい一日であった。
さくらばな月に照らされ湿疹のくすり塗られた犬とみている
ペットボトルの微少の湖さわだてり海が近づく列車の窓に
水紋の干菓子ならべて昼下がり魚鱗の陣を作りてこわす
風すこし潤うころに思いおり安徳天皇女性説のこと
忘れられた場所のどこかでカルピスに浮かぶ氷がちりちり溶ける

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2013年07月27日

『純白光』のつづき

後半(7月〜12月)の中から10首。
西瓜の種ぷつぷつ皿に出すことも一人では全(また)くおもしろからず
わが顔は湯気にかくれて笊盛りの玉蜀黍を家族へ運ぶ
その名前出てこぬ人の顔のみが大きく浮かぶ夜の頭に
みつばちのやうにお尻をふりながら向日葵の迷路ゆく子どもたち
木犀のなかに犀ゐて秋天に去りゆくものの足音を聴く
走る犬見たくて〈ドッグ・ラン〉へ行く今日の予定は猫には言はず
白鷺を舳先に乗せて行く舟の男のからだ傾かず立つ
飛行機のなかの子どもが手に握るその飛行機のなかなるごとし
若武者の林檎と修験者の柿とわが家にて逢ふ時雨降るけふ
心ここにあらずといへどはじめから心はどこにあるかわからず

短文と短歌の組み合わせや距離感も、いろいろなパターンがあって面白い。
短文では8月23日のものが特に良かった。飼い猫の「たますけ」の話。
たますけは蝉取りに夢中だ。身体が弱った蝉がベランダ付近に飛んでくるので、それをジャンプして捕まえる。捕まえた蝉は必ず明子の部屋に持ってゆく。彼女が捨て猫だったたますけを拾ってきたからか、それとも、はじめて蝉を捕まえたときいちばんほめたからか。今日も一匹。その部屋に、もう明子はいないのに。

2013年7月3日、ふらんす堂、2000円。

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2013年07月26日

小島ゆかり歌集 『純白光』


ふらんす堂のHPに1年間連載された作品を収めた「短歌日記シリーズ」の一冊。1ページに、「日付」「短文」「短歌1首」という構成になっている。コスモス叢書第1035篇。

普通の歌集と違って連作仕立てではなく、一首一首別々の歌が並んでいるわけだが、その分、歌そのものの味わいが濃く感じられるように思った。秀歌が多い。
陽のあたる午後の椅子より立ち上がる 猫のかたちのわたしの影が
ランドセルの鈴鳴らしつつゆく子あり鈴はときをり空からも鳴る
海光の町を旅してきさらぎの日焼けの顔の子らに会ひたり
口内炎の痛みに耐へて口ごもるわれは考へぶかきやうなる
一人づつ傘をひらきてビニールのパックに入る春雨の街
君は君で切ないことがあるだらうわたしの足に尻尾を載せて
にぎやかな人としづかな人あれどランチ同時に食べ終はりたり
長椅子でこのまま眠つてはならぬ夜は出歩く長椅子のため
こめかみに力をあつめ腹筋の運動をする夫を見てをり
壇上でしきりに水を飲むわたし汗かきの人隣りに居りて

とりあえず、前半(1〜6月)から10首引いた。
どの歌にも作者の工夫があって、短歌を読む楽しみを十分に味わうことができる。

2013年7月3日、ふらんす堂、2000円。

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2013年07月25日

映画「俺はまだ本気出してないだけ」

原作:青野春秋 監督・脚本:福田雄一
出演:堤真一、橋本愛、石橋蓮司、生瀬勝久、山田孝之、濱田岳ほか

会社を辞めてマンガ家を目指す主人公・大黒シズオ(42歳)と家族や友人たちの物語。コメディタッチで笑うシーンが多いのだが、実は仕事のことや家族のことなど、シリアスな内容も多く含んでいる。

主人公と同じ年齢ということもあって、笑いながらもいろいろと身につまされてしまった。

俳優陣の演技がいい。それぞれの持ち味を存分に発揮している。

105分。MOVIX京都。

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2013年07月24日

『「鉄道唱歌」の謎』のつづき

「鉄道唱歌」の歌詞を見ていると、昔の鉄道の姿が甦ってきておもしろい。「第一集 東海道」の45番はこんな歌詞だ。
大石良雄が山科の
その隠家はあともなし
赤き鳥居の神さびて
立つは伏見の稲荷山

現在の東海道線は、膳所―大津―山科―京都とほぼ真っ直ぐに通っているが、これは大正10年に新逢坂山トンネル・東山トンネルを通る新線が開通してからのこと。それ以前は膳所から南へ大きく迂回して、膳所(馬場)―大谷―(旧)山科―稲荷―京都というルートを通っていた。だから、現在はJR奈良線の駅である「稲荷」が東海道線の歌詞に登場するのである。

「第三集 奥州線―磐城線」の47番はこんな歌詞。
浪江なみうつ稲の穂の
長塚すぎて豊なる
里の富岡 木戸 広野
広き海原みつゝゆく

常磐線を北から南へ進んで、浪江―長塚―富岡―木戸―広野。
「長塚」は現在の双葉駅。「稲の穂」「豊なる里」「広き海原」と形容されたこの区間は、現在、福島第一原子力発電所の事故により不通となっている。

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2013年07月23日

「月刊みずたまり」40号

鳥取の短歌グループ「みずたまり」が発行している小冊子。20ページ。
作品やエッセイ、一首評、短歌時評など、毎号充実した内容である。

荻原伸さんの短歌時評に、こんなことが書いてある。
斎藤喜博(一九一一年うまれ)は「島小教育」と呼ばれる教育実践で有名な小学校教師だ。教育に携わる者で斎藤喜博を知らないひとはいない。

ああ、なるほどと思った。

実は数日前に、「塔」の会員で小学校の先生をしていたKさんが、『高安国世の手紙』の感想を伝えて下さったのだが、その方が真っ先に挙げたのが、この斎藤喜博の名前だったのだ。

戦後、次々に創刊されたアララギ地方誌の一つに斎藤喜博を中心とした群馬アララギ会の「ケノクニ」があり、高安国世もそこに文章を寄せたりしていたのである。二人はともに土屋文明門下であった。

Kさんは大学の卒論で斎藤喜博について書いたということで、教育者としての斎藤をよく知っていた。一方の僕は歌人としての斎藤喜博は知っていたが、教育者としての斎藤については何も知らなかったというわけだ。

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2013年07月22日

秦豊吉

『高安国世の手紙』のあとがきにも書いたように、私は学生時代からドイツ文学者としての高安国世は知っていたが、歌人としての高安は知らなかった。そういうことは、しばしばあるのだろう。

今朝の読売新聞「編集手帳」に、こんな一節があった。
古川ロッパが帝国劇場でミュージカルに出演したときである。連日満員の盛況だというのに、帝劇社長・秦豊吉(はたとよきち)の顔は日に日に険しくなっていく。

この秦豊吉って、あの秦豊吉?と思った。
『西部戦線異状なし』などのドイツ文学の翻訳で知られる秦豊吉である。

調べてみると、確かにそうだった。実業家や興業家、文筆家、翻訳家と、さまざまな顔を持っていたらしい。マルキ・ド・サドをもじった「丸木砂土」というペンネームで小説や随筆を書いていたことも初めて知った。

高安さんの文章にも秦豊吉の名前は出てくる。高安がドイツでハウプトマンゆかりの婦人に会った時のことである。
婦人はさらにハタさんが前に訪ねて来られたといい、しばらく考えてそれが秦豊吉氏であることがわかった。彼は最近死んだというと婦人は大そう残念がるようすであった。(…)私たちがサインを求められた記念帳には、秦豊吉氏のペン書きの日本文も認められた。   『北極飛行』

高安がドイツに留学したのは1957年、秦豊吉が亡くなったのは1956年であった。

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2013年07月20日

中村建治著 『「鉄道唱歌」の謎』



副題は「“♪汽笛一声”に沸いた人々の情熱」。

明治33(1900)年に発売されて爆発的なヒットとなった「鉄道唱歌」。その作詞家である大和田建樹と版元の三木佐助の二人を中心に、鉄道唱歌が生まれた背景やいくつかの謎、発売後の反響などを明らかにした一冊。史実をもとにしつつ、ところどころドラマ風な描写も加え、当時の状況を生き生きと描き出している。

今年に入って3回行った勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」の1回目に、旧派和歌の手引書の著者として大和田建樹の名前が出てきたのだが、この人はなかなかすごい人のようだ。本書にもこんな話が載っている。
後年の明治35年10月に開かれる百首会では、午前8時に詠み始めて午後7時30分までの11時間30分の間に、312首も詠んでいる。2分間に1首近くを作ったことになろうか。

勉強会の3回目は唱歌の話で、ピョンコ節とも言われるリズムの曲の例として鉄道唱歌の話も出た。意図したわけではないのだが、ちょうど話がつながったようで面白く、和歌・短歌と唱歌の関わりの深さを感じたことであった。

2013年4月27日、交通新聞社新書、800円。

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2013年07月19日

現代短歌シンポジウム2013 in 茨城

来月茨城で行われる「塔」の全国大会のシンポジウムは一般公開です。
お近くの方は、どうぞご参加ください。

日時 8月24日(土)
場所 ホテルマロウド筑波 (JR常磐線 土浦駅より徒歩約12分)

プログラム
   13:00 開会挨拶(永田和宏)
   13:10 講演「高安国世と近藤芳美」(水沢遙子)
   14:50 歌合(司会:江戸雪、判者:水沢遙子・池本一郎・藪内亮輔)
   15:50 鼎談「自然をどう詠むか〜高安国世の自然詠から震災以後まで〜」
          (真中朋久・なみの亜子・梶原さい子)
   16:50 閉会挨拶(栗木京子)
   17:00 終了

参加費 2000円(当日受付にて)

事前の申込みは不要です。
詳しくはチラシをご覧ください。
 →http://www.toutankakai.com/2013summer-meeting.pdf

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2013年07月17日

祇園祭

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今日は10:00から四条河原町近くのカルチャーセンターで短歌講座。9:45頃に四条河原町の交差点に着くと、ちょうど長刀鉾の辻回しが始まるところで、ものすごい人の数である。

人ひとりがやっと通れるくらいの通路を抜けて、何とか教室に到着。2時間の講座の間、ずっと通りから祇園囃子の音色が響いていた。

12:00に講座を終えて外に出ると、ちょうど最後の鉾が過ぎたところ。四条通りでは早くも片付けが始まっていた。
かなしみのあればかなしく聴こゆるよ祇園囃子の鉦のひびきも
               吉井 勇 『短歌歳時記』 (昭和17年)

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2013年07月16日

「短歌往来」2013年8月号

連載「樺太を訪れた歌人たち」は8回目。

「北原白秋・吉植庄亮と海豹島(3)」を書きました。
海豹島の主役であるオットセイについての話です。
どうぞ、お読みください。

白秋と庄亮については今回で終り。次回からはまた別の歌人を取り上げます。

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2013年07月15日

目黒哲朗歌集『VSOP』

『CANNABIS』(2000年)以来13年ぶりとなる待望の第2歌集。400首を四章に分けて収録している。
今年また雨水のひかり〈東京にゐた頃〉といふ痛み遥けし
出国をすれば切り絵のごとき身を免税店のひかりはつつむ
夕立とわたしの中の夕立が図書館の玻璃をはさみて鳴れり
あんずの実わづかな傷を手にのせて一年ぶりの誕生日来ぬ
オニヤンマ採つて間近に見せてやるこんなことしか子にしてやれず
指さして紋白蝶を教へても「おもしろ蝶」と子は言ふをやめず
夏、従姉妹らは燦然とやつて来てお菓子食べ散らかして帰りぬ
怒りぶつけて電話してゐる事務室に朱肉湿りて置かれゐるかも
冷蔵庫につめ切りをふかく隠しおく息子の遊びひと冬を越す
薔薇園へ地図を頼りに来たりしが入口でまた地図をもらひぬ
庭先をよぎる猫あり夕されば模様をかへてまたあらはれむ
夕立が地面をたたく水しぶき肉屋のまへで見ることになる
燃えながら流されてゆく屋根が見ゆたしかな愛の記憶のやうに
秋分の日の助手席に娘ゐて小石のやうにしやべり続ける
体温計つららのごとく光るゆゑ脇に挟めば熱の子しづか

1971年生まれの作者とは同世代ということもあって、共感するところの多い歌集だった。時代や生活を詠んだ歌は決して明るくないが、確かな手ごたえを感じる。また、小さな息子や娘を詠んだ歌はどれも良く、この歌集の大きな特徴となっている。

第三章は「つなみ 被災地のこども80人の作文集」(「文藝春秋」平成23年8月臨時増刊号)に掲載された作文を元に詠まれた短歌86首が収められている。かなり実験的な試みで、最初はやや懐疑的な思いを抱きつつ読んだのだが、じんと伝わってくるものがあった。

長野に住む作者は、子どもの作文を媒介として、震災にアプローチしたということなのだろう。そこには、作者も同じ年頃の子どもを持っているという意識が強く働いていたのだと思う。

2013年6月15日、本阿弥書店、2500円。

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2013年07月13日

「井泉」2013年7月号

リレー小論〈作品の「読み」について考える〉に、柳澤美晴さんの書いている「体験・体感・空気」という文章が面白かった。歌の読みに読み手の経験がどのように影響するかについての話である。

「体験を通すことで、歌が生々しい面を見せて己の内部に立ち上がる」「(…)体感をくぐらせることで歌の読みの手掛かりを得ることがある」といった実例を挙げたのち、柳澤は
(…)実は誰しも自分の経験値を代入して歌の読みを行っている。その経験値が歌への共感や驚異の基盤となり、読みや評価に大きく影響する。それが、プラスに働けばいいが、マイナスに働く場合もある。

と記している。この「マイナスに働く場合もある」というのが、注意しなくてはいけないところだろう。歌会などでも、自分の経験に引き摺られて歌の読みを歪めてしまうケースをしばしば目撃する。

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2013年07月12日

『地球のはぐれ方』のつづき

この本の題は『地球の歩き方』のパロディなのだろう。確かに、観光用ガイドブックとしては使えそうにない本である。その代わり、物の見方や旅のあり方については、いろいろと学ぶことができる。

サハリン(樺太)が取り上げられているのも大きな魅力である。今、「樺太を訪れた歌人たち」という連載をしているので、かつて(大正から昭和戦前)歌人たちが訪れた町が、現在どのようになっているのかを知ることができる。
コルサコフには旧北海道拓殖銀行大泊支店や神社跡など、日本時代のクラシックな建築がいくつか残り、ちょっとした建築散歩気分が楽しめるが、全体的には国際貿易港という語感からほど遠い、一抹のうら寂しさが漂う港町。
ネベリスクを訪れる観光客の数は少ない。さびれた港湾都市である。人口は二万四〇〇〇人。かつては冬場の不凍港として、日本との定期航路でそれなりに栄えた街だが、今ではもうその面影はない。
ポロナイスク(旧・敷香)の沖合に浮かぶチュレー二ー島。もと海豹島と呼ばれたこの島は、春から秋にかけて約七万頭のオットセイがやってくる、世界最大級のコロ二ーだ。

こんな文章を読んでいると、随分と心惹かれる思いがする。

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2013年07月11日

村上春樹・吉本由美・都築響一著『東京するめクラブ 地球のはぐれ方』


「東京するめクラブ」を名乗る3人の旅行記。「ちょっと変なところに行って、ちょっと変なものを見てまわろう」という趣旨で選ばれた旅行先は、名古屋、熱海、ハワイ、江の島、サハリン、清里の6つ。『珍日本紀行』の著者でもある都築の選びのセンスが光る。

町で目に付いた様々なものについて三者が分担して書き、最後に座談会でまとめるというスタイル。それぞれの町の特徴や歴史、問題点(?)などが多面的に浮き彫りにされている。初出は雑誌「TITLE」2002〜2004年。
僕は思うんだけど、名古屋という場所の特殊性は、そこが押しも押されぬ大都市でありながら、どこかしら異界に直結しているような呪術性をまだ失っていないところにあるんじゃないだろうか。 (「失われた世界としての名古屋」)
三十歳の若きアントン・チェーホフがサハリンを訪れたのは一八九〇年のことで、そこに長期間滞在し、五年後に歴史的資料としてもまことに貴重な旅行記『サハリン島』を発表した。 (「サハリン大旅行」)

こうした村上春樹の文章を読んでいると、『1Q84』にチェーホフの『サハリン島』が出てきたり、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』で名古屋が描かれたりした理由が垣間見えてくる気がする。

2008年5月10日、文春文庫、1000円。

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2013年07月10日

『高安国世の手紙』の目次

『高安国世の手紙』は、下記のような内容となっています。

はじめに
1 旧制甲南高等学校
2 阪神間モダニズム
3 一九三四年
4 喘息とまんだらげ
5 外国留学
6 召集令状
7 「日本少年」と榎南謙一
8 榎南謙一を探して
9 リルケ『ロダン』(岩波文庫)
10 野間宏
11 家族旅行
12 長男国彦と疫痢
13 富士正晴と『若き日のために』
14 野間宏ふたたび
15 勤労動員
16 昭和二十年
17 戦争とドイツ文学
18 『Vorfruhling』と検閲
19 石本家と戦後女性の生き方
20 姪 島崎美代子
21 三男醇と聴覚障害
22 誠実の声
23 近藤芳美と東京
24 「高槻」「関西アララギ」
25 諏訪雅子さんのこと
26 「塔」創刊と結社という問題
27 原爆と広島
28 杉浦明平
29 ドイツ留学と北極空路
30 六〇年安保とデモ
31 女子学生エリカ
32 現代歌人集会と運転免許
33 京大短歌会と永田和宏
34 高安山荘
35 本郷義武の死
36 画家高安醇
37 わが病むを知らざる人ら
38 高安国世文庫と内田義彦文庫
参考文献
あとがき

高安国世は1913(大正2)年8月11日生まれ。
今年で生誕百年を迎えます。



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2013年07月09日

『高安国世の手紙』刊行!

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『高安国世の手紙』が出来上がった。
四六判412ページ。六花書林。定価3000円(税別)。

2009年から2011年まで「塔」に連載した35回の文章に、
新たに3回分を追加して、さらに全体を大幅に加筆・修正した。
自分なりの新たな高安国世像を示すことができたと思う。

皆さん、ぜひお読みください。
お申し込みは六花書林(http://rikkasyorin.com/)、または松村まで。



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2013年07月08日

「路上」126号

佐藤通雅の連載「宮柊二」は第17回。
宮柊二の戦中書簡に焦点を当てているのだが、軍事郵便という制度や検閲の問題にも触れていて、読み応えがある。

兵の士気の低下を防ぐために、野戦郵便局が設けられ、戦地から内地へ送る郵便は全て無料であったこと、兵は日記を付けることも奨励されたことなど、実に興味深い。

今回、「一兵意識」という言葉も出てくるのだが、これはもちろん
おそらくは知らるるなけむ一兵の生きの有様をまつぶさに遂げむ 『山西省』

へとつながっていくものだろう。この歌については、以前からいろいろ調べていることがあるので、いずれ何かに書きたいと思う。

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2013年07月06日

勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」第3回

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13:30より梅小路公園内「緑の館」イベント室にて、勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」の第3回を行う。3回シリーズの最終回。参加者は30名。

今回の講師は音楽学者で奈良教育大学名誉教授の安田寛さん。『唱歌と十字架 明治音楽事始め』『「唱歌」という奇跡十二の物語 讃美歌と近代化の間で』など、唱歌の研究者として知られている方である。

講演「日本の歌の未曾有の危機にあって御歌所に連なる歌人たちはどのような役割を果たしたのか」は、小沢蘆庵、香川景樹から八田知紀、そして高崎正風・税所敦子という流れで、桂園派の歌風が御歌所に入り、それが唱歌の歌詞にも大きく寄与したという内容であった。

講演の最後は、佐佐木信綱作詞の「夏は来ぬ」の話であったが、
 卯の花の におう垣根に ほととぎす 早も来啼きて 忍音もらす 夏は来ぬ
 さみだれの そそぐ山田に 早乙女が 裳裾ぬらして 玉苗植うる 夏は来ぬ

歌詞は五七調で、リフレインされる「夏は来ぬ」を除けば、5・7・5・7・7。しかも中身も、まさに和歌そのものと言っていいものであることに、あらためて気づかされた。

全3回の勉強会の講演については、いずれ冊子などに記録としてまとめたいと考えている。

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2013年07月04日

続・佐太郎の穴の歌

佐太郎の歌をもう少し。
鉱滓をすてて乾ける泥のいろ夏の日の照る山中にして  『群丘』
ひといきに鉱石をおとすさま見れば石より火花とびつつ落つる
銅鉱は即ち鉛(なまり)いろの泡くらきものより絶えまなく浮く

秋田県の阿仁鉱山を詠んだ歌。三首目は粉砕した鉱石から浮遊選鉱という方法で銅鉱石を分離しているところである。
徳川の代に銀掘りし山のべに古き治水の跡のこりをり  『開冬』
山峡は昼しづかにてところどころ間歩(まぶ)と呼ぶくらき坑口の見ゆ
悲しみのきざすごとくに龍源寺間歩の風かよふところに憩ふ

昭和48年に石見銀山跡を訪れた時の歌。今では世界遺産になった石見銀山であるが、当時は訪れる人も稀だったようだ。「行く人のなき銀山の跡のみち」という歌もある。

鉱山の歌ばかりになってしまったが、他にも、砂丘、火山、島、峡谷などを詠んだ歌が佐太郎には多い。地学的と言うか、今で言うジオパークのような場所が好きだったようだ。

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2013年07月03日

佐太郎の穴の歌

用があって佐藤佐太郎の歌を読み返している。
味わいのある歌が多くて、ついつい読みふけってしまう。

僕は鍾乳洞や鉱山、防空壕など、地中に掘られた穴(?)が好きで、そういう場所へよく行っているのだが、佐太郎の歌にもそんな穴を詠んだ歌がけっこうある。
坑道の扉をふたつ過ぎて来て人なき暗き切羽(きりは)を通る  『群丘』
坑道のひとところより聞こえくるポケットに石炭を落すとどろき
坑内に水をたたふるところありて水のうごきは電燈に照る

これは青森に旅して、近くの鉱山(炭鉱)を訪れた時のもの。2首目の「ポケット」は洋服のポケットではなくて、石炭を貯蔵する場所のことである。
地の底に音なく開く方形のうすくらがりを近づきて見つ  『群丘』
ふかぶかと虚しさみつる石切場(いしきりば)底にかすかに人は働く
ひとところ石の窓より外光のさしつつをりて塵光るなり

これは栃木県の大谷石の石切場を詠んだもの。以前、地下の採掘場跡に行ったことがあるが、神殿のような不思議な空間だった。コンサートなども行われているらしい。
地底湖にしたたる滴かすかにて一瞬の音一劫の音  『開冬』
さかしまに石髄たるる洞奥は昼夜にぬれて石ひややけし
音たぎつ地下の滝ありてたちまちにみじかきゆくへ巌(いはほ)に終る

岩手県の龍泉洞を詠んだもの。山口の秋芳洞、高知の龍河洞とならんで日本三大鍾乳洞に数えられている。二首目の「石髄」は耳慣れない言葉だが鍾乳石のことだろう。ここも行ったことがあるので懐かしい。

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2013年07月01日

「現代短歌新聞」2013年7月号

大島史洋の「人間としての「生活」―近藤芳美生誕百年―」という文章に注目した。大島は近く『近藤芳美論』を出版することを述べ、そこに載せた近藤の言葉を紹介している。
「僕はアララギ出身であるし、生活をうたえということを若いときから教えられてきた。土屋文明先生など、そういった主張をしていた。でも僕は、ごはんを食べたり、夫婦喧嘩をしたり、会社の苦情を言ったりすることを生活とは思っていないんです」

「ごはん」や「夫婦喧嘩」や「会社への苦情」は、近藤にとって詠うべき生活には含まれていなかったわけである。この言葉と近藤の歌を思い合わせて、非常に納得するものがあった。

一方で、同じく生誕百年を迎えた高安国世は、ごはんを食べたり、夫婦げんかをしたりする歌を詠んでいる。
いら立ちてすぐ涙ぐむ病む妻に何にむらむらと怒吐きくる 『真実』
我が作りし貧しき弁当食ひ居らむ子を思ひつつ昼のパン焼く
思ひ惑ふわが前に皿が突出され人造バターが匂ひはじめぬ 『年輪』
家も子も構はず生きよと妻言ひき怒りて言ひき彼の夜の闇に

前期の高安にはこうした歌が数多くある。
さらに、『年輪』の後記で、息子の聴覚障害のことに触れながら、次のように書いている。
近藤芳美君らは私の歌があまり日常的すぎると注意してくれたが、私は当分はどうしても此の日常を振り切ることが出来ないと覚悟してゐた。それでも時どきはむらむらと寂しさが迫り、本も読む暇のない自分が、獨文学の方面でも歌の方面でもひどく立遅れて行く腹立たしさを妻にでも当るより仕方がなかつた。

ここに近藤と高安の立場の違いは、はっきり表れていると言えるだろう。
そんな二人の最晩年の歌をそれぞれ挙げておこう。
絶対の「無」を救済に思うとし一切の人間の限界に立つ 近藤芳美『岐路以後』
大いなる「無」の見るかすかなる夢の我の一生か思えば安し 高安国世『光の春』


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