2011年11月30日

中沢新一 『僕の叔父さん 網野善彦』


中沢新一が叔父(父の妹の夫)網野善彦との出会いから、亡くなる前の最後の電話に至るまでの日々を綴ったもの。単なる思い出話ではなく、父の中沢厚(民俗学者)も含めた彼らの思想的な交流が、『蒙古襲来』(1974)『無縁・公界・楽』(1978)『異形の王権』(1986)といった網野史学の形成に大きな影響を与えたことを描き出している。

特に、1968年の佐世保のエンタープライズ寄港阻止闘争で、学生たちが機動隊に投石している映像を見て、中沢厚が子どもの頃の石投げ合戦(菖蒲切り)を思い出し、さらにそこから網野が中世の「飛礫(ひれき)」へと話を進めるあたり、わくわくするような話の展開である。

中沢も言及しているように、人類学において「母方のおじ―甥」の間に結ばれる冗談関係は「権威の押しつけや義務や強制は発生しにくい」し、「精神の自由なつながりの中から、重要な価値の伝達されることがしばしばおこる」のである。ここから、ジャック・タチ監督主演のフランス映画「ぼくの伯父さん」や寅さんと満男の関係を思い出してもいいのだろう。

2004年11月22日、集英社新書、660円。

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2011年11月29日

「波」2011年12月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第7回。
今回もなかなか凄絶な内容。これでもか、これでもかという感じで話が続く。

2004年の永田さんの迢空賞授賞式の時には、僕も東京へ行った。その日の舞台裏が生々しく描かれている。知りたかったような、知りたくなかったような複雑な気持ちにさせられる。

明日は淳さん・紅さんと3人で、河野さんについての公開講座を行う予定。少し気持ちを立て直してから臨みたいと思う。

もう一つ。

巻末に新潮社の「12月の新刊」案内があるのだが、そこに岡井隆さんの『わが告白』が載っている。12月21日発売。これまた、読みたいような、読みたくないような・・・。

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2011年11月27日

林望著 『リンボウ先生の書物探偵帖』


「イギリスはおいしい」など数々のエッセイや小説で知られる作者が、専門の書誌学について記した本。書誌学とは
書物それ自体をオブジェクトとして「比較と観察」を重ねていくことによって、一つ一つの書物を正確に「認識」していく学問
と説明されている。

主に江戸時代の本について、それが写本か刊本か、活字か整版か、いつ頃のもので、どのような来歴を持っているのかなど、こと細かに調べて記述していくのである。こう書くと地味で退屈そうに聞えるが、それが滅法おもしろい。まるで推理小説を読んでいるかのようなのだ。

他にも、欧米や中国と違って、日本の本に必ず奥附が付けられているのは江戸時代以前からの伝統を踏襲したためという話にもなるほどと思った。
明治維新でなにもかもが一変し、書物の形も、和装本から洋装本へ、紙も和紙から洋紙へ、印刷様式も木版から活版へと、根こそぎ変化したように見えるけれど、それは表面上のことで、もうすこし深く書物の底流にまで眼光を及ぼすときには、案外と変わっていない部分が多いことを知る。
2000年3月15日、講談社文庫、743円。

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2011年11月26日

永井陽子旧蔵本

半月ほど前くらいだろうか、「日本の古本屋」に故永井陽子さんの旧蔵本が多数出ているのを見つけた。同じ古書店のもので、「歌に永井陽子のチェック入」「永井陽子旧蔵歌の上にチェックあり」「永井陽子鉛筆マーク入」などの注記がある。

永井さんが亡くなって11年。蔵書の一部が古書店に流れたのだろう。それ自体はよくある話である。実際問題、図書館や文学館に蔵書を寄贈できる人などほんの一部に過ぎず、あとは何らかの形で処分するしかないのである。本にとっても、燃えるごみになるよりは、新しい買い手に売られる方が良いのだろう。

それでも、そんなふうにネット上で販売されているのを見るのは、何だか忍びない思いがする。誰か早く買わないかなと気になって仕方がない。さんざん迷った挙句に、そのうちのいくつかを自分で買った。生前の永井陽子さんとはお会いしたことがないのだが、その人の持ち物だった本が、今こうして手元にある。

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2011年11月25日

松嶋憲昭著 『桶狭間は晴れ、のち豪雨でしょう』


副題は「天気と日本史」。

著者は気象予報士。本のタイトルや「博多湾で神風が吹くでしょう」「壇ノ浦では潮の満ち干きにご注意ください」などの章題を見てもわかるように、歴史的な事件の様子を気象学の立場から解き明かしたもの。

事件の起きた日の天候を推理して、そこから事件の謎に迫っていく手法は、とても刺激的でおもしろい。気象歴史学とでも呼ぶべきものだろうか。気象と歴史という一見関係のなさそうなジャンルが交差して、新しい化学反応が起きるような面白さである。

僕も「短歌×歴史」とか「短歌×民俗」といったことを考えることが多いので、こうしたジャンルを跨ぐ考え方や方法には非常に共感する。

ただし、全6章すべてが面白いというわけではない。本格的な新ジャンルの開拓は、まだ始まったばかりという印象である。特に、謎解きの際に引用する文献の信頼性に対する検討が弱いように感じた。
マルコ・ポーロは文永の役の翌年頃から20年間近く中国に滞在したといわれています。当然弘安の役を直接体験した人たちから話を聞いたかもしれないと考えると、台風の記述に関しては、信じてみてもいいのではないでしょうか。
この部分にしても、「当然」→「聞いたかもしれない」というあたりの、呼応しない言葉のつながり方に、そうした弱さが垣間見えるように思う。

2011年10月31日、メディアファクトリー新書、740円。

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2011年11月24日

奈良

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息子を連れて奈良に行く。紅葉が鮮やか。

鹿にせんべいをやりながら、まずは興福寺、そして新薬師寺へ。今日は四天王、八部衆、十二神将など、カッコイイ系の天部の仏像を中心に見て回る。

興福寺は国宝館がリニューアルされて、展示が見やすくなった。阿修羅像も至近距離でたっぷりと見られる。一方の新薬師寺はと言うと、こちらはいつ行っても素っ気ない感じ。それがまたいい。

帰り道でたまたま通りかかった「頭塔(ずとう)」という土の塔(?)を見学する。方形七段のピラミッドみたいな形をしたもので、2000年に復原整備されたらしい。なかなか存在感がある。
鹿たちも若草の上(へ)にねむるゆゑおやすみ阿修羅おやすみ迦楼羅
           永井陽子『てまり唄』

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2011年11月22日

ネットと歌会

スマートフォンが普及してきて(僕は持ってませんが)、歌会中に見慣れない言葉をネットで調べることができるようになった。辞書に比べてネットの情報量は圧倒的だ。作者の造語以外のものは、ほとんどすべて調べることが可能になったと言っていいだろう。

それは、もちろん便利なことだし、歌会で迷走していた読みを一つの方向に導くものでもある。僕自身、家で歌集を読みながら、わからない言葉をネットで検索することがしばしばある。

ただ、どうも気になるのだ。

歌会でネットを検索することに違和感を覚えるのである。言葉の意味が判明すると、それでみんな何か「わかった」ような気になるのだが、本当にそうなのだろうか。いつもそんな気持ちになる。

「この言葉は知らないのだけど、音の響きがとっても面白い」とか「たぶん地名じゃないかなあ」「いや、商品名でしょう」とか、そんなことを言い合う時間が、実はけっこう大切だったのではないかと思うのだ。それは一見無駄なようでいて、豊かな時間である。

人と歌との出会いは一期一会だ。特に歌会という場ではそうだろう。これは自戒をこめて書くのだが、初めて出会う歌に素手で立ち向かう気持ちを、いつまでも忘れないようにしたい。

posted by 松村正直 at 20:01| Comment(3) | 短歌入門 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月21日

相原迷吾詩集『星くず狩りの鈍行列車』


作者名は「あいはら まいご」。
全部で65編の詩が収められている。

言葉遊びがふんだんに使われていて、ユーモア詩やナンセンス詩の味わいがある。楽しく笑って読んだ後に、どこかしんみりとした寂しさが伝わってくる。
  がらすのからす
がらすのからす われないように
おそるそるそる とんでみた
がらすのからすは とうめいだから
とんでいるのか みえにくい
くろいからすが うしろから
ごうそっきゅうで とんできて
がらすのからすに ぶつかった
くろいからすは あたまをうって
じめんにおちて すぐしんだ
がらすのからすは こなごなに
くだけて ほうぼうちらばった
けれどももしか もしかして
われずにとんでいるのかも
がらすのからすは とうめいだから
とんでいるのか みえにくい
他にも「へ」「いたずら」「あなたのそば」など名作(迷作?)多数。五七調や四四五のリズムを刻む詩が多く、その後、相原さんが短歌へやって来たのも頷ける。今はなき新風舎の本だが、アマゾンで購入できるので、興味のある方はぜひどうぞ。

2003年10月15日、新風舎文庫、650円。

posted by 松村正直 at 21:44| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月19日

高安国世の手紙

「塔」に連載している「高安国世の手紙」が、12月号で終了する。既に最終回の原稿は印刷所へ送ってしまったので、実質的にはもう終わり。3年間書き続けてきた連載が終って、今は少しさびしい気分である。

当初1年くらいの予定で始めた連載だったのが、書いているうちに少しずつ書き方のコツをつかんできて、書くのが楽しくなってきた。古い資料を調べたり、人に会いに行ったりして、いくつか自分なりの新しい見解も出すことができたと思う。

他にも「俳句」や「原爆」など、書き切れなかったテーマが少し残っている。それらを書き下ろして、何とかこの連載を一冊の本にまとめたい。金銭的なことも含めて見通しは立たないが、再来年(2013年)の高安さんの生誕100周年までにと考えている。

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2011年11月18日

藤沢周平著 『白き瓶―小説 長塚節』


手紙や日記、短歌作品などの資料を精細に読み込んで、それを基に歌人長塚節の人生を描き出している。タイトルに「小説」とあるが、評伝的な要素も十二分に備えており、資料的な価値も高い。小説家の力量というのは凄いものだと驚かされる。傑作。

長塚節を取り巻く歌人たち(子規、左千夫、茂吉、赤彦、三井甲之など)も実に生き生きと描かれていて、初期アララギに興味がある人には非常に楽しめる内容となっている。「馬酔木」→「アカネ」・「阿羅々木」→「アララギ」の変遷や、同人間の反目や離合の様子もよくわかる。

一か所、ユーモアを感じたのは次の部分。
下妻の友人の三浦義晃にあてた絵ハガキに、節は「荘内は美人多しと申せど、三日の旅に一人も美人らしきを見ず」とこぼしたが、鶴岡、酒田はむろん、田の中畑の中に、頬かむりしてごろごろいたはずの荘内美人が眼にとまらなかったのは、節の不運というしかない。
作者の郷里(山形県鶴岡市)に寄せる愛情が、こんなところに顔を出している。

1988年12月10日、文春文庫、629円。

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2011年11月17日

候文

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ひょんなことから、古い (と言っても昭和の初めころだが) 手紙を入手した。いざ、読もうとしたところ、候文で書かれていて、なかなか読めない。変体仮名やくずし字もあって、判読が難しい。

困ったなと思っていたところ、「古文書くずし字検索」という便利なサイトを見つけた。古い文書によく使われるくずし字の用例を簡単に調べることができる。おかげで、何とか解読が進み、あと数文字を残すだけというところまで来た。

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2011年11月16日

迷路

新聞や雑誌などに載っている迷路で遊ぶことがある。

「スタート」から鉛筆で道をたどって「ゴール」へ行くわけだが、迷路の何が面白いのだろうと考えると、要するに迷うのが面白いわけだ。こっちの道に行ってみて、ダメだったら別の道に行ってみる。それでもダメだったら、少し手前まで引き返して、さらに別の道を探す。

その過程が面白い。

もちろん、迷路の目的は「ゴール」に行くことなのだが、「ゴール」に着くこと自体が面白いわけではない。その証拠に、解答を見ながら迷路をやっても、ちっとも面白くなんかない。

文章を書く場合も、似たようなことが言えると思う。

そして、歌を作る時や読む時も、たぶん同じなのである。


posted by 松村正直 at 22:56| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年11月13日

疑念

「短歌」11月号の角川短歌賞の選考座談会を読み直していて、気になった作品があった。座談会で議論されているだけで50首全部は読めないのだが、取り上げられている歌に類似歌が多いのである。(●が応募作)

●ぱんぱんと烈しく妻が布団打ついやいや布団じゃないかも知れぬ

力まかせに布団をたたく音がする、いや布団ではないかもしれぬ
        /松村正直歌集『やさしい鮫』(2006年)

●よろこんで踏まれてやろうこのままじゃ来世はきっとキャベツだろうから

よろこんで食われてやろうこのままじゃ来世はきっと植物だから
        /山田消児「僕の実験」 「遊子」第13号(2006年5月)

●自販機に押し返される千円札 いじになってる愛かもしれず

自販機に押し返される千円札 君の彼への愛に似てるね
        /妹尾咲子歌集『アポヤンド』(2003年)

座談会で米川千嘉子さんが「安定している分だけ既視感があるんかなぁ」と発言しているが、確かに他の歌もどこか見たことがあるようなものが多い。しかも、一首一首の歌の傾向がバラバラで、とても同じ一人の作者が生み出した歌とは思えない。

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2011年11月11日

ワクワクを伝える

短歌関係の文章を書いていて、いつも思うこと。

調べものをして何か新しい発見をした時など、自分ではワクワクするし、誰かにそれを伝えたいと思う。でも、その興奮を文章で伝えるのは意外と難しい。文章を書くと、それが「もともと知っていたこと」のようになってしまうからだ。

譬えて言えば、自分で調べたり考えたりしている時は、算数の問題を解いている感じであるのに対して、それを文章に書くと、検算をしている感じになってしまうのである。生きている魚と死んだ魚の違いと言ってもいい。ワクワク感が消えてしまうのだ。

もっと文章の書き方を工夫しなくてはいけないのだろう。

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2011年11月10日

映画「東京オアシス」

監督・脚本:松本佳奈 中村佳代
出演:小林聡美、加瀬亮、黒木華、原田知世ほか

「かもめ食堂」「めがね」「プール」「マザーウォーター」に続くプロジェクトの第5作。今回の舞台は東京。一人の主人公をめぐる3つの話から成り立っている。それぞれ良い話だと思うし、俳優さんも好きな人が多いのだが、肝腎な点で今ひとつ乗り切れなかった。

それは、東京という街で、見知らぬ人に話しかける(あるいは話しかけられる)ことに、どれだけのリアリティがあるのかということ。物語の出発点がそこにあるだけに、どうしても気になった。

その点、「歌壇」11月号で穂村さんが発言していたことは印象的だった。
(…)今の東京のスタンダードでは電車の中の人や道をすれ違う人としゃべらない。昔のご近所づきあいみたいな感じじゃないから。でも、あのとき(震災直後・松村注)だけは知らないおっちゃんとかがみんなにいっぱい話しかけたりして、それに普通のOLさんも答えるような感じで。だから、スタンダードが一瞬にして(変わり)、対人関係の距離が近づいて共感的になったというか、それは覚えてますね。
実によくわかる例であり、明晰な分析だと思う。

京都シネマ、83分。


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2011年11月09日

「あまだむ」2011年11月号

ディスカッション「二十一世紀型の結社をもとめて」という座談会が面白い。
参加者は阿木津英(兼司会)、島田幸典、真野少、村山寿朗の4名。最初に阿木津さんが
「牙」が終刊しましたが、その有志とともに「あまだむ」も改組して、新結社として合流・再出発しようということになりました。これを機会に改めて根本的に結社というものを、日本の伝統詩形の特殊性を考え合わせながら、議論してみたいと思います。
と、座談会の主旨を述べている。その後、全25ページにわたって、結社の意味や歴史、選歌、添削の問題、師弟関係、批評のあり方など、結社の抱える様々な面について、ざっくばらんな意見交換が続く。もとより結論の出るような話ではないが、こうした議論の積み重ねは大事なことだと思う。

印象に残った発言をいくつか、引いておこう。
阿木津 「牙」なんかも復刊当時は、石田比呂志編集ノートを見ても初々しく主張してる。宗匠主義を廃するとか、権威主義を廃するとか。わたしは入った当時すごく共感した。やっぱり戦後生まれだから。でも、終るころには立派な「宗匠」になっていた(笑)
島田 だから俺が最初の方で言ったけど、雑誌というものにとらわれすぎたんじゃないかという、二十世紀結社に対するひとつの疑問はそこにある。雑誌編集、雑誌出版ってそれ自体、独自のメカニズムだし、かついちばんお金がかかるじゃない。そっちの方に気持がいきすぎちゃって、もともと何で集団作ったんだろう、ここに入ったんだろうって忘れちゃうんじゃないですかね。(…)
真野 (…)俺ね、石田さんを訪ねて行ったとき、石田比呂志が石田比呂志であるように俺は俺であり得てない、みたいなことが唐突に自分の口をついて出て、泣いちゃったんですよ。そういう、人のこころのいちばん弱いところを、一瞬につかんでそこに寄り添う能力、あれは卓抜したものだった。(…)

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2011年11月08日

常石敬一著 『七三一部隊』


副題は「生物兵器犯罪の真実」。

七三一部隊とは、中国のハルビン近郊にあった「関東軍防疫給水部」の本部のこと。通称「満州第七三一部隊」。石井四郎軍医中将が部隊長を務めていたため、石井部隊とも呼ばれる。

七三一部隊は森村誠一『悪魔の飽食』で有名になったように、中国で細菌兵器の開発、使用や人体実験などを行ったとされている。この本は、様々な資料からその活動内容を解き明かし、戦後の隊員たちの姿にも迫ったもの。

歴史的に評価の分れている問題だけに、著者も客観性を保って書く努力をしている。その姿勢は評価するが、それでも事実の見極めはなかなか難しい。特に中国の戦犯管理所から釈放された旧日本軍の軍人の証言をそのまま事実と見なすことには慎重であるべきだろう。

この本にも登場するが、石井中将の京大時代の指導教官が清野謙次という人物。この人はいろいろとあった人で、調べてみるとなかなか面白い。

1995年7月20日、講談社現代新書、650円。

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2011年11月07日

愛人でいいの

愛人でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う
         俵万智『サラダ記念日』(1987年)
先日、この歌についての評を書く機会があった。そこに〈「愛人でいいの」「言ってくれるじゃないの」といった話し言葉を、句跨りを用いて無理なく定型に当て嵌めている〉と書いたのだが、書き終えてはたと気が付いたことがある。これは、本当にただ当て嵌めただけなのだろうか?

この歌の素材となっているのは、おそらく1985年に大ヒットしたテレサ・テンの「愛人」だろう。その歌詞は、次のようなものである。
あなたが好きだから それでいいのよ
たとえ一緒に街を 歩けなくても
この部屋にいつも 帰ってくれたら
わたしは待つ身の 女でいいの
(以下略)
1番に「わたしは待つ身の女でいいの」、2番に「わたしは見送る女でいいの」という言葉はあるが、「愛人でいいの」という言葉は、実はどこにもないのである。つまり、「愛人でいいの」は、この歌のタイトルや歌詞からアレンジして俵万智が作りだした言葉なのである。

もし、これが歌詞通りであったら、どうだろう。
待つ身の女でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う (改作例)
見送る女でいいのとうたう歌手がいて言ってくれるじゃないのと思う (改作例)
どちらも定型からはみ出してしまうし、内容的にも弱くなってしまう。やはり、ここでは「愛人」という言葉が必要なのだ。

この一例を見ただけでも、『サラダ記念日』という歌集は、表面的な見かけに比べて随分と工夫のあることがわかるのではないだろうか。何でもないようでいて、実は意外にしたたかな歌集なのである。


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2011年11月06日

野矢茂樹著 『他者の声 実在の声』

野矢 茂樹
産業図書
発売日:2005-07


言葉、思考、他者、無限、論理、未来などをめぐって書かれた19篇の文章が収められている。発表媒体や長さの異なる19篇であるが、決してばらばらな印象はなく、それぞれが関係を持ちながら、全体で大きなひとつの流れとなるように編集されている。

この本を読むと、哲学というのは、数学、科学、言語学、論理学といったさまざまなジャンルにまたがるように存在しているのだということがよくわかる。広い意味で言えば、短歌を考える際にも関係してくるのだろう。読みながら随分と考えさせられ、示唆を受けることの多い一冊であった。
相手の発話やものごとに対する見方を、私の手持ちの論理空間に翻訳する形で理解するのであれば、そこには他者は現れてこない。他者は、私自身が変化することによってのみ、他者でありうる。
あるいは「自我」。比喩で言うならば、写実的な風景画においてそれを描いた画家自身は描かれてはいない。でも、画家の視線はその風景画において示されている。(…)同様に、何ごとかが語り出されるとき、それを語り出している「私」は語りえないけれど、「私」は他のことがらを語り出すそこにおいて示されている。
「過去を振り返る」ことと「過去に立ち返る」こととを区別しよう。過去を振り返るとは、現在までの世界の一部として過去を捉えることであり、過去に立ち返るとは、過去のその時点までが生成しているすべてであるものとして、それゆえそれ以後はまだ生成していないものとして、その過去世界を捉えることである。
これらの文章も、それぞれ、短歌の読み、私性、そして短歌史を論じたものとして読めるような気がする。

2005年7月25日、産業図書株式会社、2200円。

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2011年11月04日

名古屋港水族館

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「文化の日」は、名古屋駅で父親と待ち合わせて、名古屋港水族館へ。
父と会うのは久しぶり。

ペンギンの給餌タイム、イルカパフォーマンス、マイワシのトルネード、ベルーガ(白イルカ)のトレーニングなど、イベントがたくさんあって、どれも充実している。あまり期待せずに行ったのだが、予想以上に楽しいところだった。

水族館の外はすぐ港になっていて、南極観測船ふじなども見学することができる。水族館はやっぱり海の近くにあるのがいい。建物の中にいても、海の気分を味わうことができる。

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2011年11月03日

講座「私の好きな歌」

11月30日(水)に〈「私の好きな歌」家族と読み解く河野裕子〉という講座を、朝日カルチャーセンター芦屋教室で開きます。永田淳さん、永田紅さんと一緒に、河野裕子さんの歌を読んでいくというものです。

受講される方にも河野さんの代表歌の一覧からお好きな一首を選んでいただいて、その結果をランキング形式で発表します。

まだ、お申し込みを受け付けておりますので、興味のある方はぜひ、ご参加ください。
詳細は下記の通りです。

日時 11月30日(水)14:00〜16:00(開場13:30)
場所 「ラポルテ」本館3階 ラポルテホール(JR芦屋駅北口すぐ)
受講料 朝日カルチャー会員 3360円 一般 3675円

お申込みは、朝日カルチャーセンター芦屋教室(TEL 0797−38−2666)まで。
 

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2011年11月02日

「短歌」2011年11月号(その2)

角川短歌賞の次席作品は、藪内亮輔「海蛇と珊瑚」と相澤由紀子「地上の鮃」の2編。どちらも受賞作に匹敵するだけの力を感じる作品であった。
月の下に馬頭琴弾くひとの絵をめくりぬ空の部分にふれて
眼底に雪はさかさに降るといふ噂をひとつ抱きて眠りぬ
冬の浜に鯨の座礁せるといふニュースに部屋が照らされてゐる
「海蛇と珊瑚」は言葉の扱いがとてもうまい。「夜」や「冬」や「雪」や「死」といった、やや暗めのイメージで50首が統一されている。全体に静かではあるのだが、その中に感情や力が漲っている印象を受ける。
水汲みの帰りに見たる金柑のような朝日がただただ遠し
ガムテープを口に貼られて傾けるポストがほそき雨に濡れつつ
大津波きたりし後に浮かびたるトンカツ〈喜八〉の看板二文字
「地上の鮃」の作者は宮城県在住。東日本大震災を詠んだ一連である。途中で緩むことなく緊張感を保ったまま最後まで詠み切っているのがすごい。具体の効いている歌が多く、現場の様子や作者の思いがじわじわと伝わってくる。

選考座談会で気になったのは、藪内作品に対して島田修三氏が「男性ですか、女性ですか?」「小島さんは、この作者を女性だと思いますか」「こだわるけれども、これは男性ですか、女性ですか」と何度も発言していること。そんなこと選考に関係あるのだろうか。作者当てゲームをしているわけでもないのに、何とも無意味なことだと思う。

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2011年11月01日

「波」2011年11月号

永田さんの連載「河野裕子と私」は第6回。

今回もかなり読むのが辛い内容であった。手術後の河野さんの精神状態の悪化と攻撃性、そして一度だけあったという永田さんの激昂。その様子が詳細に記されている。

初めて知る話がいくつも出てくる。知って良かったような、知らない方が良かったような、でも知っておかなくてはいけないような、何とも複雑な気分にさせられる。

でも、もちろん読む人より書く人の方がはるかにしんどいに違いない。だから、この連載は最後まで目を背けずに読もうと思う。

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