2012年11月30日

山口晃展

美術館「えき」KYOTOで開かれている「山口晃展〜山口晃と申します 老若男女ご覧あれ〜」を見に行く。山口晃の作品を見るのは、以前、上野の森美術館で会田誠と二人の展覧会を見て以来。

会場に入ってすぐ、「門前みち/軍艦」という2枚のスケッチがある。これは、全く別の対象を同じ構図で描いたもの。この2枚を見ただけで、山口晃の世界に引き付けられてしまう。

ちらしにも使われていた「邸内見立 洛中洛外圖」では、京都の町を一軒の邸に見立てて描いている。「御所」は「碁所」になってみんなが碁を打ってるし、「京大」は「鏡台」に、「金閣寺」は「きんかくし」(=トイレ)になっているという具合。

一枚の絵に時代を超えた様々なものが入り乱れ、それでいてなぜか落ち着いている。そんな不思議な世界をたっぷりと味わうことができる。

今回は新聞小説の挿絵の展示もあり、それが毎回違った手法で描かれていることにも驚かされた。一回一回、全く別の描き方なのである。そうした確かな技術の裏打ちがあって初めて、新鮮な発想も生きてくるのだろう。

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2012年11月29日

高島裕歌集 『饕餮の家』

第五歌集。「饕餮」は「たうてつ(とうてつ)」。
亡き父が生きて購ひたるその店へ柱時計を修理に出せり
雪のなかとどろく磯にひとり立つ、海の息吹きに頬を晒して
きんいろの虻とびたちてわがまへに果てなくつづく夏のたかはら
  加茂水族館。
放ちたる乳液のごとけむりつつくらげと呼べるいのち漂ふ
蜘蛛のゐる浴室に朝の沐浴(ゆあみ)せり。窓のひかりに湯気は耀(かがや)く
春までになほいくたびか閉ざされむ。雪こそはわがひととせの繭
われへわれへとあなたを連れて遡上する。夕暮れまでに間に合ふだらう
文机、しづけき夜に物書けばこころの底にみづうみの見ゆ
天空に肋(あばら)晒して喘ぎをり、見えざる「線」を吐き出しながら
ふるさとは取り替へられぬ。くれなゐの同心円の中のふるさと

1首目は「生きて」がいい。「亡き父が購ひたる」なら普通だが、そこを「生きて購ひたる」としたことで、父の存在感と生家に流れる長い時間が感じられる歌となった。

5首目は朝風呂に入っているだけの歌だが、何とも美しい。下句「窓のひかりに湯気は耀く」はシンプルだが、朝日の差し込む感じや湯舟から立ち上る湯気の感じ、そして作者の喜びをうまく表している。

8首目は福島の原子力発電所を詠んだ歌。他にも「体液を噴いてのたうつ象たち」といった比喩も使われている。原発に対する立場は人それぞれであるが、イメージの喚起力の強さに目を見張る。

世の中には器用で歌の上手な歌人はたくさんいるが、「この人は本物だ」と感じる歌人は意外に少ない。高島裕はそんな本物を感じさせる歌人の一人である。

高島のうたの特徴は、歌柄の大きさと調べの良さだろう。うたという様式に対する全幅の信頼がそこからは感じられて、(かすかな危うさを孕みつつも)心地よい。

この歌集は一般的な歌集の出版社ではなく、富山の発行所から出版されている。そんなところにも、高島のふるさとに寄せる一貫した思いが強く滲んでいる。

高島は第1歌集『旧制度(アンシャンレジーム)』でながらみ書房出版賞を受賞して以来、短歌の賞とは縁がない。結社から離れてひとりで歌を作っていることも影響しているのかもしれない。もっともっと評価されてしかるべき歌人だと思う。

2012年10月24日、TOY、2500円。

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2012年11月28日

映画「カミハテ商店」

監督:山本起也 出演:高橋惠子、寺島進、あがた森魚ほか

京都造形芸術大学の学生とプロが共同で毎年1本の劇場公開作品を制作する「北白川派」の第3作。山陰の路線バスの終点にある小さな港町、そこにある古ぼけた商店が舞台となっている。

この映画を見ようと思ったきっかけは、隠岐の海士(あま)町でロケが行われたという話を聞いたこと。海士町(隠岐の中ノ島)は一昨年の夏に旅行で訪れたことがあり、親しみを感じているのだ。

あまり期待せずに見に行ったのだが、そんな予想を裏切るくらい良い映画だった。
ワンシーン、ワンシーンが丁寧に撮られているという感じ。
途中で京都の知っている場所(創栄図書印刷の前の通り)が出てきたのでびっくりした。

「北白川派」の次回作は林海象監督、永瀬正敏主演で進行中らしい。
今から公開が楽しみである。

京都シネマ。104分。

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2012年11月27日

「短歌人」2012年12月号

巻末に綴じ込まれた用紙に「カンパ名簿」と「会計報告」が載っているのに注目した。
会計報告を誌面に載せている結社は珍しいのではないだろうか。
「塔」でも何度か議論をしたことはあるが、残念ながら実現していない。

会計報告の収入と支出を見比べてみると、一口3000円のカンパによって、かろうじて不足分をカバーしている状況であることがわかる。

これは「短歌人」に限らず、どこの結社も似たようなものだろう。
「塔」も2010年まで3年連続の赤字で、昨年は値上げによって何とか黒字となったのだが、それも「発行基金寄付」という名目のカンパのお蔭である。

事務や校正や編集などをすべて会員のボランティア(無償)によってまかない、さらにカンパも得て、それで何とか収支がトントンになるのだ。それほどに、毎月雑誌を発行するというのは経済的に大変なわけである。

今年の「塔」の収支はどうなっているだろうか。
年末の会議を前にして、また心配になってきた。

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2012年11月26日

金井美恵子論に対する反応

金井美恵子さんの論考「たとへば(君)、あるいは、告白、だから、というか、なので、『風流夢譚』で短歌を解毒する」について、ようやく紙媒体での反応が現れた。あのまま歌壇全体がスルーしてしまうのかと思っていたので、ひとまず良かったと思う。

一つは、11月19日の毎日新聞の短歌月評に「短歌否定論」という題で大辻隆弘さんが書いているもの。短い文章だが、主張すべきことを主張しているという印象を受ける。

もう一つは「短歌研究」12月号の座談会。こちらは「金井美恵子の現代短歌批判」という小見出しで、2ページあまりにわたってこの話題について議論している。

ただし、内容的には島田修三さん一人が憤慨しているだけで、他のメンバーは「ただ、…」「ただまあ、…」「でも、…」という具合にむしろ島田さんを宥めている感じ。あれだけ短歌をコケにされているのに、どこまで人が好いのだろうと思ってしまう。

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2012年11月25日

角川「短歌」昭和48年5月号(その4)

小池光は、短歌を作り始めた時期が遅かったことを、しばしば口にしている。例えば角川「短歌」2009年8月号の特集「小池光の三冊」のインタビューでは
もう四十年近く昔のことで、僕自身が大体忘れてるから何とも言えないなあ。ただ、一つには、僕は遅れて歌を作り始めた、二十代の後半のこと。だけどこの歌集にある歌って、十代の感じでしょ。(…)

と述べている。

この「遅れて歌を作り始めた」という意識は、小池にとってかなり決定的な意味を持っているように感じる。小池(昭和22年生まれ)の同世代や少し上の世代の歌人の多くが十代〜二十歳にかけて短歌を作り始めているのに対して、小池は始める年齢が遅かった。

それは年齢だけのことではない。永田和宏(昭和22年)や三枝昂之(昭和19年)らが学生時代に前衛短歌の最後の影響を強く受けたのに対して、小池は時代的にも「遅れて」しまったのであった。

昭和52年頃の思い出を、小池はエッセイ「昔話」の中で、こう書いている。
短歌のシンポジウムのような会合にはじめて出てみたのもこのころだったと思う。場所も時期ももはや覚えていない。客席のいちばんうしろから壇上の永田和宏や河野裕子を仰ぎ見る思いで遠望した。壇上までの距離は、船岡から東京までくらいにも遠かった。

同世代の歌人たちの活躍を眩しい思いで見ていた小池光の姿である。その距離感を、ふるさとと東京の距離に喩えているところにも、小池らしさがよく表れている。(おわり)

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2012年11月24日

青年団第68回公演「銀河鉄道の夜」

原作:宮沢賢治、作・演出:平田オリザ。
出演:鄭亜美、木引優子、小林亮子、たむらみずほ、渡辺香奈。

茨木市市民会館ユーアイホールでの上演。ホールは約1000席という大きさであるが、その客席はまったく使わず、舞台上に仮設された客席で観劇する。20席×5段=100名という規模。最前列に座ったので役者さんとの距離は1メートルもない。

この「銀河鉄道の夜」は、もとは2010年にフランスの児童向けに上演した作品を、今回日本語版に書き換えたもの。2011年3月の東日本大震災を経て、この物語の持つ意味はさらに大きなものとなったように感じた。

カムパネルラの着ている服(水色のシャツに黒のベスト)が、最後にスクリーンの映像に溶け込むように消えていくシーンが、美しくまた悲しく、印象的だった。

上演後は平田オリザさんのアフタートークもあり、観客との間で活発な質疑応答が行われた。

上演時間:約60分。

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2012年11月23日

遺棄死体

遺棄死体数百といひ数千といふいのちをふたつもちしものなし
             土岐善麿『六月』

これは、昭和15年に桐谷侃三(ペンネーム)という人物が善麿批判をする際に取り上げた一首として知られている。桐谷はこの歌を、日本軍の残虐性を非難した内容と読んだのであった。

これに近い読みは、現代でもなお続いている。戦前とは評価が正反対になるが、この歌を命の大切さを詠んだ一首と読み、そこに善麿のヒューマニズムや反戦思想を読み取るのである。

そうした風潮を覆したのが、2005年に出た三枝昂之著『昭和短歌の精神史』であった。三枝は当時の新聞記事などをもとに、まず「中国軍兵士の遺棄死体は、日中戦争を通じて日本軍を悩ませた」という事実を明らかにする。その上で、
「遺棄死体数百といひ数千といふ」。遺棄する主体は中国軍である。表現が伝えるのは数百数千という多数の兵士を遺棄することへの憤りである。だから「いのちをふたつもちしものなし」と、一人一人はかけがえのない個人ではないか、と遺棄する側に対して詰問調になるのである。

と結論づける。つまり、死体を遺棄する中国軍への批判の歌と読んだのだ。
この論理の展開は実に鮮やかだ。

三枝は2001年刊行の共著『昭和短歌の再検討』所収の「土岐善麿、昭和二十一年の黙思」でもこの歌について触れているが、そこではまだこうした読みには至っていない。その後の進展が著しいのである。

今日、古い「アララギ」(昭和12年11月号)を読んでいて、ある歌に目がとまった。アララギの選者の一人であった竹尾忠吉の一首である。
遺棄したる死体数千といふ支那は戦死を如何に取扱ふならむ

これを読めば、死体を遺棄する中国軍を批判していることはすぐにわかるだろう。善麿の一首も、まずはこうした文脈で読むことが大切なのだ。

その上で、この読み間違えようのないストレートな竹尾の歌と、いろいろに読むことができる善麿の歌の差異について、考えてみるのがいいのではないだろうか。そうした手順を踏んで初めて、善麿の歌の本質が見えてくるのだと思う。

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2012年11月22日

角川「短歌」昭和48年5月号(その3)


小池光は自伝的エッセイ「昔話」の中で、自作の
一夏過ぐその変遷の風かみにするどくジャック・チボーたらむと
                『バルサの翼』

に触れて、次のように書いている。
この一首は角川『短歌』の読者歌壇で塚本邦雄選で特選になった。マルタン・デュガールの『チボー家の人々』は、当時文学っぽい学生なら必ず読んだ青春の通過儀礼のような大河小説である。(…)この翌月だったか斎藤史選でも特選になり、塚本邦雄と斎藤史の特選になったのでそれきり投稿の時代は終わってしまった。

おそらく、この「斎藤史選でも特選になり」というのが
折れやすい首だから群を擢(ぬきん)でて硝子細工の馬のかなしみ

の一首なのだろう。

小池の第1歌集『バルサの翼』(1978年)は「一九七七年」「一九七六年」「一九七五・一九七四年」という逆年順の三部構成となっている。そして〈一夏過ぐ…〉は歌集の掉尾を飾る一首となっているのだが、〈折れやすい…〉の方は歌集には収められていない。(つづく)

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2012年11月21日

秋山真志著 『職業外伝 紅の巻』


現代の日本で絶滅寸前になっている職業に関するルポルタージュ。
取り上げられる職業は全部で12種類。飴細工師、俗曲師、銭湯絵師、へび屋、街頭紙芝居師、野州麻紙紙漉人、幇間、彫師、能装束師、席亭、見世物師、真剣師。いずれも、確かに今ではほとんど見かけることのない人々である。

こうした職業に対する思いを、著者はこんなふうに述べている。
結局、ぼくという人間はいつもこうなのだ。子供時分に見たかった見世物小屋を見ていない。街頭紙芝居も門付け芸人にも触れることができなかった。子供の頃から寄席に通っていれば、高座で接することもできた先代の文楽も志ん生も見ていない。時代的にかろうじて間に合った世代なのに。
1958年生まれの著者は、高度経済成長期にさまざまな職業が失われていくのと入れ替わるように成長してきた世代なのだろう。それゆえに、失われゆく職業に対する思い入れが人一倍強く、熱のこもったルポとなっている。

本書は2005年に刊行された単行本の文庫版で、巻末に「文庫版追記―それぞれのその後」が書き加えられている。文庫版のあとがきや追記には、寂しい結末が記されていることも多いのだが、本書はそうではなかった。2人の方が亡くなっている他はみな元気で、新たに後継者ができた人もいる。

何だか少しホッとした。

2012年10月5日発行、ポプラ文庫、680円。

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2012年11月20日

角川「短歌」昭和48年5月号(その2)


この号で他に目に付くのは、長編小説が2編連載されていることだ。渡辺淳一「冬の花火」と三浦綾子「石ころのうた」がともに連載の第14回。

中城ふみ子について書かれた「冬の花火」が角川「短歌」に連載された小説であったことを、今回初めて知った。今は短歌雑誌に小説が連載されることなどないので、ちょっと意外であった。

しかし、この号で一番注目したのは、茂吉の特集でも「冬の花火」でもない。
読者短歌である。

佐藤佐太郎と斎藤史がそれぞれ特選・秀逸・佳作を選んでいるのだが、斎藤史選の特選7首のなかに、小池光の1首があったのだ。
折れやすい首だから群を擢(ぬきん)でて硝子細工の馬のかなしみ
住所は「仙台市大手町」となっている。東北大学の大学院に在籍していた頃だろう。
斎藤史は選評で
とらえ方の角度がややちがうだけで、たしかにとらえている。結句の「かなしみ」を表面に言うか、言わないかが、考えどころ。出したために歌全体が薄手になる場合もあることを。この作品では、透明になることはかまわないが、薄くはしたくない―と迷うところであろう。
と記している。(つづく)

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2012年11月19日

角川「短歌」昭和48年5月号(その1)


古い短歌雑誌を読んでいると、いろいろな発見があって面白い。

「短歌」昭和48年5月号では「没後二十年、斎藤茂吉特集」が組まれている。土屋文明の2ページを筆頭に、上田三四二(8ページ)、菱川善夫(10ページ)、中村稔(4ページ)、中西進(7ページ)、武川忠一(7ページ)、柴生田稔(2ページ)と文章が続く。

これだけで相当な分量である。

何しろ、今の雑誌よりはるかに活字は小さいし、文字組もぎゅうぎゅうだ。試しに1ページ当りの文字数を現在と比べてみると次のようになる。

昭和48年 30字×25行×2段=1500字
現在    24字×20行×2段=960字

つまり、同じ「1ページ」と言っても、文字数で言えば現在の1.5倍以上あるのだ。

特集はその後も岡井隆と篠弘の対談(8ページ)、岡井隆の文章(8ページ)、一首評(2ページ×13名)、会員アンケート(42名)と続いていくのだが、その最後に昭和22年生まれの永田和宏が最も若い歌人としてアンケートに回答を寄せている。(つづく)

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2012年11月17日

お知らせ


○近藤かすみさんの歌集『雲ケ畑まで』の批評会にパネリストとして参加します。

日時 平成25年2月9日(土)13:30〜17:00
会場 キャンパスプラザ京都
パネリスト 大辻隆弘、彦坂喜美子、松村正直、川本浩美

○私の第2歌集『やさしい鮫』(2006年、ながらみ書房、2800円)、評論集『短歌は記憶する』(2010年、六花書林。2200円)は、ともに在庫があります。

メール(masanao-m@m7.dion.ne.jp)でご注文いただければ、送料無料でお送りします。


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2012年11月16日

田中水江著 『奇妙な時間(とき)が流れる島サハリン』


1993年〜94年にかけてサハリンのユジノサハリンスク教育大学で日本語を教え、その後も何度もサハリンを訪れることになった著者の記したドキュメンタリー。あまり期待せずに読んだのだが、実に良い本だった。

著者は足掛け6年にわたって、ホルムスク、ユジノサハリンスク、オハ、ノグリキ、ドリンスク、ネヴェリスク、モネロン島、ウグレゴルスク、アレクサンドロフスク・サハリンスキー、ポロナイスクなど、サハリンの主要都市をめぐっている。

そこで著者が出会ったのは、ロシア人だけでなく、朝鮮人、日本人、ポーランド人、ニヴヒ、タタール人など、多くの民族の血を受け継ぐ人々であった。第二次世界大戦後に引き揚げが認められなかった朝鮮人をはじめ、様々な理由でサハリンに留まった人がいたことは知っていたが、この本にそうした人々から直接聞いた話が多数収められている。

民族、言語、国家、戦争、家族など、実にさまざまなことを考えさせられる一冊であった。

1999年11月25日発行、凱風社、1800円。

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2012年11月15日

運転免許


先日『島へ免許を取りに行く』(星野博美著)という本を読んだせいか、自分が免許を取った時のことを思い出している。

免許証を見ると、日付は平成5年3月11日。大学卒業直前である。東京を離れてフリーター生活を送ろうと決めていたので、何か身分証明書になるものが必要と考えたのであった。

当時の日記をちょっと引用してみよう。
2月24日(水)
今日は学科6コマ、実技2コマの計8コマ。けっこう疲れた。実技は緊張するけどなかなか楽しい。うまくいくと嬉しい。三食食べて学科と実技。とても健康的な生活をしている。早く免許が取りたい。
免許は福島県いわき市にある「平中央自動車学校」で取った。
東京を出発したのが2月22日。
2月27日(土)
今日は休校日なので学科なし。乗車2時間だけでPMずっと空き。初めて無線教習なるものをやって、一人で乗るのは気分がいい。午後は歩いて平駅前に出て「ポリスストーリー3」「ユニバーサルソルジャー」の2本立てを観てきた。
空いている時間はけっこう映画を見に行っている。他にも「ボディーガード」「ダンシングヒーロー」の2本立て、「ラスト・オブ・モヒカン」「シティーハンター」の2本立て。
3月5日(金)
路上2日目。散々の出来。3回もジコりそうになる。左工事フェンス接触未遂、前の自転車轢きそう、右の車にぶつかるゥ〜。
他にも、無線教習で「エンスト3連発でビビりまくった」というのもある。
3月9日(火)
卒検合格 Congratulations! 疲れたの、緊張したのって。7人ともストレートで、めでたしめでたし。平から上野まで3時間50分。長いこと長いこと。
7人は合宿所(大部屋だった)で知り合った人たちのことだろう。日記には名前などが書いてあるが、誰が誰だかまったく記憶にない。

この後、11日に免許を取得して、13日に下宿を引き払い、自宅で3日間過ごして、17日に岡山に旅立っている。

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2012年11月14日

山田航歌集 『さよならバグ・チルドレン』


2009年に角川短歌賞と現代短歌評論賞を受賞した作者の第1歌集。
花火の火を君と分け合ふ獣から人類になる儀式のやうに
青空に浮かぶ無数のビー玉のひとつひとつに地軸あるべし
旅行鳩絶滅までのものがたり父の書斎に残されてをり
僕らには未だ見えざる五つ目の季節が窓の向うに揺れる
靴紐を結ぶべく身を屈めれば全ての場所がスタートライン
「いい意味で愚かですね」とコンビニの店員に言はれ頷いてゐる
君が代もテレビゲームも定型に畳まれやがてニッポンになる
うすぐもり天使注意の標識を視野にかすめていつものカーブ
ひなげしといふ形容詞あつたならこんな日はきつとひなげき気分
ブックエンドくらゐの距離をおいたままふたりは日々に赦(ゆる)されてゐた
4首目は春・夏・秋・冬ではない「五つ目」の季節について詠んだ歌。何とも新鮮な発想である。あるいは四季という言葉を持ったことで、私たちは五つ目の季節を見ることができなくなってしまったのかもしれない。

5首目は靴紐を結ぶ姿勢がクラウチングスタートのイメージを呼び起こしたのだろう。「スタートライン」はこの歌集のキーワードである。「スタートライン」という小題の連作が2つ収められているし(これはちょっと珍しい)、献辞にもあとがきにも略歴にもこの言葉が使われている。

全体は4章に分かれているが、1章の角川短歌賞受賞作「夏の曲馬団」に断トツに良い歌が多いと思った。

歌集名「さよならバグ・チルドレン」は、ルイ・マル監督の映画「さよなら子供たち」を踏まえているのだろうか。

2012年8月17日発行、ふらんす堂、2200円。

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2012年11月13日

「塔」2012年10月号


今さらという感じになってしまったが、「塔」10月号の十代・二十代歌人特集から、印象に残った歌を引いておきたい。
ぼかしたら油彩のようになる畦を君と歩いたではないですか
                  /千種創一
道連れのをみなの忌ともなるらむか桜桃忌過ぎていよよ雨ふる
                  /篠野 京
クレマチス何か可笑しいクレマチスおまえの顔が私は好きよ
                  /鈴木寛子
でてこない涙のために内側で膨らみすぎた風船を割る
                  /中山靖子
「楽園のハンモック」っていう店に入る焼かれた鶏肉のため
                  /廣野翔一
わたくしの、手紙が届くたびに鳴る、マリオが死んだときの音楽
                  /吉田恭大
不意に過ぎる背後の足音あれは父あるいは父に似る何者か
                  /常川真央
ふくらはぎ削ぐように塗るクリームの、嘘ならばもっと美しく言え
                  /大森静佳
わたしにも漏れなくあるのか母性とは堤をゆけばウミウシがいる
                  /丸本ふみ
被災者の数がメダルの個数へと変わってしまう新聞の隅
                  /川上まなみ
最近また十代・二十代の会員が増えてきているようで嬉しい。
切磋琢磨して、どんどん良い歌を作っていってほしいと思う。

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2012年11月12日

竹内正浩著 『地図と愉しむ東京歴史散歩 都心の謎篇』


同じく中公新書から出ている『地図と愉しむ東京歴史散歩』の第2弾。

多数の地図や写真をもとに、皇居・お台場・東京モノレール・東京駅・晴海といった場所の歴史的な変遷を解き明かしていく。

「成増飛行場」→「グラントハイツ」→「光が丘公園」「光が丘団地」
「彦根藩邸」→「伏見宮邸」→「ホテルニューオータニ」

といった変化が地図によって一目瞭然となっており、また時代背景についても丁寧に解説されていて、実によくわかる。

私の興味や関心と合致する部分が多く、とてもためになる一冊であった。東京に住んでいた頃に、もっと関心を持って見ておけば良かったなあと思う。

2012年6月25日発行、中公新書、940円。

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2012年11月10日

「高安国世に話は及び…」


永田さんの歌集『夏・二〇一〇』の中に「高安国世に話は及び…」という一連8首がある。
どれほどの歌人だつたかと人問へりわが師であつたそれはそれだけ
俺だつてほんたうはまだわからない高安国世とは何だつたのか
曼荼毘華はダチュラと知りぬ曼荼羅華の烟のなかの高安国世
おそらく、短歌関係者以外の人との会話の中で、高安国世に話が及んだのだろう。高安を知らない人に向って、師のことをどのように説明したらいいのか。

語弊を恐れずに言えば、高安国世は一・五流、あるいは二流の歌人である。同世代で言えば、近藤芳美や宮柊二にはかなわない。5人くらい名前を挙げる中には入るかもしれないが、決して1番にはなれない。

それは、京都に住んでいたという地理的なハンデだけでなく、高安自身の資質的な問題であった。高安の短歌に欠けていたものは何なのか。それは、今後誰かが高安論を書く際の大きなテーマになるだろう。

これは高安を貶めようとして言っているのではない。「高安国世の手紙」を書いていて感じたのは、一流になれなかったからこそ高安国世は面白いということだ。それに、ほとんどの歌人は二流にさえなれないのである。

50年以上にわたって短歌を作り続け、精一杯の努力をして、誠実に生きてきたにも関わらず、高安は一流の歌人にはなれなかった。その哀しみは、弟子である永田がおそらく一番よく知っている。

3首目の歌は、曼荼羅花の葉を燻べた煙を吸っている高安の姿である。持病の喘息の治療のために、高安はこのまんだらげを自宅で栽培していた。高安が「まんだらげ」を詠んだ歌を最後に1首引いておこう。
まんだらげの煙こもらふ一ときを我が王国と今にかなしむ
                   高安国世『真実』

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2012年11月09日

星野博美著 『島へ免許を取りに行く』


集英社インターナショナル
発売日:2012-09-26

40代半ばの作者が、長崎は五島列島の福江島にある自動車学校で運転免許を取得するまでの出来事を描いた小説。

人間関係の悩みや愛猫の死から立ち直るために、何か新しいことにチャレンジしようと思った作者は、初めて自動車の運転免許を取る決意をする。そこで選んだのが「ごとう自動車学校」。目の前に海が広がり、馬場が併設されていて乗馬指導員がいるというちょっと変った学校である。

教習所の先生や事務員、合宿生、地元の通いの生徒など、30名以上の人が次々と登場するのだが、作者の人間観察と描写力は鋭くて、ひとりひとりの姿が浮かび上がってくる。

教習の合間に訪れた福江島の風景や集落の様子なども記されていて、五島列島へ行ってみたいなという気持ちになる。ちょうど「島へ」という雑誌の11月号でも五島列島の特集が組まれていて、きれいな写真を眺めていたところだった。

行きたい所ばかり増えて困ってしまう。

2012年9月30日発行、集英社インターナショナル、1500円。

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2012年11月08日

現代歌人集会秋季大会


現代歌人集会の秋季大会が下記の通り行われます。
一般の方も参加できますので、皆さんどうぞお越しください。

日時 平成24年12月8日(土)13:00〜(12:00開場)
場所 アークホテル京都(四条大宮駅すぐ)

内容 司会 小黒世茂理事
   基調講演 大辻隆弘理事長
   講演 上野誠氏「折口信夫の挑戦」
   授与式 第38回現代歌人集会賞 近藤かすみ氏『雲ケ畑まで』
   総会(15:45〜)
   懇親会(17:00〜)

参加費 講演会1000円、懇親会6000円(当日払い)

posted by 松村正直 at 00:26| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月07日

永田和宏歌集『夏・二〇一〇』


2007年から2011年までの作品568首を収めた第12歌集。
耳遠くなりたる父は向かうむき秋の蜻蛉(あきつ)を眼に飼ふらむか
骨のないねずみを作りにんまりと我も学生も冬の日だまり
ゆふやみが鰓で呼吸をしてゐたり長谷八幡石段のわき
湖へ謐(しづ)かにつづく水の路 舟は朽ちゐつ櫓ももろともに
風に乗りて鳶は行くなりゆつたりと地の凹凸を空に映して
白梅をわたりくるとき濾(こ)されたる光かすかな潤ひを帯ぶ
埒もなききみの怒りを遣り過ごすトローチの穴を舌に載せつつ
換気扇を抜け来る光がキッチンの床にゆつくりまはりつづける
一度目は母が二度目はわが妻が、われを残して行けないと言ふ
春の雪 雪の中洲に目を瞑りユリカモメらは風に梳かるる
2010年8月に亡くなった妻の河野裕子のことを詠んだ歌がたくさんある。それらの歌はここに引くよりも歌集の流れの中で読んだ方がいいと思うので、あまり選ばなかった。

妻の死以外にも、定年による職場の変更、娘の結婚、家の改築など、大きな出来事がいくつも起っている。ただし、歌集の雰囲気はあくまでも静かである。

〈木苺の十粒がほどのたいせつは子らの手のひらにひとつづつひとつづつ〉〈ただひとり永田和宏のほんたうを知る人がゐて…… 頬杖をつく〉など、「たいせつ」「ほんたう」を使った歌がいくつか出てくる。日常的に使われる「大切」や「本当」ではなく、ひらがなの「たいせつ」や「ほんたう」。そうしたものを感じることの多い歳月だったのだろう。

2012年7月24日、青磁社、2600円。

posted by 松村正直 at 14:19| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月06日

映画「あなたへ」


監督:降旗康男、出演:高倉健、田中裕子、佐藤浩市、草なぎ剛、綾瀬はるか、ビートたけし他

高倉健の6年ぶりの主演映画。81歳という年齢を考えるとすごいことだと思う。
先日87歳で亡くなった大滝秀治も出演している。

富山、飛騨高山、大阪、兵庫県の竹田城址、下関、門司、平戸といった町の風景が美しい。
物語の本筋とは関係ない部分で、何度か涙が出そうになった。

劇中で歌われる宮沢賢治作詞作曲の「星めぐりの歌」も印象に残る。

T・ジョイ京都、111分。

posted by 松村正直 at 01:02| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月03日

本の整理


わが家では北向きの一室がまるまる本の置き場になっている。
近頃は横積みの本や雑誌が溢れて、棚に並んでいる本に手が届かない状態になっていた。

IMG_3179.JPG

別角度から。

IMG_3180.JPG

今日は一日かけて本の整理をした。
段ボール箱×5箱を妻の実家へ、1箱をBOOK‐OFFへ、1箱を古新聞の回収へ。

合計7箱分を部屋から出したのだが、見た目はさほど変化なし。

本当は「before」「after」の写真を比べようと思っていたのだが、それは断念。
整理の道はまだまだ遠い。

posted by 松村正直 at 21:43| Comment(4) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年11月01日

内山晶太歌集『窓、その他』



1977年生まれの作者の第1歌集。「短歌人」「pool」所属。
口のなかに苺の種のよみがえるくもれる午後の臨海にいて
列車より見ゆる民家の窓、他者の食卓はいたく澄みとおりたり
さびしさに死ぬことなくて春の夜のぶらんこを漕ぐおとなの軀
カーテンはひかりの見本となりたれば近寄らず見つ昼のなかほど
馬と屋根ひとつながらに回りゆくそのからくりは胸に満ちたり
夏まひる見渡すかぎりの炎天にサラリーマンは帽子かぶらず
咳すれば肺に銀貨の散るここちせりけりすればするほど貯まる
手花火に照らし出さるる微笑みへ劇画のごとくふかき翳さす
パチンコの玉はじかれて大方はおぐらき洞へ帰りゆくなり
軒下にたたずみながら見上げおり雨というこのささやかな檻
今年は若手男性歌人の良い歌集がたくさん出ているが、これもその一冊。若手と言っても「作歌をはじめて二十年」(あとがき)というだけあって、どの歌も骨格がしっかりとしている。「てにをは」を丁寧に使って、微妙な心理や感覚を描き出すのが実にうまい。

一方で、他者は歌の中にほとんど姿を見せない。これも大きな特徴と言っていいだろう。

「窓、その他」というタイトルの素っ気なさもいい。(読み方は「そのた」ではなく「そのほか」)
作者自身「歌集中に窓の歌が存外に多かった」(あとがき)と書いているように、357首の歌の中に20首以上も「窓」が出てくる歌がある。

電車の窓や部屋の窓、比喩的な窓など、様々な窓が詠まれているのだが、不思議なことに窓を開けたり閉めたりする歌はない。開いている窓から何かが出入りすることもない。作者の詠む窓は、どれも絵のような、画面のような窓である。それは水面や鏡のような感じに近い。

2012年9月25日、六花書林、2400円。

posted by 松村正直 at 20:42| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする