2012年05月31日

小松正之著 『宮本常一とクジラ』

水産庁の漁業交渉官として国際捕鯨委員会などの場で活躍した著者が、宮本常一の本をたどりつつ、西日本に残る伝統捕鯨の跡をフィールドワークして訪ね回ったもの。

登場するのは、山口県長門市、三重県鳥羽市、和歌山県太地町、長崎県五島列島、佐賀県呼子町、対馬、壱岐、周防大島など。

著者の主張は明確だ。

海に囲まれた日本は水産資源を有効に活用することが大切で、資源の枯渇を防ぎつつ、漁業に力を入れていくことが、海沿いの町や離島の活性化には必須だというもの。そのために、外国に対しても主張すべき点はきちんと主張して、捕鯨を守らなくてはいけないということになる。

時おり、排外的なニュアンスの文章や自分の功績を自慢する文章がまじるのが気になるが、著者の述べるところはよくわかる。そうした著者の信念の根元には、生まれ育った町の風景があるらしい。
筆者の原点は、漁村の生まれであるというまぎれもない事実である。岩手県陸前高田町という、沿岸漁業とワカメ、カキなどの養殖業、沖合で操業するイワシ巻網漁があり、そしてクジラを追って南氷洋や北太平洋の金華山沖に行くもの、北洋のサケ・マス漁業に従事するもの、三九トンの木船で遠洋マグロはえなわ漁業に従事するものがあった。

日本の漁村に往時の活気を取り戻したい、そういう熱い思いが著者を支えているのであろう。

2009年2月25日、雄山閣、2000円。

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2012年05月30日

加藤一二三著 『将棋名人血風録―奇人・変人・超人』


将棋の世界に「名人」が誕生したのは、江戸時代の慶長17(1612)年のこと。今年は、それからちょうど400年目にあたっている。昭和10年に実力名人制に移行してから誕生した名人は12人。そのすべて(本人を除く)と対局したことのある著者が、名人の歴史や人となり、エピソードなどを記している。

登場するのは、木村義雄、大山康晴、升田幸三、中原誠、谷川浩司、羽生善治など、みな才能と人間味に溢れた人ばかり。50年以上にわたって現役の棋士として活躍を続けている著者の書く話は、どれも生彩に富んでいて面白い。さすがにプロだけあって、何十年も前の対局の一手一手を、その場の雰囲気も含めて克明に覚えている。

それぞれの名人についての描写は、偏りなく公平になるように努めているが、やはり自ずと好き嫌いは滲み出るものらしい。大山、谷川に対する筆がやや辛口となっている感じがした。そんなところにも著者の人間味が表れていて面白い。

明日から2日間、第70期名人戦の第5局が京都で行われる。森内俊之名人と挑戦者羽生善治二冠の戦いは、現在2勝2敗の五分。どちらが先にリーチをかけるか、楽しみである。

2012年5月10日、角川ONEテーマ21新書、743円。

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2012年05月28日

石川美南歌集『裏島』『離れ島』批評会in京都


昨日は13:30から、京都教育文化センター202号室にて、石川美南さんの歌集の批評会があった。参加者約40名。

前半は香川ヒサ・堂園昌彦・中津昌子・松村正直(司会)によるパネルディスカッション、休憩を挟んで後半は会場発言、最後に花束贈呈と著者からの挨拶という内容だった。

2冊ともに様々な切り口のある歌集で、議論が拡散しないようにするのが難しかったが、他の方々の意見を聴くうちに、いろいろと自分なりに納得することがあり、楽しい会だった。
しんしんと興味赴くままにゆく谷折り線の谷を下つて  『裏島』
手品師の右手から出た万国旗がしづかに還りゆく左手よ
さて恋と言へば私。アルコールランプに顔を寄せてゆくなり  『離れ島』
ピラカンサまたはピラカンサスといふ冬の視界の隅にあるもの

17:00終了。その後、すぐ近くの居酒屋「てらこや」で2次会。
20代〜30代の若い人が多い集まりの中で、自分の年齢を感じさせられた一日でもあった。

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2012年05月26日

岩尾淳子歌集『眠らない島』

あたたかいコンクリートに自転車を寄せておく海のねむりのそばに
岩肌を流れる水はいくすじのよろこびもしくは身体である
主電源おとしたあとの真っ黒な広場でかなしい子供は遊べ
あるときは呼吸のようにあかるくて照りかげりするふたつの島は
ここにいてなにもしなくていいんだよ 猫は小さな夕暮れだから
雲がきてまた消えてゆく湿原のどこにもゆかない水のいちにち
大判の鳥類図鑑を見ておりぬ飛べない鳥はうしろのほうに
やわらかな流れに沿って揺れている石斑魚の群れのうすい意識は
ほのぐらい過去のひとつに灯をともすように訃報をもらうてのひら
昨日よりあたたかい風 ほんとうはメジロの妻であってもよかった

「未来」所属の作者の第1歌集。

ほとんど口語だけの歌であるが軽くはない。何度も出てくる「河」「海」「鳥」「橋」「自転車」「あかるい」「ひかり」「遠ざかる」「離れる」といった言葉が、乾いたさびしさや、明るい空虚感といった気分をうまく醸し出している。

イメージや発想に個性的な魅力のある作者だが、それが行き過ぎて読者が置き去りになってしまうこともある。例えば「白桃をひかりのように切り分けてゆくいもうとの昨日のすあし」という歌の場合、四句目まではとても良いと思うのだが、結句の「昨日の」で躓いてしまうように思った。

2012年4月23日、ながらみ書房、2500円。

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2012年05月25日

3丁目の電柱


「塔」の京都平日歌会でのこと。

ある歌を批評する際に、「そう言えば、電柱になって立ってるってCMがありましたよねえ」と言って、

 ♪僕は3丁目の電柱です〜
   雨の日風の日街角に立ち〜
   通りを見てます眺めています〜

と歌ったのだが、誰も知らない。

あれ? あんなに何度も流れていたCMなのにおかしいなあと思ったのだが、どうやらあれは東京電力のCMだったらしい。関西の人は知らないわけである。

調べてみると1981年発売の「僕は3丁目の電柱です」という曲で、作詞・作曲はみなみらんぼう。 20年前くらいまでよく流れていたそうだ。

何とも懐かしい。

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2012年05月24日

「京大短歌」18号(その2)


一方で、同じ大辻さんの発言で
(…)テーマ主義で行く人は、三十五首くらい自分の思いを歌ったら、すっきりして、歌う動機がなくなってしまう。結局、この「の」を「は」に直したらどうなるか、とか、語順を入れ替えたら自分でも思ってもみない新しい世界が立ち上がってきたとか、そういう細かいところに楽しみを見出せない限り、短歌作りは続かへんと思うけどなあ。

という部分などは、話半分に聞いた方がいい。これはテーマ性重視の歌壇の現状に対する違和感から言っていることであって、やや勇み足な感じがする。

「何を詠うか」か「どう詠うか」か、というのは古くからある議論で、「塔」で言えば1960年〜61年にかけて、坂田博義と清原日出夫の間でも議論が交わされている。

けれども、本当にそんなふうに二つに分けられるものなのか、というのが私の考えだ。どちらを重視するかという立場の違いはあっても、やはり短歌は「何を、どう詠うか」の両方ともが大切なのではないか。

どちらか一方を重視するあまり、もう一方を否定する必要はないだろう。同じ理由で、「テーマか修辞か」とか「人生派か言葉派か」といった分け方についても、いつも疑問を感じている。

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2012年05月23日

「京大短歌」18号(その1)


「京大短歌」18号を読む。座談会「2011年に感じたこと」(大辻隆弘・藪内亮輔・大森静佳)が面白い。大辻さんはかなり率直に言いにくいことも述べているし、藪内さんや大森さんも、大辻さん相手に健闘(?)していると思う。

一番共感したのは、大辻さんの次の発言。
なんか「レトリック」という概念にちょっと問題があって、「レトリック」っていうとなんか暗喩とか比喩とか、そういう西洋詩学的な概念やん。和歌的な「てにをは」なんか、レトリックじゃない、というみたいな。加藤治郎さんの影響だと思うけど「レトリック」にしろ、「修辞」にしろ、すごく前衛短歌的な作歌テクニックっていうような感じがする。でも本当は、暗喩やオノマトペ以外にも、短歌の技法はいっぱい存在するわけやん。「てにをは」とか「調べ」とかさ。ものすごく広い意味での短歌的な技術という、「技(わざ)」っていうのがあってさ。そういう広い視野に立たなければダメなような気がする。

まさにその通り、という感じだ。この前提なくして短歌の「レトリック」や「修辞」について語ってみても、仕方がないと思う。

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2012年05月22日

三井淳平著『空間的思考法』

日本人初のレゴ認定プロビルダーである著者が、自分の生い立ちや、ものの見方、考え方について記した本。

「レゴ認定プロビルダー」というのは、レゴ社の公式の資格で、世界レベルの作品製作技術などを持つ人が認定される。言ってみれば、レゴ社が認めたレゴ作りの達人というわけだ。著者は日本人で初めて、しかも最年少でこの資格を取った方。

似たような名前に「レゴモデルビルダー」というのもあるが、こちらはレゴ社の社員が持つ資格で、完全にプロということになる。

著者のHPには、全長6.6メートルの戦艦大和や実物大のドラえもん、コマ撮りの動画などの作品が公開されていて、一目見ればその凄さがわかると思う。

本書は出版社サイドからの提案によって執筆されたもので、「空間的思考法」という言葉自体が著者のものではなく、編集者の提案で決められたもの。「現役東大大学院生」を強調した装丁も含め、内容的にはやや物足りない。一般読者向けに書いているために、かえって「凄さ」が感じられなくなっているのかもしれない。

その中にあって、「マクロス」シリーズなどのアニメ監督河森正治と対談をしている部分が一番面白かった。やはりマニア同士でマニアックな人にしか通じないような話をしてもらった方が、わからない部分が多少あっても、読んでいて面白いのである。

2012年3月20日、メディアファクトリー、1300円。

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2012年05月21日

年譜をめぐる問題(その3)


二人の文章では高安の留学先は「ドイツ」となっているが、全歌集の年譜には「ドイツ連邦共和国」とある。「ドイツ連邦共和国」は「ドイツ」の正式名称だから、同じことのように見えるが、実はそうではない。

高安が留学した1957年も、全歌集の年譜が作成された1987年も、ドイツがまだ分裂していた時代のことである。つまり、この年譜の「ドイツ連邦共和国」とは、今の「ドイツ連邦共和国」のことではない。かつて1949年から1990年まで存在した「西ドイツ」のことである。

年譜作成者が「ドイツ」ではなく「ドイツ連邦共和国」と書いているのは、当然もう一方の「ドイツ民主共和国」(東ドイツ)を念頭に置いてのことだろう。高安の留学当時は、「ドイツ」という一つの国はなかったのである。

もっとも、高安自身はそうした政治的な話は気にしていなかったようで、『北極飛行』のあとがきを見ると、そこには「ユネスコの地域文化研究員としてドイツへ旅立った」と至極あっさり書かれている。

posted by 松村正直 at 07:06| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月20日

年譜をめぐる問題(その2)


現在最も信頼できる高安の年譜は、『高安国世全歌集』に載っているものである。そこには次のように記されている。
昭和三十二年(一九五七) 四十四歳
四月、第五歌集『砂の上の卓』出版。五月、ユネスコ地域文化研究員としてドイツ連邦共和国へ出張、ミュンヘン大学でドイツ近代詩を研究。十二月帰国。

これを見ると、歌集の刊行は「四月」、留学への出発は「五月」となっている。ただし、これが正解かと言えばそうではない。

まず、『砂の上の卓』の刊行についてだが、これは歌集の奥付に「昭和三十二年四月三日」と記されており、「四月」が正解と判断していいだろう。

次にドイツ留学への出発だが、これは高安が『北極飛行』の散文の中で次のように書いている。
四月三日の朝八時半、エア・フランスのスーパー・コンステレーションは強い風の中をとび立ち、ぼくははじめて東京の街を空から見下ろした。

つまり、出発は河原の書いている通り「四月三日」で間違いない。高安はこの留学に、刊行されたばかりの『砂の上の卓』を持って行き、ドイツでその翻訳などを試みている。「四月三日」(奥付)に出た本を四月三日の朝に持って行くことは難しいだろうから、歌集の実際の刊行は三月中であったのかもしれない。ただし、刊行日に関しては奥付で判断するのが普通なので、これは「四月」で良いだろう。

つまり、結論としては『砂の上の卓』の刊行も留学への出発も、ともに「四月」(四月三日)ということになる。

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2012年05月19日

年譜をめぐる問題(その1)


今年1月から「塔」で「高安国世を読む」という連載が続いている。12か月で高安の13冊の歌集を読むという企画で、毎月楽しみに読んでいる。

4月号では第5歌集『砂の上の卓』、5月号では第6歌文集『北極飛行』が取り上げられているのだが、その中にそれぞれ、以下のような部分がある。
第五歌集『砂の上の卓』には昭和三十年一月から三十二年一月までの作品三〇三首が収録されている。ユネスコの地域文化研究員としてドイツに留学が決まり、準備で忙しい中急いで四月に上梓された。五月に出発し、ミュンヘン大学でドイツ近代史を研究し、十二月に帰国している。  (渡辺久美子)
高安国世がユネスコの派遣でドイツミュンヘン大学にドイツ近代詩を研究するため留学したのは一九五七(昭和32)年四月三日、帰国は同年十二月二六日、高安国世四十四歳。三月、第五歌集『砂の卓』出版しこの歌集を携えてドイツに渡った。  (河原篤子)

渡辺の「ドイツ近代史」は「ドイツ近代詩」、河原の『砂の卓』は『砂の上の卓』の間違いであるが、それ以外にも異なっている部分がある。『砂の上の卓』の刊行月と高安がドイツ留学へ出発した月だ。

『砂の上の卓』の刊行を渡辺は「四月」、河原は「三月」と書いている。また、高安がドイツ留学へ出発したのを渡辺は「五月」、河原は「四月三日」と記している。一体、どちらが正しいのか?

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2012年05月18日

若一光司著『大阪・関西の「謎と不思議」を歩く』


芭蕉終焉地の石碑、うどん餃子の正体、龍馬を切った刀、日本一短い国道、人魚のミイラなど、歴史と物語と謎に包まれた場所を紹介するガイドブック。関西2府4県の計46か所が取り上げられている。

有名観光地ではない、いわゆるB級スポットを集めているのだが、内容はいたってまじめなもの。調査や取材も行き届いていて、著者の解説を十分に楽しむことができる。

わが家の近所にある明智藪や藤森神社、あるいは八幡市のエジソン記念碑や飛行神社など、行ったことのある場所が取り上げられているのも嬉しい。

2012年4月20日、KKベストセラーズ ベスト新書、1000円。

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2012年05月16日

岡井隆と品田悦一


岡井隆の『今から読む斎藤茂吉』は全24章から成っているが、18章に「品田悦一著『斎藤茂吉』の問題点」という文章がある。また20章に「『柿本人麿』をどう読むか」という文章もあり、こちらでも品田の本が取り上げられている。

岡井は、茂吉と直接会った日のことや茂吉の葬儀に参列した思い出を記しつつ、品田の本に対する「言ひにくい異和感」や「若干の疑義」を述べている。戦争責任の追及や第二芸術論の高まりにより茂吉の評価が低かった時代を肌で知っていて、また自らも歌人としての長いキャリアを持つ岡井が、若い研究者である品田の書く文章に対して覚える違和感はわからないではない。

ただ、それは「無いものねだり」ではないだろうか。1959年生まれの品田が戦後すぐの時代を肌で知っているはずはないのだし、また歌人でない品田に〈歌人とは「無限の前進が可能だ」などと思ふものだらうか〉と問いかけてみても仕方がない。歌人、研究者それぞれの読み方や捉え方があっていいことだ。

この二人は、角川「短歌」5月号の鼎談「今、茂吉を読む意義とは」でも、司会の川野里子を交えて話をしている。「今日は岡井さん、品田さんという、茂吉を読むならこの人、というお二人をお迎えして」という川野の言葉は、全くその通りである。ただ、対談や鼎談が難しいのは、ベストな人同士が話をしたからと言って、必ずしも話が噛み合うわけではないということだ。

不完全燃焼に終った印象の強い鼎談を読んで、何とも残念な気がしてならない。

posted by 松村正直 at 18:52| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月15日

岡井隆著『今から読む斎藤茂吉』


「短歌現代」2009年8月号〜2011年7月号まで、2年間にわたって連載された文章をまとめたもの。昭和12年に始まる日中戦争の時期の茂吉の歌や散文を取り上げて論じている。

タイトルに「今から読む」とあるように、常に現在との比較や時代の違いなどを意識しながら筆を運んでいるのが特徴で、2009年の新疆ウイグル自治区の暴動や2010年の玉城徹の死、2011年の東日本大震災の話などがリアルタイムで入ってくる。

こうした自在で柔らかな書き方は著者ならではのものであり、なかなか他の人の真似できないところだろう。日中戦争時の茂吉についての論考は、脱線や拡散を繰り返して、最終的にはあまりまとまりのないままに終わるのだが、読んでいて面白いことは間違いない。
(『わが告白』より、ずっと面白いと思う)

興味を引かれる部分も多い。例えば清水哲男の「ミッキー・マウス」という詩を引いて
「僕」の中に、作者の若いころの生活の影を見ることはできるが、短歌のもつてゐる約束(作者イコール発話者イコール発語主体)といふのとは全く違ふ詩がここにあることはまちがひない。

と書いているあたりなど、括弧のなかに何気なく注記しているようでいて、実はけっこう大事なところだろう。
短歌における〈私性〉というのは、作品の背後に一人の人の――そう、ただ一人だけの人の顔が見えるということです。そしてそれに尽きます。そういう一人の人物(それが即作者である場合もそうでない場合もあることは、前にも注記しましたが)を予想することなくしては、この定型短詩は、表現として自立できないのです。

という『現代短歌入門』の一節は、今でも私性に関する定義としてしばしば引用されるし、今でもこれ以上の定義は生まれていない。しかし、これが書かれたのは50年も前のこと。岡井自身は、もうとっくに、こうした定義から自由になっているのだ。

2012年4月5日、砂子屋書房、2700円。

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2012年05月14日

のど赤き

今日は斎藤茂吉の誕生日。1882(明治15)年の5月14日生まれ。

今年は生誕130年ということで、「角川短歌」5月号で58ページにわたる特集が組まれているほか、各地で様々なイベントが行われている。

今朝の朝日新聞の「天声人語」も、この茂吉のことを取り上げている。「のど赤き玄鳥(つばくらめ)ふたつ屋梁(はり)にゐて足乳根(たらちね)の母は死にたまふなり」を引いて、その後、最近の燕の減少へと話を続けている。
▼野鳥の会は、原発事故による放射性物質の影響も懸念する。子育て中のツバメはせわしない。1時間に何十回もエサの虫を運ぶと聞く。無心な親鳥と、「のど赤き」新しい命を思えば、罪の意識がチクリと痛い

この部分を読んで、ちょっと立ち止まった。執筆者は「のど赤き玄鳥」をツバメの雛だと読んでいるようだ。巣から雛の頭がのそいている場面を想像しているのだろう。しかし、雛はまだのどの部分が赤く(赤茶色く?)なってはいないので、これは成鳥だと思う。

それにしても、家の梁にツバメが止まっていることも、家の中で人が死ぬことも、今ではほとんど見られなくなってしまった光景だ。こんなところにも、時代の変化を感じることができる。

posted by 松村正直 at 20:42| Comment(3) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月12日

原武史著『震災と鉄道』


東日本大震災と鉄道の関わり、特に震災後の鉄道の復興のあり方について論じた本。

震災から49日後に全面復旧した東北新幹線に対して、石巻線、気仙沼線、大船渡線などの在来線は、依然として復旧の目途が立っていない。そうした現状を踏まえて、暮らしに密着したローカル線こそ早期に復旧すべきだとの持論が述べられている。

その持論の元になっているのは、鉄道が単なる輸送手段であるだけでなく、駅や鉄道の車内が公共的空間であり、その土地に住む人々にとってコミュニケーションや安心を得る場になっているとの認識がある。自動車と比較して考えてみれば、著者の言わんとするところはよくわかる。

ただ、残念なのは、本書がもともとウェブマガジン掲載のインタビューに加筆修正したものであるためか、内容がやや散漫であることだ。話題が次から次へと変わり、論拠が不十分な部分も多い。特に後半は、震災とは離れてJR東日本の体質やリニア開発を進めるJR東海への批判に重点が移ってしまったように感じた。

2011年10月30日、朝日新書、760円。

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2012年05月11日

雨宮雅子歌集『水の花』

午後の陽は卓の向かうに移りきて人の不在をかがやかせたり
信仰に苦しみたりし歳月のはてしづかなる雨の日のあり
死にかはるほかなきわれら列なせり記念切手を購(もと)めむがため
ハンカチを泪のために使ふことなくなりて小さき菓子など包む
足の小指を骨折したりなにひとつ役に立たざる足の小指を
ひねもすを降る冬の雨ぬばたまの壺中となれる家に灯(ひ)ともす
腕(かひな)とは腕もて人を抱くもの甲斐なきかひな静かに洗ふ
沢瀉(おもだか)は夏の水面の白き花 孤独死をなぜ人はあはれむ
朝ひかり差す展示室絵のなかの青き林檎にわれは近づく
天国が空にありたる幼年の日は星空も高かりしかな

1929年生まれの作者は今年で83歳。2001年に夫を亡くしてから一人暮らしを続けているようだ。あとがきには「前歌集『夏いくたび』を発刊した頃、私は五十年在籍した日本基督教団を離教した」とあり、それが大きなテーマとなっている。

五十年というのは簡単な年月ではない。死が近くなって入信するという話はよく聞くが、逆にわざわざ離教するというのは珍しい。おそらく、どのように死ぬかという問題を考えた末の結論なのだろう。
人びとに囲まれていても、人は一人で逝くのだから、孤独死は決してわびしいものではなく、救いのようにも思える。その覚悟をもって、私はうたを作りつづけたい。

強く印象に残る言葉である。
そうした覚悟がひしひしと伝わってくる歌集であった。

2012年5月1日、角川書店、2571円。

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2012年05月10日

現代歌人集会春季大会

6月10日(日)に開かれる現代歌人集会の春季大会にパネリストとして出ます。
どなたでも参加できる会ですので、お時間のある方はどうぞお越しください。

日時 6月10日(日)午後1時〜5時
場所 アークホテル京都 3F雅の間
   (阪急大宮駅徒歩すぐ、JR京都駅からタクシーで約700円)

大会テーマ 〜石川啄木没後100年〜
      100年後の啄木

総合司会 小黒世茂
基調講演 大辻隆弘
講  演 関川夏央(小説家、ノンフィクション作家)
パネルディスカッション
     岩尾淳子(未来)、松村正直(塔)、斉藤斎藤(短歌人)
     進行 島田幸典
閉会の辞 林 和清

参加費 2000円(当日お支払いください)

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2012年05月09日

河野裕子著『うたの歳時記』


「NHK歌壇」1999年4月号から2年間、「NHK短歌」2005年4月号から2年間、あわせて4年間連載された文章をまとめたもの。

「葉桜」「花火」「菊人形」「雪」など毎回テーマを決めて、短歌や俳句の鑑賞をまじえつつ、エッセイ風に記している。一冊を読むうちに春夏秋冬が4回めぐってくるわけだ。

数えたわけではないが、石川不二子さんの歌が一番多く引かれているのではないか。それについては、思い当たることがある。

河野さんと石川さんは、2009年に迢空賞を同時に受賞した。その時の河野さんの挨拶(録音)を聴き直してみると、「石川不二子さんと一緒に受賞ということがとても嬉しくて。皆さんご存知ないと思いますけど、私は石川不二子さんの歌を読むのがとても好きで、私にとって大切な方」と話している。

あの言葉は、なるほど本当だったのだ。

2012年4月25日、白水社、2200円。

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2012年05月08日

与謝野町(その2)

与謝野礼厳は浄土宗本願寺派の僧侶で、国学や和歌にも通じていた。また、社会事業や商売なども幅広く行っていたようだ。礼厳の十三回忌に出版された『礼厳法師歌集』の前書きに鉄幹は
また父は、大坂の長予専斎、大井卜新二氏、神戸の外人ボオドイン氏等の後援を得て、京都市内に一店を設け、洋薬を主として石油、洋酒等をも鬻ぎ「ポン水(すゐ)」と称して今の所謂ゆる「ラムネ」をも製造して販売せり。

と記している。永田さんの歌にも
与謝野禮嚴ラムネを発明せしことも蛇足として短く講話を終えき
              永田和宏『百万遍界隈』

という一首がある。おそらく与謝野鉄幹についての話のついでに父の礼厳のことに触れたのだろう。雑学ネタとして面白い歌である。ただし、「禮嚴」と旧字を使うのであれば「与謝野」も「與謝野」とすべきかもしれない。

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2012年05月07日

与謝野町(その1)

与謝野町ゆかりの人物に与謝野鉄幹がいる。与謝野鉄幹の父・礼厳(れいごん)[1823−1898]が現在の与謝野町の出身なのである。ただし、与謝野町だから与謝野という姓なのかと思って調べてみると、実はそうではない。

礼厳はもともと細見家の生まれであるが、明治になって、京都府与謝郡出身であることから「与謝野」という姓を名乗るようになった。それに対して、「与謝野町」という町名は、2006年に京都府与謝郡の加悦町・岩滝町・野田川町が合併した時に付けられた新しい名前である。

つまり、「与謝野」という姓の方が「与謝野町」という町名より先なのである。その証拠に「3町合併協議会通信No.1」を見ると、与謝野町の由来について次のように記されている。
3町ともに与謝郡に属しており、「野」は豊かな自然を表している。また、日本を代表する俳人歌人の与謝蕪村、与謝野晶子、与謝野鉄幹ゆかりの地でもあり、「与謝野」という名称とすることで、文化豊かで心豊かな町というイメージアップが図れる。

「与謝町」ではなく「与謝野町」という町名になった理由の一つに、与謝野鉄幹・晶子の知名度があったわけだ。

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2012年05月06日

天橋立、加悦(かや)

一泊二日で京都府の北部、宮津町と与謝野町へ。

4日は天橋立に行ったのだが、あいにくの天気。山頂の小さな遊園地のゲームコーナーで2時間ほど遊んだものの天候は回復せず。雨だけならまだしも風が強く、全身びしょ濡れになってしまう。天橋立を歩いて渡るのは断念して、モーターボートに乗って海からの景色を眺め、早めに宮津の旅館にチェックイン。

5日は打って変って、これ以上ない晴天。北近畿タンゴ鉄道の野田川駅(旧・丹後山田駅)にかつて接続していた加悦鉄道の廃線跡がサイクリングロードになっている。そこを自転車で走って、加悦SL広場へ。ここは鉄道ファンの憧れの場所である。

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続いて与謝野町古墳公園へ。7個もの古墳が並び立つ広々とした公園で、資料館も併設されている。かなり大規模で歴史的な価値も高いと思うのだが、観光客はほとんどいない。

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その後、丹後ちりめん発祥の地である加悦の街並みを散策。ちりめん街道と呼ばれる通り沿いに古い建物が数多く残っており、伝統的建造物群保存地区に指定されている。生糸の商いで財をなした旧尾藤家の内部を見学したが、とにかく広くて立派。トイレだけでも4か所もある。洋館部分から見る大江山連峰の眺めが抜群だった。

posted by 松村正直 at 12:47| Comment(2) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月04日

雨水

「塔」4月号にこんな歌がある。
冬至より六十日目の対岸に欅は梢をけぶらせて立つ
              永田和宏

「冬至より六十日目」という限定の仕方が目を引くが、これは多分、二十四節気の一つ「雨水」(2月19日頃)を指しているのだろう。雪が雨に変わり、寒さも峠を越す時期。葉を落とした欅の細い梢が、かすんだように対岸に見えている。

この歌の元になっているのは、おそらく岡部桂一郎の次の一首。
夏至すぎて第十一日目太陽はからすびしゃくの繁る上に来つ
             岡部桂一郎『戸塚閑吟集』

「夏至すぎて第十一日目」は雑節の一つ「半夏生(はんげしょう)」(7月2日頃)を指している。からすびしゃくが別名「半夏」と言い、からすびしゃくが生える時期だから「半夏生」という名が付いたことを知っていると、この歌はいささか即き過ぎの気がしないでもないのだが。

posted by 松村正直 at 00:34| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月03日

柴達彦著 『鯨と日本人 新版』

かつて南氷洋捕鯨に参加していた著者が、鯨と日本人の関わりや、捕鯨の歴史、捕鯨に生きた人々の姿などを記した本。

1982年のIWC(国際捕鯨委員会)の商業捕鯨停止決議を受けて1988年に日本が商業捕鯨をやめるに至る時期に書かれた本であり、序章の「捕鯨存続をかけて」にはやや感情的な表現が目立つ。

しかし、全体としては、鯨料理や鯨に関する文化の紹介なども含めて、日本人と鯨の結び付きの深さがよく描かれている。

この本の良いところは、実際に捕鯨に従事した人ならではの愛情が随所に表れている点だろう。単なる懐かしさではなく、鯨とともに生きた人々の姿を記録にとどめたいという思いが、ひしひしと感じられる。

1988年2月20日、洋泉社、1700円。

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2012年05月02日

「波」2012年5月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の最終回。

前回から続いて、いよいよ8月12日に亡くなるまでの約2か月のことが記されている。抗癌剤治療も打ち切られ、食事も喉を通らなくなって、それでも最後まで歌を詠み続けた河野さん。

計12回に及んだこの連載は、途中読むのが辛い部分も多かったが、それでもこうして書き残しておくのは大切なことだと、最後にあらためて感じた。

早いもので、河野さんが亡くなってからもう2年近くになる。

posted by 松村正直 at 20:04| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年05月01日

養子娘

河野さんの『うたの歳時記』を読んでいたら、「養子娘」という言葉が出てきた。
田舎の大きな家に、老いた両親が二人きりで暮らしている。次郎という犬が一匹いたが、その犬も去年死んでしまった。養子娘の身が、親を残して家を出てしまったという負い目が、ずっと私の中にある。

養子娘というのは、婿養子を取った娘、あるいは婿養子を取るべき娘といった意味なのだろう。河野さんは二人姉妹の長女だったから、自分が河野家を継ぐべきという考えを持っていたわけだ。「負い目」という強い言葉を使っていることに、ちょっと驚く。

そのあたりの、河野さんの実家に対する思いや「家」についての考え方が、僕には今ひとつわかりにくい。河野さんは「嫁」という言葉が大嫌いで、歌会でも「嫁」という語を使った歌に否定的であったくらいだが、僕から見ると「養子娘」という言葉も似たようなものに思えるのだ。

河野さんの家族像や家族観には、古風な部分と現代的な部分とが奇妙に入り混じっている。そんな印象を受ける。

posted by 松村正直 at 22:39| Comment(4) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする