2013年01月31日

1913年

今年は「塔」を創刊した高安国世の生誕100周年。
高安は1913(大正2)年8月11日生まれ。

高安の友人でありライバルであった「未来」の近藤芳美も、同じ1913年の5月5日生まれ。高安と同年齢ということになる。

他にも、北原白秋の第1歌集『桐の花』がこの年の1月25日の刊行、斎藤茂吉の第1歌集『赤光』も同じく10月15日の刊行だ。

その茂吉の『赤光』(初版)の巻頭に載っているのは「悲報来」10首。師の伊藤左千夫の死を詠んだ一連である。左千夫の死は、この年の7月30日であった。

つまり、今年は伊藤左千夫の没後100年でもあるわけだ。
ちなみに高安の命日も、左千夫と同じ7月30日。(1984年)

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2013年01月30日

役に立たざる涙

被災の子の卒業の誓ひ聞くわれは役に立たざる涙流さず
            米川千嘉子『あやはべる』

米川千嘉子の歌集『あやはべる』は、終りの方に東日本大震災に関する歌を収めている。
(…)前年末までの歌を集めた第七歌集が終ったころ、東日本大震災がありました。毎日のように続く余震のなか、次々にあきらかになる震災・原発事故の状況があり、さらにそれが自分の身の回りにもわずかに静かに及ぶ日常があらわれました。

このように「あとがき」に書く米川は、震災の歌を含む約1年分の歌を追加して、歌集を再編集したのであった。
波ありて人の影なき映像の意味を遅れてくらく飲みこむ
産むからだ産みたいからだ産むかもしれないからだ 怖れるからだ夏を白くす
絶句する人になほ向くマイクあればなほ苦しみてことばを探す

震災と原発事故を詠んだこうした米川の歌には、「よそごと」や「ひとごと」ではない痛みとかなしみが籠もっている。深いところにまで届いた社会詠だと言っていいだろう。

冒頭の歌も、そうした中にある一首。
単なる同情の涙など、被災した子たちにとって何の役にも立たないことを、自ら痛いほど感じている歌である。この歌がどれくらい「深い」のかは、次のように比較して考えてみるとよくわかる。

 被災の子の卒業の誓ひ聞くわれは堪え切れずに涙を流す(改作1)
 被災の子の卒業の誓ひ聞くわれは涙流せど役には立たず(改作2)
 被災の子の卒業の誓ひ聞くわれは役に立たざる涙を流す(改作3)

改作1であれば、どこにでもある歌だ。改作2は、そこにわずかに自省が加わる。改作3になると、自省の度合いが大きくなるように感じるだろう。自身の行為を客観的に見る眼が備わっていると言ってもいい。さらに、
被災の子の卒業の誓ひ聞くわれは役に立たざる涙流さず

という米川の歌になると、「役に立たざる」「涙流さず」の二回の否定によって、感情を幾重にも折り畳んでいるのが感じられる。それが作者の内面の葛藤や思考の深さを表し、歌の「深さ」を生み出しているのだ。

そうした点を、もちろん私は評価する。現代において社会詠を詠む時に、こうした感情の折り畳みは必然であるし、大切なことだと思う。単純に迷いなく詠んだ歌は力を持ち得ない。

その一方で、それが本当に短歌にとって良いことなのかどうか、かすかな疑問も感じるのである。例えば改作1の「堪え切れずに涙を流す」といった感情の折り畳みのないストレートな歌こそが、実は本来の歌の姿であったのではないか。時おりそんな気もしてしまうのだ。

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2013年01月29日

飯田則夫著 『旧軍史跡を歩く』

日本各地に残る旧日本軍の史跡を紹介した本。
近年こうした本や写真集の出版が相次いでいる。

この本は、もともと2009年に『旧軍史跡―現代に遺された戦争遺産』(別冊歴史読本32)として刊行されたものを、改題して再編集したもの。文庫サイズとなって手軽に読めるようになった。

「父島要塞」「軍馬補充部十勝支部」「高田第十三師団」「所沢飛行場」など、全国20か所の史跡が取り上げられている。

福島県の小名浜港の堤防や基礎部分に駆逐艦「澤風」と「汐風」が使われていること(「軍艦防波堤」)や、戦時中の軽井沢に日本と同盟・中立関係にあった国々の大使館や公使館が置かれていたこと(「スイス公使館と三笠ホテル」)など、初めて知る内容も多かった。

今年の夏に訪れる土浦は、土浦海軍航空隊のあったところ。何とか時間を見つけて予科練平和祈念館や雄翔館を見学したいと思う。

2012年5月11日、新人物文庫、800円。

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2013年01月28日

勉強会についてのQ&A

勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」に関して、いくつかご質問をいただきました。
下記の通りとなりますので、ご参照ください。

 「全3回」とありますが、3回とも参加しなくてはいけませんか?
 1回だけの参加も歓迎です。毎回違った講師の方をお招きする予定ですので、1回1回別々の内容になると思います。

 京都駅からは徒歩で行くしか方法はないですか?
 バスの路線も通っています。33・特33・205・208系統の「七条大宮・京都水族館前」または「梅小路公園前」下車。206系統の「七条大宮・京都水族館前」下車。土日祝に運行している「水族館シャトル」でも梅小路公園まで行くことができます。

 誰でも参加することができますか? 参加費はどのように払えばいいのですか?
 どなたでも参加できます。毎回おもしろく興味深い話を聴くことができると思いますので、ぜひお気軽にご参加下さい。参加費は当日、会場入口の受付でお支払い下さい。

 事前に申込まずに当日急に参加することはできますか?
 机や椅子の準備がありますので、できるだけ事前にご連絡いただきたいですが、会場は十分な広さがあり、当日の参加も大丈夫です。

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勉強会のお知らせ

「近世から近代へ―うたの変遷」と題する勉強会を3回にわたって開催します。
第1回は下記の通りです。皆さんのご参加をお待ちしています。

日 時 2月23日(土)13:30〜16:30
場 所 「緑の館」イベント室(梅小路公園内) *JR京都駅より徒歩約15分
プログラム
 13:00     開場
 13:30〜13:40 開会挨拶
 13:40〜15:10 講演 「旧派和歌の初まなび」安田純生氏
 15:10〜15:30 質疑応答
 15:30〜16:20 フリートーク
 16:20〜16:30 閉会挨拶
 16:30     終了(予定)

会 費 2000円
申込先 大体の人数を把握したいと思いますので、参加される方は下記までご連絡下さい。
   〒612-0847 京都市伏見区深草大亀谷大山町20-3-202
           松村 正直
   TEL/FAX 075-643-2109 メール masanao-m@m7.dion.ne.jp

*第2回は盛田帝子氏をお迎えして、4月27日(土)に京都テルサで行う予定です。

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2013年01月27日

『百年前の日本語』のつづき

第4章「統一される仮名字体」では、異体仮名(変体仮名)のことが取り上げられている。
(…)一つの仮名に複数の字体が存在していることが、日本語の歴史においては長く一般的であった。この複数の仮名字体のことを「異体仮名」と呼ぶ。

こうした複数の字体が統一される大きな要因となったのが、明治33(1900)年に出された「小学校令施行規則」なのだそうだ。この規則の中で「小学校ニ於テ教授ニ用フル仮名及其ノ字体ハ第一号表ニ(…)依リ」と定められた。
明治三十三年以降、「第一号表」の仮名字体が小学校で教えられ、次第に標準的な仮名字体として定着していくことになる。

こうして「標準的な仮名字体」が決まったために、それ以外の字体は今では「変体仮名」と呼ばれるようになったわけだ。

『現代短歌全集』(筑摩書房)の第一巻は明治42年以前の歌集を収録している。それを読むと、そうした変体仮名がしばしば使われている。使用されている変体仮名を元になった漢字で示してみると、次のようになる。

・與謝野鉄幹『東西南北』(明治29年) は(八)、に(爾)、お(於)
・金子薫園『かたわれ月』(明治34年) し(志)、お(於)、こ(古)、そ(曽)、え(江)
・與謝野鉄幹『紫』(明治34年) そ(曽)、こ(古)、お(於)、え(江)
・服部躬治『迦具土』(明治34年) し(志)
・鳳晶子『みだれ髪』(明治34年) なし
・みづほのや(太田水穂)『つゆ艸』(明治35年) そ(曽)、お(於)、え(江)
・佐々木信綱『思草』(明治36年) し(志)、は(八)
・尾上紫舟『銀鈴』(明治37年) なし

当り前の話ではあるけれど、短歌の歴史が日本語の歴史と深く関わっていることを、あらためて感じた。

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2013年01月26日

永井陽子さん

今日は永井陽子さんの命日。
永井さんは2000年1月26日に、48歳で亡くなっている。

永井陽子さんの第5歌集『モーツァルトの電話帳』は、その名の通り、歌が50音順に並んでいるという珍しいスタイルの歌集。この歌集にはいくつか謎があって、あれこれ考えることが多い。

以前 「短歌探偵あらわる」 という記事で取り上げたのも、この歌集の中の1首だった。

いくつかある謎のうち僕が最も気になるのは、50音順の並びに入っていない歌の意味である。『モーツァルトの電話帳』は冒頭に「モーツァルトの」という括りで7首、巻末に「電話帳」という括りで7首の歌が収められている。

言ってみれば、プロローグとエピローグのようなもので、あまり意味はないのかもしれない。でも、この歌集の不思議な成り立ちを思うとき、そこに何かが隠されているような気がしてならないのだ。

そんなことを、もう1年以上も考え続けているのだが、今のところ何もわからないままである。

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2013年01月25日

もの洗い歌の系譜

先日、ある歌会で「小豆を洗ふ」という歌があった。
その歌の批評をする時に、「短歌には、もの洗い歌の系譜があって…」などと冗談交じりで言ったのだが、実際に、台所で何かを洗っている歌というのはけっこう見かける。
嘘つきて憎みてかつは裏切りて夕べざぶざぶ冬菜を洗ふ
         河野裕子『ひるがほ』
すでに怒りを言葉にしない妻にして笊に苺を洗う音する
         吉川宏志『夜光』
怒りつつ洗うお茶わんことごとく割れてさびしい ごめんさびしい
         東 直子『青卵』

試しにこうやって歌を引いてみると、その特徴が見えてくる。
一心にものを洗いながら、そこに何か感情をぶつけたり、吐き出したり、鎮めたりしているのだ。

最近、台所に立つ機会が多いので、こういう歌の味わい方がだんだんとわかるようになってきた。

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2013年01月24日

今野真二著 『百年前の日本語』

副題は「書きことばが揺れた時代」。

今から100年前、明治時代の日本語はどのように書かれていたのか。漱石の自筆原稿や当時の新聞、雑誌、辞書などを取り上げて、現在との違いやその意味するところを論じている。

本書の特徴は、数多くの図版を載せて、明治時代の書きことばの豊富な例を具体的に示している点にあるだろう。漢字や平仮名の字体、仮名遣い、振仮名、漢語の読みなどの多様さが、実に印象的である。まさに、百聞は一見に如かずだ。

私たちは「漱石の小説は当て字が多い」などとよく言ったりするが、この本を読むと、それが当時の日本語の書き方としては別に特別なことではなく、むしろ普通のことだったことがわかる。そのあたりは、現在の眼で見ていてもわからないのだ。
明治期とは、「和語・漢語・雅語・俗語」が書きことば内に一挙に持ち込まれ、渾然一体となった日本語の語彙体系が形成された「和漢雅俗の世紀」であった。

といったあたり、明治の和歌革新ともつながる話であろう。日本語と短歌というテーマで考えてみるのも面白そうだ。

2012年9月20日、岩波新書、700円。

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2013年01月23日

黒瀬珂欄著 『街角の歌』


2006年に「ふらんす堂」のホームページに1年間連載された文章を1冊にまとめたもの。
1月1日から12月31日まで、1日1首、全365首に200字程度の鑑賞を付けている。

「煙突」「ポスト」「飛行場」「ビル」「トラック」「変電所」「図書館」「パチンコ」など、都市を彩る様々な風景を詠んだ歌。1首1首も面白いのだが、それらが集まることで、明治から現代にかけての都市の移り変わりと、そこに生きる人々の心理の変化が鮮やかに見えてくる。

日付と対応した歌が引かれていることもある。
ビルあまた悲鳴をあげて立つ街を飲み水求めさまよい歩く
          廣田由佳理  (1月17日)
都べに兵ら乱るる夜ごろなほまどかなる面を妻に向けゐき
          山本友一   (2月26日)
おほいなる天幕のなか原爆忌前夜の椅子らしづまりかへる
          竹山 広   (8月9日)

有名な歌人の歌だけでなく、非常に幅広く歌を集めている点も、本書の特徴だろう。
365首あって、同じ歌人の歌は出てこない。つまり365人の歌が載っている。
そうしたアンソロジーとしての面白さも十分に味わえる1冊である。

2008年4月1日、ふらんす堂、2000円。

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2013年01月22日

日本現代詩歌文学館

先日の角川短歌賞・俳句賞の後の新年会で、乾杯の挨拶に立った篠弘さんが、詩歌文学館をもっと利用してほしいという話をされていた。

日本現代詩歌文学館 は、明治以降の日本の詩歌(詩、短歌、俳句、川柳など)全般にわたる図書、雑誌、同人誌などを収蔵している文学館。

収蔵点数は、図書・雑誌だけで100万冊以上という膨大なもの。これを利用しない手はない。岩手県の北上市にあるので、現地に足を運ぶのは少し難しいけれど、資料のコピーを郵便や宅配便で送ってくれる。

それだけなら一般の図書館でも同じなのだが、詩歌文学館のすごいのはレファレンスが充実しているところ。問い合わせへの回答や調査の代行を積極的に行ってくれる。例えば〈1987年から1993年の「短歌人」に載った永井陽子さんの作品をすべて読みたい〉というような要望にも、気軽に応じてくれるのだ。

本当に便利だし、ありがたい。
短歌関係の評論を書いたり研究をしたりされる方は、ぜひ一度利用してみて下さい。
「塔」のバックナンバーもほぼすべて揃っています。

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2013年01月21日

大鵬と樺太

元横綱の大鵬(納谷幸喜)さんが亡くなった。
新聞などでも報じられている通り、大鵬は1940年、樺太生まれ。
戦後すぐに、母に連れられて北海道に引き揚げてきた人である。

今、連載「樺太を訪れた歌人たち」で敷香(しすか、しくか)郊外にあった「オタス」の話を書いているが、この敷香という町が大鵬の出身地。

当時のガイドブックには
北方ソヴェート領内に源を発した国際河川幌内川の河口、多来加湾に臨む奥地樺太に於ける屈指の都市である。(…)幌内川流域一帯の土木及毛皮の集散地として市況活発、殊に最近は人絹パルプ工場の建設に依り更に興隆の機運に輝いてゐる。人口二万九千。

とある。

大鵬の父はウクライナ人で、ロシア革命を嫌って国外に脱出・亡命した「白系ロシア人」と呼ばれる人々の一人である。日本領の樺太には、こうした人たちが数多く住んでいた。そうした歴史がなければ、大鵬の父と母が出会うこともなかったわけである。

生き別れになった大鵬の父のその後や、引き揚げ船「小笠原丸」の撃沈など、大鵬と樺太をめぐる話には興味が尽きない。
還り来ぬ国土ゆゑことさらになつかしき樺太敷香町北一番街
                  林田恒利『歴洋』

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2013年01月20日

「短歌往来」2013年2月号

連載「樺太を訪れた歌人たち」は2回目。
「北見志保子とオタスの杜(2)」を書きました。
どうぞ、お読みください。

北見志保子については、次号にもう1回書きます。

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2013年01月19日

「詩客」短歌時評 第85回

「詩客」の短歌時評に山田消児さんが〈「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」を解毒する〉という文章を書いている。タイトルを読めばわかるように、金井美恵子さんの文章について取り上げたものだ。

山田さんは同人誌「遊子」と「Es」を中心に活動されている方。「遊子」は読んでいないのだが、「Es」には毎号力作の評論を寄せている。2010年には評論集『短歌が人を騙すとき』(彩流社)を出しており、私が信頼する書き手の一人である。

だが、今回の時評はどうもよくわからなかった。金井さんの文体模写(?)をしたような読みにくい文体のためかもしれない。普段の山田さんの文章は論旨がよく通っていて、賛成するにせよ反対するにせよ、納得できるものが多いのであるが。

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2013年01月18日

「橄欖追放」第112回

東郷雄二さんが短歌批評のブログ「橄欖追放」の 第112回 に川本千栄著『深層との対話』を取り上げている。

その中で東郷さんは、拙著『短歌は記憶する』にも触れて、次のように書く。
完全な戦後世代で戦争の記憶などない川本と松村が、そろって短歌と先の大戦を中心的なテーマとするのはどうしてだろうか。/それはおそらく川本も松村も近代短歌を自己の創作基盤として選んだからではないだろうか。現代短歌ではなく近代短歌をである。

「現代短歌」ではなく「近代短歌」を基盤にしているというのは、なかなか面白い指摘だと思う。このように言われても、別に悪い気はしない。

僕はそもそも近代短歌と現代短歌という区分自体についても懐疑的なのだが、それはともかくとして、近代短歌に心惹かれるものがたくさんあると感じているのは確かである。

短歌史を進化論のように捉えるべきではないというのが僕の基本的な考え方だ。「現代短歌」が「近代短歌」より優れているなんて、一体誰に言えるのだろう。

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2013年01月17日

角川「短歌」2013年1月号

角川「短歌」1月号の座談会は「新しい歌とは何か」。
佐佐木幸綱・花山多佳子・川野里子・穂村弘・光森裕樹の5名が、それぞれ5首ずつの歌を引いて、歌の新しさについて論じている。

人選のバランスも良いし、話も面白くて示唆に富む。みなさん読み巧者で、歌の持つ魅力を最大限に引き出している。こういう座談会は読んでいて楽しい。

ただ、実のところ「新しい歌とは何か」というテーマ設定そのものには、あまり魅力を感じない。それは〈「新しさ」というのが特に求められる評価基準ではないという言われ方は、ここ数年されるようになってきてますね〉という花山さんの最初の発言に象徴されている。

もっとも、僕も以前から全く「新しさ」に興味がなかったのかと言えばそんなことはなくて、2003年4月に立ち上げた短歌評論同人誌「ダーツ」の創刊号の特集は「短歌の新しさとは何だ!」であった。

あれから10年。
時代も変ったし、僕の考え方も変ったということなのかもしれない。

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2013年01月16日

大島史洋歌集 『藍を走るべし』

どこまでも走りぬくから死ぬときは人をみおろす眼をくれたまえ
文学史よみ終えてより灰皿に青白き蛾を焼きつぶしおり
湖のほとりに少女立ちながら写されるときの鼻のたてじわ
林檎ひとつ手にとりながら大空にはばたくことを許されており
にわとりの赤きとさかを悲しめば壁のしみさえ動きそめたる
汽車の笛はるかに聞こゆ一抹の望みというは苦しきものを
かつて君は二人の縁を問いしかなおたまじゃくしを追いまわしつつ
新しき花あまたありこの墓地に色あるものはいのちみじかく
砂のなかに傾きている漁師の家夕暮れて黒き屋根つきだせり
卑しさのわがうちにして芽ぶけるを卓上に火と燃えるアネモネ

16歳から25歳までの作品を収めた第1歌集。
昭和45年に新星書房から出た本が、このたび現代短歌社の〈第1歌集文庫〉シリーズから文庫となって刊行された。

巻末の年譜によれば、作者は高校1年生の秋に「アララギ」会員であった父の勧めにより「未来」に入会している。16歳から短歌を作り続けているわけだ。

この歌集に収められているのは、主に東京で学生生活を送っていた時期のもの。青春歌集ならではの若さと観念性、瑞々しさに溢れている。色彩が鮮やかなのも特徴だろう。

こうした作者の原点とも言える歌集を、文庫で手軽に読めるというのは嬉しいことである。

2012年12月19日、現代短歌社、700円。

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2013年01月15日

『ちんちん千鳥のなく声は』のつづき

山口仲美さんは、擬音語・擬態語をはじめとした日本語学の専門家。『犬は「びよ」と鳴いていた』『日本語の歴史』など、おもしろい本を数多く出している。以前、「短歌研究」で小池光さんとも対談をしていた。

近代・現代短歌で鳥の鳴き声を詠み込んだ短歌はないかと考えると、まず思い付くのはフクロウの歌だ。
梟(ふくろふ)はいまか眼玉(めだま)を開くらむごろすけほうほうごろすけほうほう
                       北原白秋『桐の花』
ほろすけほう五(いつ)こゑ六(む)声郊外の夜霧に鳴きて又鳴かずけり
                       古泉千樫『屋上の土』
病める子よきみが名附くるごろさんのしきり啼く夜ぞゴロスケホウッホウ
                       宮 柊二『日本挽歌』
ごろすけほう心ほほけてごろすけほうしんじついとしいごろすけほう
                       岡野弘彦『飛天』

それぞれ「ごろすけほうほう」「ほろすけほう」「ゴロスケホウッホウ」「ごろすけほう」という言葉でフクロウの鳴き声を表している。こうした例をいろいろと探してみるのも面白そうだ。

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2013年01月14日

山口仲美著 『ちんちん千鳥のなく声は』

副題は「日本語の歴史 鳥声編」。
1989年に大修館書店より刊行された『ちんちん千鳥のなく声は―日本人が聴いた鳥の声―』を文庫化したもの。

和歌や狂歌、物語、狂言、童謡、唱歌など数々の文献を調査して、日本人が鳥の鳴き声をどのように言葉で表してきたかを歴史的に考察している。取り上げられているのは「カラス」「ウグイス」「ホトトギス」「トビ」「ヌエ」「スズメ」「フクロウ」「キジ」「チドリ」「ウトウ」「ガン」「ニワトリ」の12種類の鳥。

著者は「写声語」(実際の声をできるだけ忠実に再現したもの)と「聞きなし」(普段使っている言葉に当てはめて声を聴くもの)という二つの概念を用いて、鳥の鳴き声を探り当てていく。

その結果、明らかになるのは、実にさまざまな鳴き声の変遷である。そこではウグイスが「ヒトクヒトク」と鳴いたり、スズメが「シウシウ」と鳴いたり、ニワトリが「カケロ」と鳴いたりしている。

こういう本を読むと、やはり学者というのはすごいなあと思う。専門的な知識や文献の調査力ももちろんだが、その成果を一般の人にもわかるように伝える力というものに驚かされる。

2008年11月6日、講談社学術文庫、1050円。

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2013年01月13日

指南役著 『幻の1940年計画』

昭和15年、1940年には紀元2600年にあわせて「東京オリムピック」が開催され、「日本万国博覧会」も行われる予定だった。そんな「実際にあり得たかもしれない歴史」をたどることで、戦前から戦後にかけての歴史を見直そうという一冊である。

他にも1940年に初めてのテレビドラマが放映された「テレビジョン」、1940年に帝国議会で計画が承認された「弾丸列車」といったものが取り上げられている。

1964年に開催された「東京オリンピック」の第2会場となった駒沢競技場が、1940年の「東京オリムピック」のメインスタジアム予定地であり、1970年の「日本万国博覧会(大阪万博)」で1940年の「紀元二千六百年記念日本万国博覧会」の前売り入場券が使用できたといった話を知ると、戦前と戦後が一続きのものであることがよくわかる。

「新かな」や「当用漢字(常用漢字)」「新字体」といった戦後の国語改革も、戦後に初めて考え出されたものではない。戦前と戦後を分断して見るのではなく一貫した歴史としてとらえることが、今後ますます大切になっていくだろう。

著者の「指南役」は草場滋を代表とするエンターテインメント企画集団。この本もサブカルチャー系の書き方でやや軽いところもあるのだが、そうした新しい歴史観がはっきりと打ち出されている。

2009年4月6日、アスペクト、1500円。

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2013年01月12日

「短歌研究」2013年1月号

「歌は時代を生きる」という特集に、14名の歌人が作品10首+エッセイを寄せている。

その中で来嶋靖生氏の「歌う歌 歌えぬ歌」と題する文章が気になった。
さて歌は時代とともに生きる、というのはその通りだが、日本人にとっての歌は、短歌だけではなく、もっとひろく詩、俳句、川柳なども含めて考えるべきであろう。さらにまた文芸だけでなく音楽の歌も併せて考えるべきであろう。むしろメロディーのつく歌のほうが理解の範囲は広い。私は幼児の頃から両方の歌を友として育ってきた。しかも時代が時代だから童謡唱歌はもちろん、軍歌や戦時歌謡、流行歌などが愛唱歌の中心を占めてきた。

「時代が時代だから」というのは1931(昭和6)年生まれの氏が育った時代のことを言っている。これに続けて来嶋氏は次のように書く。
近頃歌人と軍歌について言及する文章を散見するが、私の読むかぎりいずれもピント外れで話にならない。やはり戦時の空気を吸っていない人には通じないようだ。已むを得ぬことではあるが。

この論理には、どうも賛成できない。

その時代を生きた人にしかわからないことがあるというのは、確かであろう。しかし反対に、その時代を生きたがゆえに、かえって見えなくなっている部分というのもあるのではないだろうか。本当に私たちは、自分の生きた時代のことならわかると言い切れるのかどうか疑問である。

それに、もし来嶋氏の論理を認めるなら、誰も古典和歌のことなど語れなくなってしまう。その時代に生きていた人など今はいないのだから。それどころか、正岡子規のことすら論じられなくなってしまうだろう。

「ピント外れで話にならない」とまで言うのなら、具体的に誰のどの論のどこがおかしくて、自分はどのように考えるのか、まずは例を挙げて述べてみてはどうだろう。そこから、ようやく世代を超えた議論がスタートするのだと思う。

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2013年01月11日

高木佳子歌集 『青雨記』

合歓の葉の閉づる夜なれば両膝をかたく閉ざして少女も眠る
やうやくに泣きやみたりしをさなごの顔、睡蓮の湿りを持ちて
ぶつぎりの鶏とAとを鍋に入れかぶるくらゐのみづを入れます
この人の母韻を長く引く癖をゆふぐれを飛ぶ黄蜂と思ふ
巨き都市より帰りきたれる疲れあり指先に挟むまなかひの丘
ひいやりと肘が冷たきことを言ふ、腕(かひな)にかひな絡ませながら
濯がれて水菜は水より引き抜かれ息ふきかへすさみどりのひと
バゲットを待つやうに待つわが父の焼きあがり時刻午後四時三十分
  避難する人を見送る
この街を出てゆくといふ、をさなごをかばんのやうに脇に抱へて
目の前にぶらさがつてゐる葡萄へは届く声高、だつたのだらう

第2歌集。作者は「潮音」に所属するかたわら個人誌「壜」を発行し、福島県いわき市から発信している歌人。この歌集で第13回現代短歌新人賞(さいたま市主催)を受賞した。

まずは1首1首の完成度、言葉の凝縮力に注目すべきだろう。巧みや比喩やイメージの融合が豊かな世界を生み出している。また「このをんな」で始まる歌をならべた「鏡像」や「…はずでした」を繰り返す「poule au pot(鶏のポトフ)」など、意欲的な連作も多い。

巻末に置かれた「見よ」50首は、東日本大震災とその後の被曝の状況などを詠んだもの。主題と修辞を十分に兼ね備えた震災詠となっている。被災地で暮らす悩みや不安、それでも失わない希望を描き出していて、強く印象に残った。

2012年7月30日、いりの舎、2000円。

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2013年01月10日

緑の館

2月23日(土)に行う勉強会「近世から近代へ―うたの変遷」の会場となる「緑の館」へ、先日下見に行ってきました。京都駅から歩いて15分ほど、梅小路公園の一角に立つ三角屋根の建物です。

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建物の中にはカフェ&レストラン「greenhouse CoLLabo」(グリーンハウスコラボ)があり、休日は家族連れで賑わっています。勉強会で使う1階のイベント室は池泉回遊式の庭園「朱雀の庭」に面していて、かなりの広さ。2階には和室や茶室もあります。

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梅小路公園と言えばこれまで芝生広場と蒸気機関車館のイメージが強かったのですが、昨年の京都水族館のオープンを皮切りに今後再整備が進むようです。2014年には「市電ひろば」が、2016年には鉄道博物館ができるとのことで、鉄道ファンの一人として楽しみにしています。

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2013年01月09日

青田孝著 『箱根の山に挑んだ鉄路』

副題は「『天下の険』を越えた技」。

小田原と強羅を結ぶ箱根登山鉄道。その中でも箱根湯本〜強羅の8・9キロは標高差445メートル、最大勾配80パーミル、最小半径30メートルという過酷な条件のもとに運行している。その歴史や意義、またそれを支える技術などを記した本。

昨年末に箱根へ行った時に乗ってきたところなので、文中に出てくる地理などもよくわかって楽しい。東海道線が当初小田原を通らずに御殿場回りのルート(現御殿場線)で建設されたことに対する危機感が、箱根登山鉄道を生んだということを初めて知った。

最後の第4章では、新宿と箱根湯本を結ぶ小田急電鉄のロマンスカーについて、詳しく論じている。
「箱根と言えば小田急、小田急と言えば箱根」。1927(昭和2)年4月1日、新宿〜小田原間で開業した小田急電鉄は、箱根とは切っても切れない間柄である。その象徴とも言えるのがロマンスカーだ。

私の生家の最寄り駅は小田急線の玉川学園前駅。小田急線は子どもの頃から一番なじみのある電車である。家族や友人と箱根によく出掛けていたのには、そうした地理的な理由もあったのだろう。

2011年8月15日、交通新聞社新書、800円。

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2013年01月08日

伊藤一彦歌集 『待ち時間』

青春は平凡を嫌ひ月並を忌むものならむ冷ややつこ食ぶ
はつなつの白神岳を登りきてちちいろの霧めをつむり吸ふ
重ければ乳母車に乗りわが家に来し冬瓜のすずしき緑
牧水の泊りし部屋をそのままに時とどまれる法師温泉
花梨ジャム小さい瓶はうすべにに大きい瓶は濃き紅に照る
報道はされず 寄り添ひ仲間なる牛の涎を舐めやりし牛
石灰は雪のごとしも埋葬にあらぬ埋却の巨大なる穴
東日本大震災を語りをりたつた一人の遺体も見ずに
腰弱き日向のうどん食べ終へてともあれ今日を締めくくるなり
仕舞屋(しもたや)の一軒としてある生家他人のごとく通りすぎたり

第12歌集。
2007年から2012年までの作品387首が収められている。

この歌集の特徴の一つとして、旅行詠が多いことが挙げられるだろう。
引いた歌の中では2首目と4首目がこれに該当する。
後記によれば、秋田、群馬、富山、山形、岡山、鳥取、徳島、高知、山口、福岡などへ行った際の歌が入っているとのこと。

もう一つは著者の住む宮崎県で起きた口蹄疫感染の歌。
引用歌では6首目と7首目。
この口蹄疫問題について詠んだ歌が、一番力が入っている。

歌集全体としては、やや擬人法的な詠い方が多いのが気になった。
どれくらいを「ちょうど良い」と感じるかが、人によって随分と違うのかもしれない。

2012年12月19日、青磁社、2800円。

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2013年01月07日

乙女峠

「塔」12月号を読んでいたら、こんな一首があった。
乙女という死語の名を持つ峠にて翳りもあらぬ空を見上げる
              関野裕之

乙女峠は箱根と御殿場の境に位置する峠。天気が良ければ富士山をきれいに見ることができる。短歌にもよく詠まれる峠である。
乙女峠の上りのみちに葉蕨に交りて萌えぬおそき蕨は
           高安やす子『樹下』(箱根)
乙女峠に風さむくして富士が嶺の裾野に響き砲うつを見つ
           斎藤茂吉『あらたま』(箱根漫吟)

以前にも書いた通り、高安やす子には箱根を詠んだ歌がいくつかある。
斎藤茂吉もまた強羅に山荘を持ち、箱根の歌を数多く詠んでいる。

高安やす子の箱根の歌を読んでいると、そこには師である斎藤茂吉の影響が非常に強く感じられる。いくつか歌を引いてみよう。
八峯(やつを)越え溢れくる雲分きしらず箱根の峡を埋みゆくらし
ここにして雲の乱れに見えかくる高山肌の黒き寂しさ
白雲は谿より湧きて高嶺(たかね)よりおりくる雲と乱れあひたり
わが心しづかにあらむ山の上に雲のゆきかひ常なかりけり
              高安やす子『樹下』
たたなはる八峯(やつを)の上を雲のかげ動くを見れば心すがしも
さやかなる空にか黒き山膚(やまはだ)はうねりをうちて谿にかくろふ
              斎藤茂吉『あらたま』
まながひに雲はしれども遠雲(とほぐも)は動かぬごとし谿をうずみて
おのづから寂(さび)しくもあるかゆふぐれて雲は大きく谿にしずみぬ
              斎藤茂吉『ともしび』

用語やモチーフ、調べといった点に共通しているものがある。これは、単なる「影響」というだけではないだろう。おそらく選歌の段階で、茂吉の手がだいぶ入っているのではないか。そう感じるほどに両者は似通っている。

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2013年01月06日

栗原俊雄著 『20世紀遺跡 帝国の記憶を歩く』

「20世紀遺跡―近現代史をめぐる」という題で毎日新聞に連載された記事の中から22回分を選び、加筆修正して一冊にまとめたもの。

取り上げられているのは「東京・仮埋葬地」「北九州・軍艦防波堤」「福岡県飯塚・ボタ山」「川崎市・登戸研究所」「東京都台東区・はなし塚」「長野・文化柱」「和歌山県美浜町・アメリカ村」など。いずれも20世紀の歴史と深く関わりのある場所だ。

著者は『戦艦大和―生還者たちの証言から』『シベリア抑留―未完の悲劇』『勲章―知られざる素顔』などの著書を持つ新聞記者。近現代史の当事者から丹念に話を聞き、それを基に本を書くという地道な作業を続けている。本人の言葉を借りれば、〈それは、誰かが伝えなければ「なかったこと」になってしまう記憶を、歴史に記録する試み〉である。

こうした考え方には非常に共感する。
僕が「短歌往来」に「樺太を訪れた歌人たち」という連載を始めたのも、まさにこうした思いからだ。

戦争責任の問題に触れる時の著者は、新聞記者らしい正義漢ぶりを発揮していて、そこにやや違和感を覚える。ただし全体としては、現場を歩いて貴重な証言を集め、自らの力で近現代史について深く考察した良質な一冊と言っていい。

2012年11月25日、角川学芸出版、1600円。

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2013年01月05日

「未来」2013年1月号

巻末の後記に岡井さんが
◇から松林をかすめて飛ぶ鳥たちの中にたしかな詩があるのは本当だ。

と書いているのに目が止まった。

これは、何か元になる言葉があるのだろうか。
それとも、たまたまどこかで見かけた光景か。

これを読んで思い浮べたのは高安国世の歌。
重くゆるく林の中をくだる影鳥はいかなる時に叫ぶや   『新樹』
からまつの雪の上の影の五線譜を弾(ひ)きのぼる影はヒガラの一羽
から松の直立つ幹を縫いながら群鳥森を横切る斜線   『湖に架かる橋』

高安は落葉松と鳥の組み合わせで何首も歌を詠んでいる。

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2013年01月04日

花山多佳子歌集 『木立ダリア』

渋滞にバス止まるたび大犬がかたへの視野にあらはれてくる
思はざるところにメトロの入口があれば降りゆく夜を別れて
しばらくは渚のかぜに吹かれゐるごとくに瞑る地下のホームに
ふつくらと苔にどんぐり埋まりをり冬場れの日の椎の木の下
焼け出され金瓶に来し妻と娘(こ)の影すらあらず歌集『小園』に
米はまづネーミングが大事といふ話(はなし)しつつ山形の蕎麦を味はふ
いつごろか息子の鼻の隆起してわが幼子はゐなくなりたり
かたはらに老女の日傘たたまれて欅通りにバス現はるる
颱風に電車とまりてそれよりは見知らぬ人らと夜をさまよふ
秋の寝覚めのテレビには見るはるかなるカリフォルニアの山火事のいろ

2007年1月〜12月に「歌壇」に連載された30首を中心にまとめた第9歌集。
398首を収める。

日常の何でもない場面のちょっとした感じや味わいを詠んだ歌が多い。
こうした微妙な感覚を言葉でとらえるのは、実は非常に難しい。

例えば、2首目は「あれば」が大事。ここが「ありて」となるとダメ。
10首目は「テレビには見る」がいい。「テレビに見る」ではダメなのだ。

1首目の「かたへ」、7首目の「かたはら」といった意識の向け方も、作者らしいところ。
中心ではなく周辺の、ややぼんやりした部分を詠むのが得意なのである。
うらうらと兵児帯ひきずりつつ歩くマンション四階の独居老人
ひきずられてゆく兵児帯に従(つ)きあるく子でありしかな猫のごとくに

この2首だけではわかりにくいが、父を詠んだ歌である。
後に詠まれることになる
老いて父は逝きにしものを若き父のおもかげのみのまざまざとして
幼くてわれは掴みき若き父が畳に引き摺る兵児帯の先を
          「短歌研究」2011年9月号

といった歌とあわせて読むと、しみじみとした気持ちになる。
「兵児帯」は作者にとって忘れられない父の記憶と深く結びついているのだろう。

2012年8月20日、本阿弥書店、2600円。

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2013年01月03日

さらに『大阪アースダイバー』のつづき

河内の盆踊りについて記した部分。
河内の「原人」たちは死の感覚に敏感で、死者の霊を送ったり迎えたりする作法を、厳格に守ってきた。そのなごりが真夏の盆踊りである。河内音頭に合わせて、河内人が忘我の表情で躍り続ける。踊りの輪は渦を巻き、生き物のように伸縮をくり返しながら、目に見えないなにものかを、踊りの輪の中に巻き込もうとしている。古代の河内人はそれが先祖の霊であることを、はっきりと知っていた。

これを読んで思い出すのは、次の一首。
またひとり顔なき男あらはれて暗き踊りの輪をひろげゆく
              岡野弘彦『滄浪歌』

まさに、この歌の解説と言ってもいいような文章だと思う。もちろん、岡野の歌に詠まれているのは「先祖の霊」と言うよりは「戦死者の霊」であるが。

岡野のこの歌は、やはり名歌と言っていいだろう。
わずか31音で、死者に対する感覚と鎮魂の思いをみごとに表している。

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2013年01月02日

『大阪アースダイバー』のつづき

船場の商家の暮らしを記した部分。
こうして、見所のある、辛抱のできる丁稚は認められて、番頭になれた。さらに番頭はんの仕事ぶりが認められて、これは優れ者やと認められれば、極楽とんぼのような「ぼんぼん」を差し置いて、自分の働いている商家のご令嬢である「いとはん」の婿に選ばれて、「旦はん」になることだって、夢ではなかった。

このあたり、先日聴いた上野誠さんの講演「折口信夫の挑戦」にも出てきた話だ。

高安国世も船場の道修町の生まれ。幼少時は病弱のため芦屋の別邸で過ごすことが多かったが、大阪市立愛日小学校に入学してからは、道修町に住んでいる。

高安国世は女3人男3人の6人きょうだいの末っ子。国世の姉、石本美佐保の『メモワール・近くて遠い八〇年』には、道修町での暮らしのことが詳細に書かれている。その中に、女中さんたちが彼女たちを呼ぶ時の呼び方が載っている。
綾子(長女)  お嬢さん、イトハン
美佐保(次女) 中イトハン
英子(三女)  小イトハン、コイサン
彰(長男)   ボンボン
正夫(次男)  中ボン
国世(三男)  コボンチャン

女中さんたちから「コボンチャン」と呼ばれ、大事にされていた子供時代の高安国世の姿が浮かんでくる。

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2013年01月01日

謹賀新年

新年あけましておめでとうございます。

今年は「塔」に3年間連載した「高安国世の手紙」を一冊の本に
することが一番の目標です。高安国世の生誕100周年に合わせて。

それと、『やさしい鮫』(2006年)以来となる第3歌集も
何とか出したいと考えています。これは、お金次第ですね。

このブログをお読みくださっている皆さん(200名くらい)には、
いつも感謝しています。今後とも、どうぞよろしくお願いします。

posted by 松村正直 at 08:52| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする