2013年05月31日

映画「カントリー・ガール」「カサブランカの探偵」

「カントリーガール」
監督:小林達夫、脚本:渡辺あや。
出演:服部知、久場雄太、藤村聖子、鎌田彩、松本錬太郎、藤村光太。
70分。2010年。

「カサブランカの探偵」
監督・脚本:小林達夫。
出演:太田莉菜、門脇麦、Chris McCombs。
30分。2013年。

小林達夫監督作品の2本立。「カントリーガール」は京都を舞台に、高校生たちと舞妓見習いの女の子を描いた青春映画。会話がとても自然体で、京都という町とそこに暮らす高校生の姿がいきいきと映し出されている。

「カサブランカの探偵」は別れた日本人女性を探しに京都へやって来た外国人の物語。宿で働く女の子や別れた女性とよく似た女性との出会いを通じて、海のない京都の閉塞感や、そこからの脱出願望が鮮やかに描かれている。

監督の小林達夫は1985年京都府生まれ。2007年に「少年と町」で京都国際学生映画祭グランプリを受賞している。上映後の舞台挨拶も聞いたのだが、今後が非常に楽しみな若手監督である。

元・立誠小学校特設シアターにて。

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2013年05月30日

「短歌人」2013年6月号

谷村はるかの時評「精神の働きに興味があります」の次の部分に注目した。
 ところで「短歌研究」連載の野口あや子「かなしき玩具譚」が絶好調だ。今時の女子の玩具である携帯電話やマスカラが歌の主体となって、〈主人〉である女子を冷徹に批評する。現代風俗にまみれた作品世界は一見饒舌だが、読後、そのざわめきは消え、野口の苛立ちだけが残る。加藤書(加藤治郎『短歌のドア』/松村注)のいう「作者の精神の働きへの興味」をかきたてるのだ。

この「読後、そのざわめきは消え、野口の苛立ちだけが残る」という指摘は、先日書いた「この書評を読むと、野口さんが何を考え、何に反発しているのかはよくわかる」という印象と重なるものだろう。

問題は、短歌作品においては作者の精神の働きが感じられるのは大事なことだけれども、書評ではそれだけで良いのかということなのだと思う。書評というのはあくまで本が主役であって欲しいというのが、僕の考えである。

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2013年05月29日

「黒日傘」第1号

「文机」の終刊から1年。高島裕の新たな個人誌がスタートした。

今度の個人誌は高島とゲストが同じテーマのもとに同じ分量の短歌と散文を発表する方式となっている。初回のゲストは石川美南。テーマは「滅び」。

高島の「最後の歌人(うたびと)」30首は、日本の滅びを詠んだもの。仮想的な世界を詠むスタイルは、かつての「首都赤変」を思わせる。
(とうきやう)と声を殺して呟きぬ。東海省省都トンキン暮れて
独立派兵士の額(ぬか)に捺されたる「倭」の文字の上に止まる黒蝿

一方の石川の「お帰り(LANDその12)」30首は、或る家族の歴史を、時間を遡りつつ詠んだもの。石川らしいユニークで実験的な試みである。

散文は高島が「歌人(ヒトデナシ)として生きろ」、石川が「逆10分待ち(LANDその9)」、各2ページ。

以上の特集の他に、高島の短歌「真闇の部屋」30首と散文「短歌のために」が載っている。
汝がために炊き上がりたる白飯(しらいひ)を一日置きてわれひとり食ぶ
生家にて一時間ほど眠りたり、足裏(あうら)ひんやり柱に当てて

編集後記には「初夏と秋。もつとも心地よい風の吹く季節を選んで号を重ねたい」とある。年に2回の発行ということだろう。次号も楽しみである。

平成25年6月3日発行、TOY、500円。

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2013年05月28日

上野誠著『万葉びとの奈良』

『万葉集』の歌を手掛かりに、平城京に暮らす人々の姿を描き出した一冊。文学、歴史学、民俗学、考古学といったジャンルを超えて、「奈良びと」の生きる姿に迫る内容となっている。歴史と歌と物語が合わさったところに、本書は成り立っている。

昨年12月の現代歌人集会で著者の講演を聴いたことがあり、その話しぶりがとても面白かったので今回この本を読んでみたのだが、本の方も同じように面白い。上野誠はきっとロマンチストなのだろう。正倉院に蔵われている一枚の布から、当時の女たちが水辺で働いている姿を思い描くことができるのである。

印象に残った箇所をいくつか引いてみよう。
つまり、遷都に関する大権こそ、天皇権力の根源と見なくてはならない。
簡単に言えば、奈良時代貴族は、農園経営者であり、平安貴族は農園経営会社の株主として配当金で生活していたといえるだろう。
つまり、麻は自給性が強く、木綿は商品性が強いのである。やや情緒的に言えば、麻衣は、栽培から縫製まで、着る相手のことを思い浮かべながら作られた愛の結晶である、ということができる。

最後に引いた部分について言えば、「つまり…強いのである」だけなら、それは客観的な歴史の記述である。しかし、上野はそこにとどまらない。「やや情緒的に言えば…」と断りつつ、当時の人々の心の中にまで入っていくのである。

その最大の手掛かりとして、『万葉集』に残された数々の歌が引かれている。当時の人々の心が、歌によって今に伝えられているのだ。そのことの持つ意味はとても大きい。

2010年3月25日発行、新潮選書、1200円。

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2013年05月27日

立誠シネマプロジェクト

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京都の中心部、木屋町蛸薬師にある「元・立誠小学校」は、1928(昭和3)年に建てられたレトロな校舎が目を引きます。1993年に廃校になってからは、様々なイベントに使われていますが、先月から新たにシアターが出来ました。

教室を改装して全45席のミニシアターにしたもので、連日、映画を上映しています。古い校舎の廊下や階段も懐かしい味わいがあり、一見の価値があります。皆さん、ぜひ足を運んでみて下さい。

詳しくは→ http://risseicinema.com/

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2013年05月26日

不思議な書評

角川「短歌」2013年6月号に、野口あや子さんが永田和宏著『近代秀歌』の書評を書いている。読んでみて、不思議な気分になった。これは、僕の読んだ『近代秀歌』と同じ本なのだろうか?
――日本近代、その言葉を簡略に言い換えるなら「日本が必死に西洋を模倣した時代」であろう。
つまり、近代歌人の一生が「恋で始まり、孤独を知り、死に至る」、「西洋的人生」であることを断言しているのである。
著者は「西洋模倣時代における短歌」として、「近代秀歌」を選歌しているのだ。
そこで著者は「アララギ男性」という、「文学的野心を持って上京した男性」をひとつのモデルとして説明し、かれらの経歴を追いながら近代短歌を説明していく。

文中には、こういう「 」付きの言葉がたくさん出てくる。そして、よく読むと、これは本からの引用ではなくて、どうも野口さんの言葉であるらしい。

だから、本当にこんなことが書いてあったかな?と思ってみても仕方がないのだろう。すべては野口さんが紡ぎあげた物語である。

この書評を読むと、野口さんが何を考え、何に反発しているのかはよくわかる。けれども、取り上げられた本については何がわかるのか。あくまで野口さんが主役で、本は脇役、そういう書評のように思った。

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2013年05月25日

栗木京子歌集 『水仙の章』

まはしつつ電球はづすゆふぐれは足首細き少女にもどる
すみません力不足で、といふやうに寒の日差しのまた翳りたり
路上にて似顔絵を売る青年は余震ののちを夕空仰ぐ
ひざまづく東電社長を腹這ひのカメラマンが撮る午後の避難所
月の夜に街中の猫つどひ来む尻尾の先に花を咲かせて
スモックを着たる小さな命たち日当たる苑に梅を見てをり
落ちながら凍りてしまふ悔しさをとどめて滝は杉群(すぎむら)のなか
たんぽぽの綿毛につかまり次々に母と子どもは西へ飛び立つ
虐待より期待はときに酷(むご)からむLLサイズの子のシャツを干す
母の自慢ひとつづつ減り娘婿が医師なることを今は言ふのみ
娘あらば秋のソファに翅のごとストッキングなど落ちゐむものを
上流にもう橋はなし月夜茸(つきよたけ)もとめて君と山に入りゆく

2009年秋から2013年初春までの作品470首を収めた第8歌集。
「東日本大震災」「水仙添へて」「漁船動かず」「われも一束」「カレンダー」など東日本大震災を詠んだ一連が中核を占めている。また、施設に入った母や亡くなった河野裕子を詠んだ歌にも印象的なものが多い。

比喩(それも多くは直喩)の巧さや時事的な内容を積極的に詠む姿勢も、これまでと変らない栗木の特徴として挙げられる。ただし、全体的にあまり派手さや華やかさはなく控えめな感じを受けた。そのあたりにも震災後の空気が反映しているのかもしれない。

2013年5月23日、砂子屋書房、3000円。

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2013年05月24日

結社の独立

藤原龍一郎氏が砂子屋書房の連載コラムに「短歌結社の存在価値」という文章を書いている。「水甕」創刊100年の記念式典や「うた新聞」5月号の特集を受けた内容で、現在「短歌人」の編集人を務めている藤原氏にとって、結社をめぐる問題はやはり大切なものなのだろう。

このコラムの中に、篠弘氏が「うた新聞」に書いた「有力歌人が同調者を募って独立し、あらたな会員を結集することが必要なのではなかろうか」という提言が引かれている。これは藤原氏が言うように、確かに「過激」ではあるが「有効」かつ「必然的」な方法であると私も思う。

歌壇全体を眺めてみれば、独立して新たな結社を率いてもおかしくないだけの実力と人気を兼ね備えた歌人はたくさんいる。けれども、独立しようという動きは現在ほとんど見られない。それは、なぜか。答えは簡単である。独立してもほとんどメリットがないからだ。

会員を募り、詠草を集め、選歌をして、毎月結社誌を発行する労力や手間というのは、実は大変なものがある。それを一から始めようとするには、相当な覚悟と熱意が要求されるのだ。短歌結社を日本舞踊や生け花の家元のように思っている人も多いが、一番の大きな違いは主宰にお金が入るわけではないということだろう。

時間はかかる、手間はかかる、その上お金は入らない。となれば、それらを上回るだけの文学的な情熱や野心がなければ、新たに結社を立ち上げようなどと、誰も思わないわけである。現状ではどう考えても割に合わない。もともといる結社に所属し続ける方が、はるかに楽だし、居心地がいいのだ。

でも、よく考えてみれば、戦後、近藤芳美が「未来」を創刊したのは38歳の時、宮柊二が「コスモス」を創刊したのも40歳、高安国世が「塔」を創刊したのも40歳の時である。今では考えられないくらい若い時期に、彼らは新たな結社を立ち上げて、歌壇の活性化に貢献したのであった。それを支えたのは、ある種の使命感のようなものではなかったか。

そういうことが、今後もはたして起こり得るのか。あるいは、それは「結社」とは違う何か別の形で行われていくことになるのか。あるいは、既に行われつつあるのか。そんなことを考えさせられる内容であった。

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2013年05月22日

『京都の平熱』の続き

さらに、いくつか印象に残ったところを。
格子状のこの街がひとを安心させるのは、この「碁盤の目」のどこに立ってもなじみの山が見えるからである。三方を山に囲まれたこの街では、山の姿で方向が分かる。(…)逆に東京という街は、どこからも山が見えない。だから東京に行けば京都で育った者は底知れぬ不安に襲われるのである。

東京(と言っても郊外だが)で生まれ育って、京都に住んでいる者として、この感覚はよくわかる。京都の地理感覚にとって大事なのは、実は「碁盤の目」ではなく、山の姿なのである。京都に住み始めてすぐに、「山のない方が南」と言われたことを思い出す。
京都は観光の街ではない。京都市は街じゅうが接客をしていてまさに観光でもっているように見えるが、じつはその収入は一割を占めるにすぎない。京都はいまも、典型的な内陸型の工業都市である。

これは、まあ、京都に住んでいる人はよく知っていることかもしれない。それにしても「一割」というのにはびっくり。少なくとも三割くらいはあるのかと思っていた。
京都はなだらかな坂の街である。北大路は東寺の五重塔のてっぺんより高いところにある。自転車で南から北へ上がると、からだでそれが実感できる。行きは帰りの倍以上、時間がかかる。

これは、知らなかった。東寺の五重塔の高さは木造としては日本一の54.8メートル。つまり京都の南の十条通と北の北大路通とでは50メートル以上の標高差があるというわけだ。それにしても「十字路で小便をしても分かる」(南の方へ流れる)とあるのは本当だろうか?

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2013年05月21日

鷲田清一著 『京都の平熱』

2007年出た単行本の文庫化。副題は「哲学者の京都案内」。

京都に生まれ育った著者が、町を周回するバス路線に沿って、京都のあれこれを考察し、論じた本。市バスの206番は、京都駅前を出発して、七条通を「東へ」、東大路通を「北へ」、北大路通を「西へ」、千本通、後院通、大宮通を「南へ」、そして七条通、塩小路通を「東へ」たどって、京都駅に戻って来る。

初めて知る話や、気づいていなかったことがたくさんあって、実に面白い。面白いだけでなく、深く考えさせられる。京都関連本にありがちな嫌味なところはなく、楽しんで読むことができる。
十何代か続かないと京都人とは言えないというのは、まっかな嘘だ。(…)京都は、なにより「外様」や「外人部隊」がしのぎを削る場所であった。

これは、創刊以来、京都に発行所を置いている「塔」の歴史を考えてもよくわかる。高安国世は大阪出身だし、清原日出夫や坂田博義は北海道出身、永田さんは滋賀、河野さんは熊本、吉川さんも宮崎である。みんな京都に住んだ(住んでいる)けれど、京都生まれではないのだ。

2013年4月10日、講談社学術文庫、960円。

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2013年05月19日

映画「探偵はBARにいる2 ススキノ大交差点」

出演:大泉洋、松田龍平、尾野真千子、ゴリ、渡部篤郎。
監督:橋本一。

札幌ススキノを舞台に探偵の「俺」が活躍するシリーズの2作目。原作は東直己のススキノ探偵シリーズ。

この映画の魅力は、何と言っても大泉洋。ふざけた場面もシリアスな場面も、笑いもアクションも、何でもOKという感じだ。松田龍平は前作に比べて少し影が薄いような。

尾野真千子という女優さんはどこかで見たことがあるような…と思ったら、『萌の朱雀』の女の子だった。ちょっとびっくり。NHKの連続テレビ小説「カーネーション」の主役もやっていたそうだから(見てない)、今では有名なのだろう。

MOVIX京都にて。119分。

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2013年05月17日

「歌壇」2013年6月号

「父の詠む子の歌」という特集が組まれている。「総論」(小塩卓哉)、「父のうた 50首選」(黒瀬珂瀾選)、「鼎談」(栗木京子・本多稜・大松達知)という内容。ようやく短歌総合誌でも、こうしたテーマが扱われることになったのが嬉しい。

以前、角川「短歌」(2007年1月号)の時評に「男性歌人の子育ての歌」という文章を書いたことがある。女性歌人が子を詠んだ歌が短歌誌でしばしば取り上げられるのに対して、男性歌人の歌はこれまであまり取り上げられてこなかった。

そういう意味でも、これは画期的な特集だと思う。
50首選から3首だけ引く。
ねぼけては母とやおもふちさき手に父なる我の乳(ちち)をさぐるも
                 小田観螢 『隠り沼』
おそれなく辞書を踏台にして遊ぶ幼ならよもの書くわがかたはらに
                 木俣 修 『落葉の章』
あたたかき雨の濡らせる郁子(むべ)の花この子の恋にまだいとまある
                 伊藤一彦 『青の風土記』

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2013年05月16日

「短歌往来」2013年6月号

連載「樺太を訪れた歌人たち」は6回目。
「北原白秋・吉植庄亮と海豹島(1)」を書きました。

大正14年に白秋と庄亮が樺太観光団に加わって、樺太を訪れた時の話。
3回続く予定です。

どうぞ、お読み下さい。

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2013年05月15日

「塔」2013年5月号

「塔」5月号は高安国世生誕百年記念号。
創刊700号でもあります。

高安国世(1913―1984)の生誕100年を記念して、50ページ以上の特集を組みました。
内容は下記の通り。
○座談会「高安国世の歌」 藤田千鶴、山下裕美、永田淳、吉田恭大

○評論「短歌史上の高安国世 『真実』から都市詠へ」篠弘
○評論「半透明の街」真中朋久
○評論「高安国世の世界内面空間と歌の真実」徳重龍弥
○評論「ドイツ文学者としての高安国世先生」西村雅樹

○高安国世アルバム
○高安国世100首選 江戸雪選
○高安国世の思い出・エピソード
  藤重直彦、栗木京子、山下泉、藤井マサミ、栗山繁、進藤多紀、藤江嘉子、
  黒住嘉輝、古賀泰子、池本一郎、黒住光、花山多佳子、永田和宏

1冊1000円で、池袋のジュンク堂本店、名古屋のちくさ正文館、京都の三月書房でも販売しております。また、メールやコメントでご連絡いただければ、振込用紙同封ですぐにお送りします(送料無料)。

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2013年05月14日

わぐりたかし著 『地団駄は島根で踏め』

副題は「行って、見て、触れる《語源の旅》」。

先に読んだ『ぷらり日本全国「語源遺産」の旅』と同じく、ある言葉の語源となった出来事や場所を求めて、全国各地をめぐった記録。実はこちらの方が第1弾で、基本編とでも言った感じである。

「うやむや」の元になった「有耶無耶の関」(秋田県・山形県)、「ごたごた」の元になった兀庵和尚(神奈川県)、「ごり押し」のゴリ押し漁(石川県)、「チンタラ」のチンタラ蒸留機(鹿児島県)など、全23話。どれも面白い。

この本が数ある語源関連の本と違うのは、必ず現地を訪れるという現場主義を取っていることだ。作者が嫌うのは「辞典の孫引きで成立している雑学ウンチク本」であり、「ネット情報を鵜呑みにしたり、過信している人」である。

この本の中でも、いくつも定説を覆す発見をしたり、辞典等の間違いを正したりしている。やはり、自分自身で行って、見て、触れて、確かめることが大切なのだ。いや、大切なだけではなく、その方が何倍も楽しいのだということが、本書を読むとよくわかるのである。

2009年3月20日、光文社新書、880円。

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2013年05月12日

「D・arts ダーツ」の在庫

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2003年から2006年まで、川本千栄・秋場葉子・小林信也・なみの亜子・松村正直の5名で、全10冊を刊行した短歌評論同人誌「D・arts ダーツ」。

下記の6点は現在も在庫があります。1冊500円で、送料は無料。お読みになりたい方は、松村までご連絡下さい。

・創刊号(2003年4月) <特集>短歌の新しさとは何だ!
・第6号(2004年12月) <特集>越境する短歌
・第7号(2005年4月) <特集>歌人論
・第8号(2005年8月) <特集>「読み」論の試み
・第9号(2005年12月) <特集>短歌の「私」とリアルを巡って
・第10号(2006年4月) <座談会>短歌評論の現在〜読みと批評を考える〜
         *10号は完売しました(5/16)

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2013年05月11日

「うた新聞」5月号

見開き2ページを使って、「短歌結社について」という特集が組まれている。結社の抱えている様々な問題点が見えてきて、なかなか面白い。

「若手・新人を育てる」というテーマで僕も文章を書かせていただいたのだが、同じ欄に中地俊夫さんの文章がある。
「『短歌人』には文学活動がない」と言って離れて行った人たちの「原型」がこの度、終刊号を出した。立派な主宰者を戴いた結社誌の五十年間は一体何だったのだろうか。何でも長続きすれば良いというものではなかろうが、新人が全く育たない結社のありようはやはり問題である。

1962年に「短歌人」の編集委員であった斎藤史が、新たに創立した結社が「原型」である。その際にどういう経緯があったのか詳しくは知らない。多少ゴタゴタもあったのだろう。それにしても、この書き方はちょっとなあと思う。

「新人が全く育たない」なんて、軽々しく決めつけて良いものだろうか。「原型」と言えば、百々登美子さんや目黒哲朗さんといった名前がすぐに思い浮かぶ。そういう人たちを全否定するような書き方は、いかがなものだろう。

結社の悪しき側面を見てしまったような気がする。

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2013年05月10日

大隈言道歌集 『草径集』(その2)

  折花
をりとれば枝の花こそすくなけれさきかさなりて見えしまがひに
  鴨
おもしろく波にうかべるあし鴨はおのれ舟なるこゝちとぞみる
  虹
はれのこるたゞ一むらのくもにのみわづかにのこる夏の夕にじ
  まめ
わりて見るたびにおもしろしいついつも並べるさまの同じさや豆
  烏
おのが身にまがふばかりもなれる子を猶はぐゝめるおや烏哉
  時雨
いくさともふりぬらしきてさ計やのこりすくなきしぐれなるらん

1首目、満開の桜の枝を一本折り取ったところ、その枝にはあまり花が付いていなかったのでがっかりしたという歌。
2首目、水面に楽しそうに浮かんでいる鴨は、きっと舟のような気分なのだろう。
3首目、雨上がりの空にひとかたまりの雲があって、そこにだけ虹が残っている光景。
4首目、莢を割ってみると、いつも同じように豆が並んでいて面白い。
5首目、自分と同じくらい大きくなった雛鳥を育てているカラスの親。
6首目、いくつもの里を濡らしてきて、時雨も残り少なくなっているだろうと、まるで如雨露で水を撒いているように詠んでいる。

どの歌にも、現代に通じる発想の面白さや新鮮さがあって、ここから近代短歌まではもうすぐという感じ。

この歌集が明治に入って再評価されるのには、奇跡的な偶然があったらしい。文庫本の解題(正宗敦夫)に次のようにある。
佐佐木信綱博士が明治三十一年の夏の夜、神田の古本屋で見附けて其の斬新なる歌風に驚歎せられ、同三十二年一月発行の続日本歌学全書第八編近世名家家集下巻中に編入せられて出版せられ、(…)世に拾ひあげられてから著名になつたのである。

歌集出版(1863年)から35年後、大隈言道が亡くなって(1868年)から30年後の出来事である。信綱が「神田の古書店で見附けて」いなかったら、今も歴史に埋もれたままだったのかもしれない。

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2013年05月08日

大隈言道歌集 『草径集』(その1)

江戸末期(1798〜1868)の歌人、大隈言道の歌集。上中下の3巻に計971首を収める。

先日の勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」で紹介されて面白かったので、早速読んでみた。大隈言道は福岡の人。ちょうど「塔」4月号の「歌の駅(福岡県)」でも取り上げられている。
  馬
野べとほくかげかさなりて行駒は道をれてこそかずも見えけれ
  風車
いもが背にねぶるわらはのうつゝなき手にさへめぐる風車かな
  夏草
ねこの子のくびのすゞがねかすかにもおとのみしたる夏草のうち
  夕立
ゆふだちのはれてしみればけふのうちにくれて明たる一夜也けり
  秋風
あき風にかどたのいなごふかれきてをりをりあたるまどのおとかな
  山家
わがやどをこゝにもがなとみやこ人いひのみいひてすまぬやまざと

1首目、縦に連なって野を行く馬の頭数が、道を折れるとわかったという歌。
2首目、おんぶされて寝てしまった子どもの手に風車が回っている光景。
3首目、猫の姿は見えないけれど、夏草の中から鈴の音だけが聞こえている。
4首目、夕立が止んで空が明るくなると、まるで一晩過ぎて朝になったかのように見える。
5首目、秋風に吹き飛ばされた蝗が、窓にピシピシ当っている場面。
6首目、田舎暮らしはいいなあと言うだけで、結局田舎に住むことはない都会の人。

1938年3月25日発行(1991年10月9日 第2刷)、岩波文庫、520円。

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2013年05月07日

デスマスク?

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連休は大阪府立大型児童館「ビッグバン」へ。
われながらコワイ・・・。

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2013年05月06日

『新世界名言辞典』より

◇締切は祖父のように静かで、母のように優しく、時に兄のように諭し、赤子のように泣き叫ぶ  ―― デレク・ブラウニング

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2013年05月05日

演劇「銀河鉄道の夜 ロボット版」

先月オープンしたばかりの、グランフロント大阪。
駅から続く通路には拡声器を持った警備員の人が何人も立っていて、大勢の人でごった返している。

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今日は北館にあるナレッジシアターのこけら落とし公演「銀河鉄道の夜 ロボット版」を観る。
原作:宮沢賢治、作・演出:平田オリザ、ロボット・アンドロイド開発者:石黒浩。

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チケットの購入が早かったためか、最前列の席である。
昨年見た普通版の「銀河鉄道の夜」と内容やシナリオはほぼ同じだが、ロボビーという可愛らしいロボットがカムパネルラ役を演じている。

普通版とロボット版と、見た印象はどう違うか。

結論から言えば、ほとんど違いはない。人間が演じていてもロボットが演じていても、受ける印象に大きな差はない。笑える場面では同じように笑えるし、感動する場面では同じように感動する。

もともと私たちは、相手の行為や仕種などから、その人の感情や気持ちを推測して生活している。だから、その相手がロボットであっても、同じように感情を読み取ることが可能なのだ。

普通版とロボット版から同じ印象を受けるというのは、ある意味でスゴイことなのかもしれない。今回はロボットが1体で他は人間だったのだが、もし他の役もみなロボットだったらどうなるのだろう、などと想像が膨らんでいく。

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2013年05月04日

杉崎恒夫歌集 『食卓の音楽』

第1歌集。1987年に沖積舎より刊行された歌集の新装版。
元の歌集に付いていた前田雪子、永井陽子、井辻朱美、中山明の栞文も収録されている。
地下鉄の窓いっぱいにきて停るコマーシャルフォトの大きな唇
空からも地からも夜の雪ふれば発光エビとなるまで歩む
聖歌隊胸の高さにひらきたる白き楽譜の百羽のかもめ
簡潔なるあしたの図形 食パンに前方後円墳の切り口
曇りたる一枚の海見えながら頭より噛じる鳩のサブレー
ほどほどに仕合せと見ゆる夫婦いて展望台この行き止まり
活気づく朝の光の人波にいっぴきの鮎の背を見失う
背後にていつも鳴る風 自画像のジグソーパズルくずれはじめる
よごれたる真珠の色の春はきて重さをもたぬセスナ機の舞う
喝采に応えて立てるフルーティスト 金の一管を胸に添えたり

発想や見立てが鮮やかで、明るい印象の歌が多い。3首目のかもめたちは、羽ばたいて飛んで行きそうだし、4首目の見立ても飛躍があって面白い。8首目は「じがぞー」「じぐそー」、「ぱずる」「くずれはじめる」の音の重なりが鮮やかである。

『食卓の音楽』という題名にしても、その意味だけでなく、「SHOKUTAKU」「ONGAKU」という音の響きが大事なのだろう。

作者は前田透主宰の「詩歌」とその後継誌「かばん」に参加された方。前田透から厚い信頼を寄せられていたことが、夫人雪子氏の文章からうかがわれる。数々の才能を輩出した初期の「かばん」を考える上で、前田透の存在はもっと注目されて良いのではないだろうか。

2011年9月22日、六花書林、2000円。

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2013年05月03日

田中康弘著 『マタギとは山の恵みをいただく者なり』

秋田県内陸部の阿仁(あに)に20年以上通っている作者が、マタギの暮らしやマタギが食べてきたものを豊富なカラー写真とともに紹介した本。

登場する料理は、熊鍋、熊のモツ煮込み、キリタンポ鍋、ウサギの煮込み、ナンコ(馬肉)とブナカノカの煮込み、ナメコ汁、山菜(アイコ、ホンナ、シドケ)のおひたし、ミズのタタキ、乾し餅、バター餅、イワナの塩焼き、カジカ焼き、ハタハタ寿司、味噌カヤキなど。

どれも珍しく、一度食べてみたいと思うものばかり。

猟で獲たウサギの皮を剥ぎ、内臓を抜き、頭を落として解体する場面なども、すべて写真入りで載っている。近年、千松信也『ぼくは猟師になった』、服部文祥『狩猟サバイバル』、岡本健太郎『山賊ダイアリー』(マンガ)など、狩猟関係の本が多く出版されている。私たちの生活が、こうした現場から遠く隔たってしまったことが、その大きな理由だろう。

狩猟の話だけでなく、自然の中で生きて行く知恵や工夫、自然を利用する暮らしの方法がたくさん詰まった一冊である。

2013年4月10日、えい(木+世)出版社、1500円。

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2013年05月02日

勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」第3回のご案内

勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」の第3回を下記の通り開催いたします。
皆さん、どうぞご参加下さい。

日 時 7月6日(土)13:30〜16:30
場 所 「緑の館」1階イベント室(梅小路公園内)
      *JR京都駅中央口より西へ徒歩約15分
プログラム
 13:00     開場
 13:30〜13:40 開会挨拶
 13:40〜15:10
    講演 安田寛氏 (奈良教育大学教授、『「唱歌」という奇跡』の著者)
 15:10〜15:30 質疑応答
 15:30〜16:20 フリートーク
 16:20〜16:30 閉会挨拶
 16:30     終了(予定)

会 費 2000円
申込先 大体の人数を把握したいと思いますので、ご参加下さる方は下記までご連絡下さい。
   〒612-0847 京都市伏見区深草大亀谷大山町20-3-202  松村正直
   TEL/FAX 075-643-2109 メール masanao-m@m7.dion.ne.jp

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2013年05月01日

石山宗晏・西勝洋一著『道北を巡った歌人たち』

旭川叢書第34巻。

旭川を中心とした道北の地を訪れた歌人たちの足跡を、多くの資料や文献に基づいて丁寧にたどった本。取り上げられている歌人は、石川啄木、九条武子、北原白秋、斎藤茂吉、斎藤瀏と斎藤史。

歴史の分野では、どの地方に行っても郷土史家と呼ばれる人がいて、その土地の歴史について詳しく調べて本にまとめたりしている。短歌でもそういったことがもっと行われて良いのではないだろうか。それは短歌観を複眼的なものとし、東京中心の短歌史を相対化する役目を果たすにちがいない。

現代はインターネットを使ってどの土地のことも調べられる時代である。それは、こうした土地と人との関わりを無意味なものにしてしまうのだろうか。いや、そんなことはない。
私は昭和四十四年の四月に、その「旧志文内」である中川町共和にある僻地四級の中学校に教師として赴任し、そこで三年間過ごした。当時独身であった私に町は旧診療所の一部を改築して二部屋の宿舎として提供してくれた。(…)その旧診療所こそ、守屋富太郎が昭和四年から十七年まで住居兼仕事場として暮らしたところであった。茂吉が訪れて五日間滞在したのも、その診療所兼住宅であった。

西勝氏のこんな文章を読むと、その土地に住んでいることにはやはり大きな利点があることがよくわかる。インターネットで何でも調べられる時代だからこそ、人と土地との関わりは、ますます大きな意味を持つようになっていくのだろう。

取り上げられている歌人のうち、九条武子、北原白秋、斎藤茂吉、斎藤瀏の4人は樺太にも足を延ばしている。その点についても教えられることの多い一冊であった。

2013年3月10日、旭川振興公社、1700円。

posted by 松村正直 at 00:39| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする