2012年04月30日

平田オリザ著 『平田オリザの仕事2 都市に祝祭はいらない』

1994年〜1997年に書かれた演劇論、エッセイ、劇評などをまとめた本。
以下のような部分が、特に印象に残った。
短歌について考える上でも、随分と参考になるように思う。
演劇を創るのに主題はいらない。空間と人間と、その人間たちの関係を決定すれば演劇はできる。
戯曲を書くうえでの一番の規則は、「登場している人しか喋れない」という点である。
人間は、すでに共有している情報について、わざわざ話をすることはない。だから例えば、夫婦と一男一女の家庭の食卓を舞台とすれば、いつまで経っても、その四人の会話からは、父親の職業すらわからないことになってしまう。
背景を書き込むとは、説明的な台詞をたくさん書けということではありません。さりげない一言でも、人物の背景は十分に説明できます。それが、戯曲の力です。

今年の「塔」の全国大会の二日目(8月19日)には、平田オリザさんに来ていただくことになっている。どんな話を聞くことができるか、今から楽しみだ。

1997年7月18日、晩聲社、2000円。

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2012年04月28日

北方異民族慰霊之碑

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芦屋に用事があったついでに、昨日は午後から神戸護国神社を訪ねた。
快晴の汗ばむような陽気である。
神社の横の公園では小さな子どもたちが遊んでおり、母親たちが集まって立ち話をしている。

境内にはいくつもの慰霊碑が建っているのだが、そのうちの一つに「大戦殉難 北方異民族慰霊之碑」がある。第二次世界大戦やその後のシベリア抑留で亡くなったウィルタ(オロッコ)やニブヒ(ギリヤーク)の人々を弔う碑だ。

この碑は、戦時中樺太にあった敷香陸軍特務機関の機関長を務めた扇貞雄・元陸軍少佐が、1975年に建立したものである。先住民を徴集した側の人が建てたものであり、しかも神戸という土地は扇氏の地元というだけでウィルタやニブヒとは何の縁もない。

それでも、こうして石に刻まれた文字は、埋もれつつある歴史をかろうじて伝えるという役割を果たしている。かつてゲンダーヌも死んだ仲間たちのことを思って、この碑に参拝したということだ。

護国神社は高台にあり、遠くには海が見える。
シベリアで亡くなった樺太先住民たちの霊は、今ごろどこにいるのだろうか。

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2012年04月26日

赤瀬川原平×山下裕二著 『日本美術応援団 オトナの社会科見学』

「日本美術応援団」シリーズの一冊。
今回は国会議事堂、東京国立博物館、根津美術館、鎌倉、長崎、奈良などをめぐっている。

対談集という形なのだが、二人の掛け合いが漫才のようで面白い。二人の基本的な姿勢は、自分たちが現物を見て良いと思ったものを評価するということ。国宝だからとか、歴史的な価値があるからとか、そういう目では見ない。

でも、そうした世間的な価値観に抗うというのとも違う。もっと自然体だ。できるだけ縛られずに、自由に見ることが大切ということだろう。

先日訪れた聖徳記念絵画館も取り上げられている。
赤瀬川 順路に沿って見ていくと、前半部の最後にある絵ですね。入口から右側に入って、最初の絵の反対側のところ。要するに、日本画のトリにあたる。
山下 紅白歌合戦でいう、前半部のトリ。
赤瀬川 そう、紅白。前半四十人が日本画部門で、後半四十人が洋画部門。

聖徳記念絵画館と紅白歌合戦を結び付ける自由さ、これがこの二人の持ち味である。

2011年7月25日、中公文庫、762円。

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2012年04月25日

「かりや」第33号


刈谷市郷土文化研究会の発行する雑誌を、「コスモス」の鈴木竹志さんから送っていただいた。巻頭に鈴木さんが「わが歌の恩人達(一) 鈴木定雄」という10ページにわたる文章(講演を元にしたもの)を書いている。

昨年5月に亡くなった鈴木定雄さんは、戦後のアララギ若手歌人の同人誌「ぎしぎし」の中心メンバーの一人で、「アララギ」「未来」などでも活躍した。しかし、その後短歌から離れたことや歌集がないこともあって、今ではほとんど忘れられてしまった歌人である。

鈴木竹志さんは高校教師をしている時に、生徒の父親である鈴木定雄さんと偶然出会ったらしい。その後の交流や、鈴木定雄の短歌作品の特徴や足跡を、愛情のこもった筆致で描き出している。初めて知ることも多く、戦後という時代の雰囲気がよく感じられる。

実は、昨年、鈴木竹志さんのご仲介によって、鈴木定雄さんの蔵書の一部(高安国世の著書や「塔」のバックナンバー)を塔短歌会事務所にご寄贈いただいた。鈴木定雄さんはかつて短歌をしていたことを周りの人にはあまり言っていなかったようだが、こういった本が残っていることに、鈴木さんの短歌に対する思いを感じ取ることができるように思う。

鈴木さんは「ぎしぎし会々報」に計186首の短歌を残している。他にも「アララギ」「西三河通信」「未来」「塔」などに載った歌を集めれば、おそらく歌集1冊分にはなるだろう。戦後短歌の貴重な記録として、これを何とか歌集にまとめる術はないものだろうか。

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2012年04月24日

田中了/D.ゲンダーヌ著 『ゲンダーヌ』

副題は「ある北方少数民族のドラマ」。

ウィルタ(オロッコ)のダーヒンニェニ・ゲンダーヌ(日本名 北川源太郎)の足跡をたどったドキュメンタリー。ゲンダーヌの口述を元に、高校教師の田中了(ウィルタ協会事務局長)が記したもの。

ゲンダーヌは戦前の日本領樺太で生まれ、戦時中は陸軍の特務機関によって徴集され、北緯50度の日ソ国境付近で諜報活動に従事。戦後、スパイ幇助の罪により重労働8年の刑を言い渡されてシベリアに抑留される。

昭和30年に日本に引き揚げてきた後は、ふるさと樺太に近い網走に住み、日雇い労働で生計を立てる。日本政府に対して軍人恩給の支給を求めるものの、軍人としての召集ではなかったとして拒否されるなど、様々な苦難を乗り越え、やがてウィルタとしての誇りを取り戻していく。

何ともすごい本である。

日ソ両国間で翻弄され続けてきた少数民族の悲哀が、一人のウィルタの人生を通じて、まざまざと甦ってくる。そして、戦後になっても戦前と同じように続いた民族差別について深く考えさせられる。

もちろん、今から30年以上前に書かれた本なので、古くなってしまった部分もある。「連帯」「勤労人民」「抑圧民族」「歴史的必然」といった左翼的な言葉や考え方は、今では力を持たないだろう。

けれども、そうした運動を通じてこの本が生まれ、ゲンダーヌをはじめとした少数民族の人々の人生が記録されたことは、やはり特筆すべきことだと思う。本になって残されたことで、私たちは何年たっても埋もれた歴史を知ることができるのだ。

1978年2月20日、現代史出版会、1500円。

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2012年04月23日

「文机」第三十二号(終刊号)

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高島裕の個人誌「文机」の終刊号が届いた。
終刊号もこれまでと変らず、A5判8ページの冊子に短歌と散文、編集後記が載っている。
屋根雪にさらに梯子を突き立てぬ。下より照らす母のともしび
夜もすがら屋根雪溶ける音のしてわが夢をゆく春の日輪
文机、しづけき夜に物書けばこころの底にみづうみの見ゆ

「年に四度、季節の風が変はるごとに、号を重ねたい」(創刊号)の言葉通り、「文机」は平成16年春から平成24年春まで、8年間にわたって着実に号数を重ねてきた。その成果は、第四歌集『薄明薄暮集』や散文集『廃墟からの祈り』にまとめられている。

この8年の間に高島は、自らの進むべき方向を見つけ、確かな自信を手に入れたように感じる。個人誌「文机」が、その大きな支えとなったのだろう。『薄明薄暮集』の歌の配列が春夏秋冬といった部立となっているのも、「文机」が季刊であったことと深く関わっているように思う。

「これまでとは違つた新しい発信の形を作ることへの意欲が湧いてきた」(終刊号)と記す高島の新たな出発と、今後のさらなる活躍に期待したい。

平成24年3月1日発行、300円。

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2012年04月21日

伊藤一彦・堺 雅人著 『ぼく、牧水!』

副題は、〈歌人に学ぶ「まろび」の美学〉。

歌人の伊藤一彦と俳優の堺雅人の対談集。2009年10月31日〜11月2日の三夜にわたる対談が収められている。

二人はもともと宮崎県の高校の先生と生徒という関係で、卒業後に堺が伊藤の著書『あくがれゆく牧水』を読んだことをきっかけに、牧水との縁ができたらしい。

牧水の恋や生き方、歌の魅力をめぐる話を中心に、演技論、教育論など、幅広い話題が繰り広げられている。

特に印象に残ったのは、牧水の「あくがれ」は現実逃避とは違うという話。
  舞台や映画の製作現場も似たところがあります。現実を離れてフィクションを作る現場だけれども、そこに集う人間は現実の人間です。だから衝突もあるし、悪意も存在する。

伊藤 現実の人間関係から逃避して演劇や映画の世界に入ろうと思ったら、わい雑で煩さな人間関係の中に放り込まれ、「私、ダメ」という子がけっこういるんでしょう。

  純真な人ほど、そのギャップに耐えられないかもしれないですね。ユートピアみたいな関係性を期待していると、失望することになる。だけどそれって健全な集団だと思うんです。人がいて何かを作る以上、聖域なんてありえない。

まさに同感。
例えば、短歌の結社についてもまったく同じことが言えるだろう。

2010年9月10日、角川ONEテーマ21、781円。

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2012年04月20日

いやなのだ

「塔」4月号を読んでいたら、こんな歌があった。
迫力が一首の言葉を作らせるいやなのだ小手先の歌など
                永田 淳

まあ、そうだよなあと思う。次に「嘘くさき修辞を重ぬる歌集なりレモン半分齧りつつ読む」という歌があるので、作者の言いたいことはよくわかる。

この歌に立ち止まったのは、「いやなのだ」という言葉。
すぐに河野さんの歌を想い浮べた。
このひとは寿命縮めて書きてゐる私はいやなのだ灰いろの目瞼など
               河野裕子『家』

身近に接しているうちに、知らず知らずに文体が似たのかもしれない。
そう言えば、永田さんにもこんな歌がある。
ポケットに手を引き入れて歩みいつ嫌なのだ君が先に死ぬなど
               永田和宏『風位』

それぞれ関係のない歌なのだが、こうして並べてみると、口調が伝染したみたいで面白い。

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2012年04月19日

N・ヴィシネフスキー著 『トナカイ王』


小山内道子訳。副題は「北方先住民のサハリン史」。

日本とロシア(ソ連)という二つの国の間で翻弄され続けてきた樺太(サハリン)先住民の歴史の記録。時代は、日本がロシア革命後の混乱に乗じて北樺太を占領した1920年から終戦後の1950年代までを描いている。

主人公は「トナカイ王」と呼ばれて日本領の南樺太で活躍した商人ドミトリー・ヴィノクーロフ。ヤクート人である彼は数百頭のトナカイを飼育して財をなしただけでなく、故郷の北シベリアのヤクーチア(現ロシア連邦サハ共和国)独立に向けて日本の支援を要請するなど、日本とも関係の深い人物であった。

専門的な学術書や個人的な思い出を記した本を除くと、戦前の樺太に関する本は非常に少ない。そんな中にあって、本書は今ではほとんど忘れられてしまった歴史に光を当てた貴重な一冊と言えるだろう。

この本の出版に至る経緯は平坦なものではなかったようだ。1994年に訳者が原著を読み、1996年に翻訳を完了した後も、出版社が見つからず、2005年になってようやく北海道大学の学内出版(非売品)として刊行。その反響を受けて、2006年に一般向けに出版されたのだそうだ。12年もの歳月をかけて出版にこぎつけた訳者と著者の尽力には、本当に頭が下がる。

2006年4月19日、成文社、2000円。

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2012年04月18日

七十歳(その2)

さて、以下は歌の鑑賞に直接は関係のない話。

この学生がその後どうなったのか、興味を持って調べてみたところ、意外にも簡単にわかってしまった(何でもすぐにわかってしまうのもコワイ話だが)。

関心のある方は「大法輪」という仏教系の雑誌(京都府立図書館など大きな図書館に置いてあります)の2005年11月号をご覧ください。宮島鏡という作家が「弥勒菩薩像接吻事件」という題で詳しく記しています。

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2012年04月17日

七十歳(その1)

「塔」3月号にこんな歌がある。
この像の指を折りたる学生はどこに居む生きていれば七十歳(ななじゅう)
                   吉川宏志

広隆寺の弥勒菩薩像のことであろう。
かつて、ある学生があまりの美しさに触って指を折ってしまったというエピソードが広く知られている。

調べてみると、この事件が起きたのは1960年の8月18日のこと。20歳の京大生がしたことであった。学生は文化財保護法違反の容疑で取り調べを受けたものの、起訴猶予処分となったらしい。有名な事件であるが、確かにその後の学生の動向については何も聞かない。

この歌は、仏像を見ながら、そんな有名なエピソードの主について思いをめぐらせているのだろう。エピソードの中では永遠に20歳の学生のままだが、現実には、もし生きていれば70歳を過ぎた老人となっているのである。

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2012年04月16日

工藤直子さん

小学校5年の息子が「ちびへび」という詩を音読していた。
工藤直子さんの詩だ。

工藤直子と言えば「てつがくのらいおん」も忘れられない。教科書で読んで、すっかり好きになって、詩集を買って読んだりした。何とも懐かしい。

工藤さんは今どうしてるのだろうと思って調べてみると、1935年の生まれで、ご健在。それよりも、工藤さんの息子がマンガ家の松本大洋だと知ってびっくり。

いやぁ、そうだったのか。
世の中、知らないことがあるもんだ。

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2012年04月15日

小池光著 『うたの人物誌』

副題は「短歌に詠まれた人びと」。角川「短歌」に2006年〜2008年に連載された文章を一冊にまとめたもの。

「科学者」「作家」「画家」「政治家」「革命家」など、歌に詠まれた人物をジャンル別に取り上げて、解説を加えるというスタイル。その人物にまつまるエピソードを紹介しつつ、歌の読みにも独自の冴えを見せている。

小池の散文のうまさには定評があるが、この本でも、雑学的な事柄や、歴史への言及、あるいは短歌論と呼んでいいものまで、自在に筆を運んで読者を飽きさせることがない。
みそれ降る/石狩の野の汽車に読みし/ツルゲエネフの物語かな
                    石川啄木『一握の砂』

例えば、この一首について小池は、啄木の読んだ本が明治41年1月に刊行された二葉亭四迷の翻訳小説集『片恋』の再版であったことを述べる。そして、この歌の背景ともなったであろう啄木と二葉亭との縁について、次のように記すのである。
石狩の野を行く汽車で啄木がツルゲーネフを読んで一年後、二葉亭四迷はベンガル湾の船上で客死した。啄木にとって同じ東京朝日新聞の先輩社員でもあった。そして死後直ちに編まれる二葉亭全集の校正の仕事がまわってきた。思いもしなかった運命の展開であった。歌は明治四十三年五月七日の東京朝日新聞に発表。ツルゲーネフを通して、会わずに終わった二葉亭四迷へのさまざまな思いが籠もっている筈。

この部分だけ読んでも、いかに密度の濃い内容が含まれているかがよくわかるだろう。

2012年2月25日、角川学芸出版、1600円。

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2012年04月14日

辰年

先日、久しぶりに東京(正確には神奈川県)に住む父と会った。

家に泊めてもらって、父の好きな巨人×阪神戦を観ながらあれこれ話をしたのだが、
今年、父は年男で72歳になるのだった。

思いついて調べてみると、名前に「龍」や「辰」が付くひとは、やはり辰年生まれが多いようだ。

 芥川龍之介(1892年)
 堀 辰雄 (1904年)
 澁澤龍彦 (1928年)
 坂本龍一 (1952年)
 村上 龍 (1952年)
 藤原龍一郎(1952年)

父も、まあ元気そうで何より。

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2012年04月13日

谷川俊太郎詩集 『はだか』


「さようなら」「はだか」「てんこうせい」「ひみつ」など、全23篇。すべてひらがな書きの18行詩になっている。

どの詩にも省略と飛躍と謎があり、読者の想像力をかき立てる。子どものような言葉づかいが、無邪気さと残酷さが紙一重の心の姿を抉り出している。
おじいちゃんはとてもゆっくりうごく
はこをたなにおきおえたあとも
りょうてがはこのよこにのこっている
しばらくしてそのてがおりてきて
からだのわきにたれる
(…)           「おじいちゃん」
きみはぼくのとなりでねむっている
しゃつがめくれておへそがみえている
ねむってるのではなくてしんでるのだったら
どんなにうれしいだろう
(…)           「きみ」

詩と詩の間には、佐野洋子の絵が計22点描かれていて、独特の雰囲気を醸し出している。

1988年7月30日発行、1990年5月1日第16刷、筑摩書房、1650円。

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2012年04月12日

聖徳記念絵画館

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明治神宮外苑の一画に聖徳(せいとく)記念絵画館という建物がある。東京には20年以上住んでいたけれど、こんな場所があることは知らなかった。大正15年の竣工で、重要文化財に指定されている。

建物の中には明治天皇の「御降誕」から「大葬」にいたる80枚の絵画が展示されている。今回はその中の一枚の絵を見るために訪れたのであった。

絵画は当時の一流の画家たちによって描かれたもので、一枚が縦3メートル、横2.7メートルという大きなもの。時代順に1番から80番まで並んでいて、40番までが日本画、41番以降は洋画となっている。そんなところにも、明治という時代がよく表れているだろう。

「大政奉還」「西南役熊本籠城」「憲法発布式」「帝国議会開院式臨御」「日清役黄海海戦」「日英同盟」「日露役奉天戦」など、さながら明治の時代絵巻といった感じである。近代史のおさらいをするには良い場所かもしれない。

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2012年04月11日

青年団公演「隣にいても一人 関西編」

作・演出:平田オリザ。こまばアゴラ劇場にて。

目が覚めたら夫婦になっていた2人と離婚寸前の2人、しかも男同士女同士はきょうだいという二組の夫婦をめぐる物語。たった4人の登場人物であるにも関わらず、舞台に4人が揃っている時、3人の時、2人の時、1人の時、0人の時と、人間の関係性が様々に変化していく。

今回見たのは登場人物が関西弁を喋る「関西編」だが、他にも「帯広編」「盛岡編」「三重編」「広島編」「青森編」「熊本編」「英語版」の計8バージョンがあるとのこと。同じ作品を別の方言で聞くとどう違うのか、そんな楽しみ方もできるわけだ。

題名は尾崎放哉の「咳をしても一人」のパロディだろう。内容的には喜劇なのだが、夫婦のあり方についてしみじみと考えさせられる作品であった。
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2012年04月10日

村山斉著 『宇宙は何でできているのか』


副題は「素粒子物理学で解く宇宙の謎」。

先日、著者が登場するテレビ番組を見て非常に面白かったので、今回、科学書としては異例のベストセラーになっている本書を読んでみた。

序章〜2章までは非常に面白い。巨大な宇宙の話と微小な素粒子の話がウロボロスの蛇のように密接に関わっていること、宇宙全体の96パーセントは「暗黒物質」と「暗黒エネルギー」が占めていることなど、興味深い話がたくさん出てくる。

3章〜5章までも難しいながら何とか読み終えることができた。専門的な内容を一般向けに書くというのは大変なことだろうが、身近な比喩を使ったり、エピソードを交えたりして、実にうまく導いてくれる。

宇宙の謎を解く方法が一つではないことも印象的であった。巨大な望遠鏡で宇宙を直接観察したり、電子顕微鏡で素粒子を観察したり、加速器を使った大掛かりな実験をしたり、新しい理論を組み立てたり、コンピューターでシミュレーションを行ったりと、実に様々なアプローチがある。

科学者、研究者といった人々のことが、少し身近に感じられるような気がした。

2010年9月30日発行、2011年9月5日第17刷、幻冬舎新書、800円。

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2012年04月09日

磐船神社

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先日、大阪府交野市にある磐船(いわふね)神社へ行った。

ここはイワクラ信仰の地として有名なところで、「天の磐船(あまのいわふね)」と呼ばれる高さ12メートル、幅12メートルの巨大な岩がある。この巨岩そのものが御神体となっており、その前に拝殿がある。本殿はない。

他にも多数の巨石があり、その中を潜り抜けていく「岩窟めぐり」をすることができる。500円。鍾乳洞でも防空壕でも鉱山跡でも、洞窟と名の付くものは大好きなので、早速挑戦してみたが、これがかなりハードな道のり。まさに全身運動である。

もちろん、遊びではなく拝観なので、行衣という白い襷を掛けていく。信仰心はさほど持ち合わせていないのだが、大きな岩を前にすると何となく敬虔な気持ちになってくる。30分ほどかかって、ようやく出口へ。

近くには、長さ280m、地上高50mの人道吊り橋「星のブランコ」や大阪市立大学附属植物園などもあり、一日楽しく遊ぶことができる。

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2012年04月07日

貞淑な

斎藤茂吉は、「覇王樹」昭和6年4月号(橋田東声追悼号)に「橋田東声君」という追悼文を寄せている。(『斎藤茂吉全集』第六巻)

文章は、昭和5年8月にアララギの安居会で高野山を訪れ、別の用事で近くまで来ていた東声と電話で話をし、その後、偶然北見志保子と出会った場面から始まる。その時、茂吉は「橋田君も高野山に来てゐますね」と言いかけて、口を噤んだのであった。
 (…)橋田君に就いて最も印象の深いのは、橋田君が大学を出られ、奥さんのあさ子さんと一しよに青山の長者丸に住まはれた時である。その時橋田君は病弱で、僕もたまたま聴診器などを持つて見舞つたことをおぼえてゐる。(…)あさ子夫人は所帯のさう豊かでないなかを甲斐甲斐しく世話して居られたので、僕は橋田君を深く感ずると共にあさ子夫人に対する印象もまた深いのである。
 
茂吉はこう述べたのち、高野山で志保子に東声のことを言いかけたのも「僕にとつては極めて自然の心の動きで、そこにちつとも無理がないといふ気がしてならぬのである。即ち、僕は橋田夫妻のしみじみとした生活の時代を知つてゐて、後年の葛藤生活の時代のことは知らぬからである」と記している。

その後も東声を偲ぶ文章は続くのだが、「橋田君にはその後貞淑な新夫人が出来て」といった書き方を見ると、やはり、そこには「貞淑でなかった前夫人」というニュアンスが感じられる。これが、文明や茂吉から見た北見志保子像なのかもしれない。

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2012年04月06日

あさ子夫人

土屋文明は昭和38年に「土佐中村」と題する5首を詠んでいる。
その中に
あさ子夫人まめまめしき大森の君が家に何か翻訳を届けしことありき
                     『続青南集』

という一首がある。この一連の最初に「中村と聞けば東声歌碑のこと思へどバスの停車みじかし」という歌があるので、ここに出てくる「君」とは橋田東声を指すのだろう。土佐中村は東声の故郷のすぐ近くであり、東声のことを偲んでいるのである。

そうなると「あさ子夫人」とは東声の最初の妻、北見志保子を指していることがわかる。北見志保子は本名「朝野(あさの)」であり、「あさ子」と名乗ることが多かった。大正2年に東声と結婚し、大正5年に大森に転居、大正12年に離婚している。

橋田東声は昭和5年に45歳で、北見志保子も昭和30年に70歳で亡くなっているので、文明がこの歌を詠んだ時、既に二人はこの世にはいない。

「あさ子夫人まめまめしき」には甲斐甲斐しく働く妻の姿が描かれているが、後に北見志保子が橋田東声の元を去ったことを知っていて読むと、ここに何かしら皮肉がこめられているようにも感じる。

文明の歌は単純なようでいて、なかなか一筋縄ではいかない。

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2012年04月05日

厚芝保一著 『北見志保子〜その人と文学〜』

著者は奈良県で長らく教職にあった方。昭和10年に作られ大ヒットした「平城山(ならやま)」の歌(北見志保子作詞、平井康三郎作曲)に惹かれて、北見志保子のことを調べ始めたとある。

「彼女について書いた本が、現在ほとんどない」と著者は述べているが、その状況は現在でもあまり変わらない。北見志保子に関するまとまった研究はほとんどないようだ。短歌史に大きな足跡を残した歌人であるにも関わらず、今では影の薄い存在となってしまっている。

そこには、いくつかの理由が考えられるが、このままで良いとは思えない。戦後「女人短歌」の編集発行人をつとめ、女人短歌叢書の第1番で歌集を出している歌人にふさわしい扱いが、今後なされていくべきだろう。
目になれてややに見えたりみ仏の坐像のみ胸ゆたかなるかも 『月光』
悔ゆるとき来るともよしや天地にこの人をこそわれは恋ふらめ 『花のかげ』
人恋ふはかなしきものと平城山にもとほりきつつ堪へがたかりき
いつの日にまた来むものかふるさとの水田の蛙けけろとなける 『珊瑚』
開かれし永劫の門を入らむとし植ゑし緋桃をふと思ひたり

1986年12月1日、奈良新聞出版センター、1300円。

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2012年04月04日

映画「僕達急行 A列車で行こう」

監督・脚本:森田芳光(遺作)、主演:松山ケンイチ、瑛太。

鉄道好きの草食系男子ふたりの友情と仕事と恋を描いた物語。

ストーリー自体は特に見るべきものはないが、随所に登場する鉄道風景が美しい。久大本線の豊後森駅や鶴見線の海芝浦駅など、かつて訪れたことのある場所が映し出されて懐かしかった。

若者向けの映画だと思っていたのだが、客層はけっこう年配の方が多い。鉄道ファンでもなさそうだし、あるいは大河ドラマの影響で松山ケンイチのファンが増えているのだろうか。

MOVIX京都にて。

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2012年04月03日

しいか

4月1日から「しいか」という詩と短歌の投稿サイトが始まりました。
私も短歌の選者の一人として参加しています。

詳しくは、下記の告知をご覧ください。

=======================================

しいか 
(「しいか.com」でご検索ください)

あなたの選んだ詩人が
あなたの詩に必ずお返事します

下記の詩人からお好きな方をお1人お選びいただき、詩をWEBでご投稿(自由詩1回分原稿用紙1枚分、短歌1回分5首で300円)いただければ、50点満点で採点してお返事します。WEB上非公開(選者だけが読む)の投稿も可能です。また投稿者の名前は選者に表示されません。受付期間は4月1日から6月3日までです。

(短歌)石川美南、加藤治郎、黒瀬珂瀾、小島なお、佐々木あらら、東直子、pha、松野志保、松村正直、山田航、雪舟えま、吉川宏志他

(自由詩)暁方ミセイ、大谷能生、小野絵里華、粕谷栄市、北川透、久谷雉、河野聡子、坂上秋成、佐藤雄一、白鳥央堂、杉本真維子、高貝弘也、千野帽子、鳥居万由実、野村喜和夫、藤原安紀子、文月悠光、間宮緑、山田亮太、吉田アミ、和合亮一他

さらに「阿澄佳奈、後藤沙緒里、miko、ななひら」のなかで朗読を希望する声優を選べば、高得点の場合、6月10日(日)の「こえサイファー」(於文京区シヴィック小ホール)で、声優さんがあなたの目の前で、あなたの詩を朗読します。もちろん声優を希望せず、投稿のみという選択もございます。

【日時】6月10日(日)19時開演
【場所】文京区シヴィックホール(小ホール)
【最寄駅】大江戸線、三田線春日駅。丸ノ内線、南北線後楽園駅徒歩1分(地図
【出演】阿澄佳奈、後藤沙緒里、miko、ななひら、吉田アミ、大谷能生、谷川俊太郎(ヴィデオ出演)、朝吹真理子
【チケット】5月第1週より販売予定。予定価格4000円。350席全席前売り指定。このサイトで追って報告します。
【投稿受付期間】4/1〜6/3
【製作監督】竹林慧(株式会社言語社)
【プロデューサー】佐藤雄一

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posted by 松村正直 at 00:37| Comment(1) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月02日

池内了著 『中原中也とアインシュタイン』

副題は「文学における科学の光景」。

文系と理系という二つの文化の乖離を嘆き、「新しい博物学」を提唱する著者が、文学と科学との橋渡しを意図して記した本。科学的な知識を踏まえて、文学作品を読み解いていく。

この本は、もともと『天文学者の虫眼鏡―文学と科学のあいだ』というタイトルで文春新書から出ていたものらしい。その絶版を機に、加筆修正の上で祥伝社から文庫となって出たとのこと。タイトルが全く違うので気が付かなかった。

「予知夢(明日亡くなる人の夢を今晩見る)を見る日本人が、1日26人もいる」とか「コップ一杯の水には、ニュートンの脳細胞を作っていた原子が4000個も含まれている」とか「藤原定家の『明月記』の記述が超新星の研究に貢献した」とか、おもしろい話がいっぱい載っていて、気軽に楽しむことができる。

著者の池内了(さとる)は宇宙物理学者、天文学者。ドイツ文学者の池内紀(おさむ)の4歳下の弟であり、この本にも幼い頃の兄とのエピソードがさり気なく記されている。

2012年3月24日、祥伝社黄金文庫、571円。

posted by 松村正直 at 00:11| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2012年04月01日

「波」2012年4月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第11回。

いよいよ話は河野さんの亡くなる2010年に入った。
1月の歌会始、5月の斎藤茂吉短歌文学賞の講演、6月の小野市詩歌文学賞の授賞式、そして紅さんの結婚式の話である。

私はこの年、斎藤茂吉短歌文学賞にも小野市詩歌文学賞にも行けなかった。既に短歌関係の予定が入っていたのである。河野さんの病状を考えれば、ぜひとも行っておきたかったのだが、その一方で、自分の仕事をすることが自分にできることだという思いもあった。

結局、その後は一度も会う機会のないままに、8月12日の訃報を聞くことになったのである。

posted by 松村正直 at 00:10| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする