2011年06月30日

小松正之著 『日本の鯨食文化』



副題は「世界に誇るべき“究極の創意工夫”」。

水産庁に勤めてIWC(国際捕鯨委員会)での交渉などを担当してきた著者が、捕鯨や鯨肉について様々な角度から論じた本。その根底にあるのは、クジラを食べることが日本の伝統的な食文化であるという一貫した観点である。

私は著者が言うところの「クジラを食べたことがない世代」である。学校給食の定番であったという「クジラの竜田揚げ」も食べた事がない。この本には、クジラ一頭をあまさず食べてきた歴史や料理法などが記されており、どれも興味深いものであった。千葉県南房総市、和歌山県太地町、山口県長門市、長崎県上五島町、佐賀県唐津市など、日本各地のクジラゆかりの土地も紹介されている。

また、戦後の食糧不足を鯨肉が救ったという話も出てくる。GHQは終戦の年には小笠原諸島での捕鯨再開を認め、翌昭和21(1946)年には日本が南氷洋に出漁することを許可した。
一九四七年二月、約三四〇トンもの鯨肉を積載して、南氷洋の捕鯨から帰還した鯨肉運搬船・第三十二播州丸が東京の築地港に入港した際には、熱狂的な歓喜に国民が沸いた。

これを読んで思い出すのは、茂吉の歌である。
わが国の捕鯨船隊八隻はオーストラリアを通過せりとぞ  昭和22年『白き山』
南海より帰りきたれる鯨船(くぢらぶね)目前にしてあなこころ好(よ)や

遠洋捕鯨の再開が敗戦後の日本を元気づけた様子がよく伝わってくると思う。

ところどころに「アングロサクソン国家の誤った抑圧」といったナショナリズム色の強い表現が出てくるのが残念だが、捕鯨をめぐる現在の国際情勢を考えると仕方がないのかもしれない。

2011年6月10日、祥伝社新書、780円。

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2011年06月29日

「波」2011年7月号

永田さんの連載「河野裕子と私 歌と闘病の十年」の第二回。
先月号が入手に苦労したので、7月号から定期購読にしている。

2000年10月11日の河野さんの乳癌の手術前後の話。

手術前後とは言っても、永田さんも河野さんもスケジュールがいっぱいに詰まっている。病院の待合室で選歌をする河野さん、そして手術当日の夕方には横浜へ出張に行く永田さん。そんな二人の忙しい生活が描かれている。

これまで、あまり公には語られてこなかった話もあって、永田さんがかなり本気でこの連載に取り組んでいることがわかる。今後が楽しみなような、辛いような、何とも言えない複雑な気分だ。

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2011年06月28日

永井陽子著 『モモタロウは泣かない』

2000年に48歳で亡くなった永井陽子の散文集。生前に本人が残していたファイルなどを基に、「短歌人」の青柳守音さんがまとめたもの。

以前からずっと読みたいと思いつつ、もう品切なのだと思って古本が出るのを探していた。今回、ながらみ書房の広告を見てまだ在庫があることを知り、早速購入した。

歌論の中に引用されている歌がいい。
夕立の雲も残らず空晴れてすだれをのぼる宵の月影 永福門院
二階より君とならびて肩ふれて見(み)下(おろ)す庭のヒヤシンスかな 木下利玄
いなづまの裂きたるのちを秋天ははつか歪みて綴ぢ合はさるる 久我田鶴子

また、短歌を楽器に譬えて次のように述べている箇所も印象に残った。
口語で書いてもよい。文語で書いてもよい。平仮名で書いても、片仮名で書いてもよい。が、楽器を無理強いしてはいけない。なによりもまず、弾き手自身が、言葉のひびきそのものに素直に耳をかたむけること。そうすれば、万葉の時代の音や中世の物音が、少しだけ聞こえてくるかもしれない。それがいやな人は、もっと現代的な音を弾き込んでみてもよい。

でも、本書の白眉は、何と言っても4章の「母の花畑」と5章の「モモタロウは泣かない」だろう。「母の花畑」は瀬戸市城屋敷の実家前の畑をめぐるエッセイ。「モモタロウは泣かない」は母の入院と老人保健施設での生活を描いたもの。どちらも、とても良い文章であり、それゆえに一層の寂しさも感じる。

永井陽子がますます好きになった。

2002年5月31日、ながらみ書房、2600円。

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2011年06月27日

びわ採り

知り合いのお宅に枇杷がいっぱい実っているので、採りにおいでと言う。
枇杷は大好きなので、喜んで出かける。

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枇杷の木は川べりの斜面にあって、枝が川の上まで乗り出している。
かなり大きな木で、それこそ無数の実がなっているのだが、すべて採り放題。

P1010963.jpg

手近な実を採り終えた後は、木に登って上の方の枇杷も採る。
木登りをするのは何年ぶりだろう。
夏の光に川面がまぶしく輝いている。

100個ほどの枇杷を収穫して、作業終了。
今日からしばらくは枇杷食べ放題の生活になりそうだ。

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2011年06月25日

角川「短歌」7月号

特集は「詩性を得るヒント―文学としての短歌」。
編集後記に若き石川編集長が書いている文章が印象に残った。
  さて、今号、第一特集で取り上げた短歌における詩性というのは、自分の中で最も大きなテーマの一つでした。読者ニーズではない、という意見もありましたが、詩性は、文学としての短歌をアピールするという小誌の新機軸の中核を成すものであると考えていたし、何より自分個人にとって切実なテーマでした。
  雑誌に限らずあらゆる商品の創造に必要とされるマーケティングというものを、個人的にはあまり信用していません。私は雑誌編集者であると同時に一介の読書人です。その立場から見て、マーケティングされたこぎれいなものはつまらないと感じます。一人の著者なり編集者のこだわり、信念が見えないものはやはり面白くない。小誌の読者もそう思う読書人ではないでしょうか。

青臭いと言ってもいい文章だと思うが、こういうのは読んでいて気持ちがいい。どんな分野においても、「質の良いもの」と「売れるもの」を両立させるのは難しいことだと思うが、そこに挑戦しようとする姿勢を応援したいと思う。

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2011年06月24日

映画「プリンセス・トヨトミ」

MOVIX京都にて。
原作:万城目学、監督:鈴木雅之、出演:堤真一・綾瀬はるか・岡田将生・中井貴一ほか。
119分。

原作の面白さと奥行きをどの程度まで映像化できるのかと心配したが、映画は映画でよく出来ていた。いくつかの設定変更にも無理がないし、脚本も悪くないと思う。でも、原作の持つ広がりを2時間にまとめるわけだから、どうしても話は小粒になってしまう。そこは、まあ、仕方がないだろう。

綾瀬はるかはまずまず。岡田将生はほとんど持ち味を発揮できていない気がした。堤真一は好きなのでOK。

大阪はいつも用事がある時に行くだけなので、今度ゆっくり観光して見て回りたい。

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2011年06月22日

河野さんの教え

河野さんから電話をもらって「塔」に入ったのが1997年の11月のこと。
それから河野さんが亡くなるまでの十数年の間に随分といろいろなことを教わったように思う。

と言っても、具体的な歌の作り方や、作歌のコツなどは何ひとつ教わってない。
歌については、とにかく「たくさん作れ」としか言われなかった。

一番、印象に残っているのは
おだてに乗るのも才能のうち

という言葉。河野さんは本当に(いい意味で)おだて上手な人だった。
その河野さんの言葉を信じて、僕は短歌を続けてきたのだなあと、今、振り返って思う。



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2011年06月21日

河野裕子歌集 『蝉声』

河野裕子
青磁社
発売日:2011-06-12


お婆さん、手袋おちましたよと後ろより言はれる日が来る ハイと振りむく日が
もう一度の生のあらぬを悲しまずやはらかに水の広がる河口まで来ぬ
夕虹が二つ出てゐたと紅(こう)が言ふ見なくてもわかるとても淋しいから
ぼんやりのアホな猫なれど機嫌よし注射打たれてもムーと返事す
もの食へず苦しむわれの傍にゐてパンを食べゐる夫あはれなり
渓谷の空より鷂が見てゐるは胡麻ひとつまみ程のバスを待つ人
たつた一人の女の子と膝にのせたれど僕ちやんだよと走つてゆけり
砂丘産小粒らつきようの歯ざはりをしばらく思ひ長く瞑目
ひと月を咲き続けゐる立葵あなたはよかつたわねわたしの庭に来て
誰も皆わが身にふるるに消毒すナスの花にも似たるその匂ひ

昨年8月12日に亡くなった河野裕子さんの遺歌集。
河野さんが亡くなる直前まで見ていた景色や、聞いていた物音などが、歌にはたくさん詠まれている。肉声が聞こえてくるような歌が多くて、しばらくしんみりとした。

河野さんのことをあれこれ思い出してとても客観的には読めなかったが、それでも歌の持つ言葉の力というものは十二分に感じることができた。結局残るのは「言葉」であって、「物語」ではないのだ。

もうすぐまた、蝉の鳴く季節がやって来る。

2011年6月12日、青磁社、2800円。

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2011年06月20日

青年団第62回公演「革命日記」

作・演出、平田オリザ。JR伊丹駅前のAI・HALL(伊丹市立演劇ホール)にて。

場面は住宅地のマンションにある組織のアジト。空港と大使館の同時占拠を目論むメンバーたちが打合せをしているところへ、お隣さんをはじめ次々とお客さんがやって来て、打合せは一向に進まない。そのうち、雲行も怪しくなってきて・・・というお話。

なぜ今ごろになって「革命」の話を書いたのかと思ったのだが、これを「組織と個人」の話として見れば、さまざまな場面に当て嵌まることがよくわかる。短歌結社だって同じことだろう。

登場人物が入れ替わり立ち替わりして、舞台上の人数も2人になったり5人になったり8人になったりするのだが、その都度、敬語などを含めた話し方が変っていくのが面白い。話し言葉というのが相手や場との関係性の中で決まるものだということがよくわかる。また反対に、どういう話し言葉を使うかによって、登場人物同士の関係や組織における立場なども見えてくる仕掛けになっている。

一番印象に残ったのは、後ろ向きに座った女優さんが正面の相手と議論をしているシーン。議論が激しくなるにつれて、この女優さんのうなじから肩にかけての肌が、見る見る赤く染まっていくのである。客席から顔の表情は見えないのだが、そのためにより一層、感情の高ぶりが伝わってくるのであった。

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2011年06月18日

河野裕子情報

河野裕子さん関連の出版やテレビ番組などが相次ぎますので、お知らせします。

○河野裕子歌集『蝉声』(青磁社) 2800円
2011年6月12日発行

○永田和宏「河野裕子と私 歌と闘病の十年」
「波」(新潮社PR誌)6月号〜連載 定価100円、年間購読1000円(送料込)

○ETV特集(NHK教育テレビ)河野裕子特集
7月10日 22:00〜放映

○河野裕子著『たったこれだけの家族 河野裕子随筆コレクション』(中央公論新社)
2011年7月10日発売予定

○永田和宏・河野裕子著『たとへば君 四十年の恋歌』(文藝春秋)
2011年7月中旬発売予定

○『河野裕子読本 角川「短歌」ベストセレクション』(角川学芸出版)
2011年7月22日発売予定

○角川「短歌」8月号 特集「愛しの河野裕子」
2011年7月25日発売

○「塔」8月号 河野裕子追悼号
2011年8月10日頃発行



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2011年06月16日

京の通り名(その2)

というわけで、京都の通りの名前については、大いなる不満・憤懣を抱えて生きているわけだが、先日、実に嬉しい発見があった。夷川通を歩いていたところ、交差点ごとにこんな案内表示が設けられていたのである。

IMG_2517.JPG

素晴らしい!

これなら一目で自分のいる場所がわかるというものだ。こういう表示があって初めて座標軸が明らかになり、「京都の町は碁盤目状になっているからわかりやすい」と言えるのである。

これは最近「夷川会」という地元の商店街が設置したものらしい。夷川会さんとは何の関係もないが、ここに心よりの感謝の言葉を記しておきたいと思う。ありがとう〜

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2011年06月15日

京の通り名(その1)

「京都の町は碁盤目状になっているからわかりやすい」というのはウソである。
碁盤目状ということは、どこへ行っても似たような景色が繰り返されるということで、さてどこで曲がったら良いのか、そもそも自分が北に向っているのか西に向っているのか、どこに向って歩いているのかもわからない。そんな町である。

京都(郊外)に暮らすようになって十年以上が経つが、ようやく「あたりを見回して山の見えない方が南」という大原則を覚えただけで、今でも地下鉄から地上に出た時など、どっちへ向って歩きだしたらいいのか、しばしば迷う。

方角を見定めて歩きはじめてからが、また大変。目的地の住所が「高倉夷川上る」とあれば、まず高倉通と夷川通の交差する場所を探すことになるのだが、通りの順番がわからない。南北はまだしも、東西の通りは一条二条三条・・・などとわかりやすく並んではいないのだ。高倉通、間之町通、東洞院通、車屋町通といった難しい名前が、ランダムに続いている。どういう順番に並んでいるのか、さっぱりわからない。

こんな時、京都人には必殺技があって、ゴニョゴニョゴニョと何か呟いたかと思うと、「もう一本東やわ〜」などと言って、すたすた歩いて行く。そう、実は通りの順番を覚える秘密のわらべ歌があって、京都人なら誰でもこれを覚えているのである。

これは門外不出の秘伝のわらべ歌なので、京都人以外には教えてくれない(ウソ)。私も含めてよそ者たちは、ひたすら迷い続けるしかないのである。おそるべし、京都。

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2011年06月14日

池内紀著 『東京ひとり散歩』


ドイツ文学者でありエッセイストである著者が、東京23区内を気ままに歩き回って綴ったエッセイ集。日本橋兜町や八重洲地下街、代官山、文京区西片町など、ちょっと珍しい場所も歩いている。

池内さんはカフカなどの翻訳者として高校生の頃の私の憧れの人であり、大学時代の2年間ドイツ文学の講義を受けたことがある。この本にも大学の近くを歩く場面が出てくるのだが、そこには
以前、ちょっとした縁があって、十年ばかりお勤めをした。建物を目にしただけで重苦しい気分になるのは、よほど全身がイヤがっていたのだろう。勤めをやめてから、よんどころない用事で一度だけ足を踏み入れたことがあるが、そのほかはすっかりごぶさた。

と書かれている。定年前に大学を辞めたことは聞いていたけれど、そんなにイヤだったのかと思うと、ちょっと可笑しい。

一つだけ気になったのは、著者が「鬼子母神懐古―雑司ヶ谷」の回で、
武蔵野の芒(すすき)の梟(ふくろう)買ひに来ておそかりしかば灯ともしにけり

という島木赤彦の歌を引いて、「島木赤彦はひところ牛乳屋をしていたから…」と書いているところ。これは伊藤左千夫と混同しているのではないかと思う。

久しぶりに東京の町をぶらぶら歩いてみたくなった。

2009年9月25日、中公新書、740円。

posted by 松村正直 at 18:09| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年06月11日

鈴木竹志著 『孤独なる歌人たち』

副題に「現代女性歌人論」とある。二部構成となっており、1部は河野愛子論、2部では加藤淑子、横山未来子、冬道麻子、永井陽子、沢口芙美の歌について、それぞれ論じている。

著者の文章は一文一文が比較的短めで、論旨が明快であり、論理展開にも無理がない。持って回った言いまわしや難解な用語をもちいることなく、シンプルに、しかも力強く、述べるべき内容を述べている。

一口に「孤独」と言っても、その内実は一人一人違う。共通しているのは、彼女たちの孤独と向き合う姿勢に、著者が歌人としての本質を見出していることだろう。本書の一番の根底にあるのは、自分が優れていると思う歌人の歌を多くの人に知ってほしい、その魅力を広く伝えたいという著者の純粋な思いである。

これは、当り前のようでいて、実はけっこう大事なことなのではないか。

この頃の総合誌などの文章を見ると、時代状況や社会状況、世代論などに乗っかった評論が非常に多い。引用されている歌にしても、良いと思って引いているというよりは、今の時代を象徴的に表しているといった文脈で取り上げていることが多く、歌自身の評価は二の次になっている。

それに対して、この本の著者の立ち位置ははっきりしている。自分の良いと思った歌や歌人を、自分の手で取り上げて、その魅力を自分の言葉でできるだけ解き明かそうとしているのだ。これは、評論の本来あるべき姿と言っていいのではないだろうか。

本書を読むと、取り上げられている歌人たちの歌が、実に魅力的に思えてくる。読み終えてすぐに、私は歌集を2冊買ったほどである。それはもちろん歌そのものの魅力であるのだが、同時に著者の強い熱意の賜物でもあるだろう。

2011年5月16日、六花書林、2500円。

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2011年06月10日

映画「マイ・バック・ページ」

MOVIX京都にて。

舞台は70年安保の政治的な運動が高揚から退潮へと転じる1969年〜72年の東京。運動のうねりの中にあって傍観と行動との狭間で揺れ動くジャーナリストが、朝霞自衛官殺害事件に深く関わっていくまでを描いている。原作は川本三郎の自伝的な小説。

監督は山下敦弘。妻夫木聡・松山ケンイチ主演。妻夫木はこれまでドラマや映画で何度も見たことがある俳優だが、今回が一番良かった。

モデルとなった事件が起きたのは、今から40年前の1971年。さすがに当時と今とでは社会情勢が大きく変っていて、登場人物の思考や感情をすぐには受け入れられない部分も多い。革命や新左翼運動に対するシンパシーも、今ではなかなか理解できなくなっているだろう。

そう考えると、短歌の世界で40年前の作品を普通に読んでいるというのは、ある意味、驚くべきことなのかもしれない。例えば河野さんの『森のやうに獣のやうに』も1972年の歌集であるが、それほど違和感を覚えることなく今でも読むことができる。

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2011年06月09日

お知らせ(その2)

今年の春から、短歌の初心者向けのカルチャー講座を始めました。
興味のある方は、ぜひご参加下さい。

○「はじめてよむ短歌
  朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
  毎月第1金曜日 10:30〜12:30

○「初めてでも大丈夫 短歌教室
  醍醐カルチャーセンター(京都市伏見区) 075−573−5911
  毎月第2月曜日 13:00〜15:00

○「はじめての短歌
  JEUGIAカルチャーセンターMOMO(京都市伏見区) 075−623−5371
  毎月第1火曜日 10:30〜12:30

よろしくお願いします。



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お知らせ(その1)

6月12日(日)の「NHK短歌」(教育テレビ)に、ゲストとして出演します。

放  送 6月12日(日)  朝6:00〜6:25
再放送 6月14日(火)午後3:00〜3:25

選者は花山多佳子さんです。


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2011年06月08日

内山節著 『森にかよう道』


副題に「知床から屋久島まで」とあるが、内容は全国森林紀行といったものではなく、森と人間との関わりを随想風に記していくスタイルであるので、この副題はあまり合っていない。

それはともかくとして、本書は非常に教えられること、考えさせられることの多い一冊である。例えば、森林の伐採をめぐる問題について、私たちは「開発」か「保護」かという二項対立で考えがちであるが、著者は森と人との関わりが薄くなっているという点ではそのどちらも共通していると述べる。

他にも、次のような文章が印象に残った。
(…)日本の風土のなかに生まれた森の概念区分は、里山、奥山、屋敷林、社林(やしろりん)、魚つき林というようになっている。それは森を自然の形態で区分するのではなく、森と人間との関係で区分しようとする発想である。

たとえば、自然保護の視点からこれまでの林業政策を批判するのが、旧来の方法だとすれば、新しいタイプの人々は自分が森づくりに参加し、ときに自分の仕事として参加することによって、森づくりそのものを変えていこうとする。

(…)人間の理性は、つねにその時代の精神から完全に自由になることはできず、その時代には理性的に考えて最良と思えた選択が、時代の雰囲気が変われば、誤った選択と評価される可能性を、つねにはらんでいるということである。

最後の文章は、ブナなどの森を伐採して、生産効率のよい人工林に変えていくことが進歩であるとされていた高度成長期の話を受けての結論である。これは、森に関する話だけではなく、例えば日本の戦前について考える際にも当てはまる大事な指摘だと思う。

1994年7月30日、新潮選書、1100円。

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2011年06月07日

さぬきうどんツアー(その3)

15:15から、いよいよ手打ち体験の後半開始。麺棒を使って生地を延ばし包丁で切っていく。太くなったり細くなったり苦労しながらも何とか完了。自分の打ったうどんの他に、「修了証」や麺棒、うどん専用の小麦粉400グラムなどをお土産にもらって再びバスへ。

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20:00頃に大阪駅に到着。その後、家に帰り着いて、早速自分の打ったうどんを食べる。
初めてにしてはかなり上出来で、大満足の一日であった。


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2011年06月06日

さぬきうどんツアー(その2)

12:30頃に金刀比羅宮の参道近くにある讃岐うどん手打ち体験所「雄美堂」へ。
係の方の説明を聞いて、まずはうどんの生地作り。小麦粉に食塩水をなじませて、手でこねていく。そこまでで前半は終了。

2時間ほど生地を寝かせる必要があるので、その間、バスでさぬきうどんを食べ歩く組と、自由に付近を散策する組に分れる。息子はもうお腹いっぱいなので自由にぶらぶらすることにして、まずは参道わきの海の科学館へ。ここは、こんぴらさん(金刀比羅宮)が海上交通の神様であることにちなんで建てられたそうだ。

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その後、すぐ近くにある旧金毘羅大芝居「金丸座」へ。

1835年に建てられた現存する最古の芝居小屋。ちょうど団体客向けの説明が始まったところで、セリやすっぽん、かけすじ、空井戸、廻り舞台といった仕掛けの解説などを聞く。息子は忍者屋敷のようだと大喜び。舞台下の奈落と呼ばれる場所も見学できる。

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2011年06月05日

さぬきうどんツアー(その1)

昨日はさぬきうどんのバスツアーへ。

朝7:30に新大阪駅前を出発。途中、淡路島のサービスエリアで一度だけ休憩をして、あとはひたすら香川県を目指す。

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写真は大鳴門橋から見た、鳴門の渦潮。
ラーメンなどに入っている「なると」という名前も、この渦潮から来てるんだよ、という話をしたところ、息子は「なると」を知らなかった。そう言えば最近あまり見ない気がする。

3時間以上バスに揺られて、10:40に宇多津の「おか泉(せん)」に到着。土日祝は10:15開店のお店であるが、既に行列ができている。10分ほど待って入店。店員さんがテキパキ動いていて気持ちいい。決してセカセカしていない。

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注文したのは「ひや天おろし」945円。

冷たいうどんの上に2本の海老などの天ぷらが載っていて、それにレモン汁をかけ、大根おろしと生姜を溶いた出し汁でいただく。さっぱりしていて、大変おいしい。これが名物というのも納得の味。

その後、バスは一路、琴平町へ。


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2011年06月03日

螢田てふ駅(その2)

歌の表記が原典と異なっているのは、次の通り。
蛍田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり

・高野公彦編『現代の短歌』(1991年、講談社学術文庫)
・柳宣宏「小中英之」の項[小池光・三枝昂之・佐佐木幸綱・菱川善夫編『現代短歌ハンドブック』](1999年、雄山閣)

これは「螢」を常用漢字の「蛍」に改めているものであるが、「螢田」が固有名詞であり、現在も小田急線の駅名としては「螢田」であることを考えると、やはりマズイように思う。
螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹にあひたり

・吉岡生夫『あっ、螢 歌と水辺の風景』(2006年、六花書林)

「虹とあひたり」が「虹にあひたり」になっている。単なる誤記だろう。
螢田てふ駅に降り立ち一分の間に満たざる虹とあひたり

・山下雅人「小中英之」の項[篠弘・馬場あき子・佐佐木幸綱監修『現代短歌大事典』](2000年、三省堂)

「降りたち」→「降り立ち」、「間(かん)」→「間」、「みたざる」→「満たざる」。一首の中で三か所も表記を間違えている。これだけいい加減なのも珍しい。
螢田(ほたるだ)てふ駅に降りたち一分(いつぷん)の間(かん)にみたざる虹とあひたり

・「虹」の項[千勝三喜男編『現代短歌分類集成』](2006年、おうふう)

「ほたるだ」「いつぷん」というルビが追加されている。振りがなについては凡例に「原則として底本に依拠したが、小項目の読み、難読語の読みを示すために、編者が追加したもの、(…)省略したものがある」と書かれているので、編者が追加したルビなのだろう。「螢田」や「一分」が難読語とも思えないし、ルビも作品の一部であることを考えると、これもいただけない。

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2011年06月02日

螢田てふ駅(その1)

用があって小中英之の歌について調べていたのだが、アンソロジーや辞典などに引かれた歌の表記が、実にまちまちであることに気が付いた。手当たり次第に当たってみた結果、確認できたのは次の5通りの表記。驚くことに5通りもの表記があるのだ。
螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり
蛍田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり
螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹にあひたり
螢田てふ駅に降り立ち一分の間に満たざる虹とあひたり
螢田(ほたるだ)てふ駅に降りたち一分(いつぷん)の間(かん)にみたざる虹とあひたり

歌集『翼鏡』に載っている正しい表記は一番上のもの。
螢田てふ駅に降りたち一分の間(かん)にみたざる虹とあひたり

以下に挙げる本は、きちんと正しい表記になっていたものである。

・小高賢編著『現代短歌の鑑賞101』(1999年、新書館)
・篠弘編著『現代の短歌 100人の名歌集』(2003年、三省堂)
・佐藤通雅「小中英之」の項[飛高隆夫・野山嘉正編『展望 現代の詩歌7』](2007年、明治書院)

問題は、これ以外のものだ。

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