2011年04月30日

嵐山へ(その1)

「安・近・短でいろいろな乗り物に乗ろう!」ということで、嵐山へ。

まずはトロッコ嵯峨駅からトロッコ列車に乗る。かつての山陰線が走っていた保津川沿いの路線が、今では観光用のトロッコ列車が走る路線となっている。

IMG_2306.jpg

ゴールデンウィークということもあって、車内は満席。峡谷の新緑が美しい。
約30分で終点トロッコ亀岡駅に到着。

そこから、今度は馬車に乗る。4月22日に営業を始めたばかりという馬車の運行である。

P1010808.jpg

馬の名前はアローちゃん。四歳のメスで体重は1000キロくらい。北海道の帯広でばんえい競馬の馬として育てられたのだそうだ。700キロある車体を軽々と曳いて行く。

馬車のリズムが身体に心地よい。約30分で保津川舟下りの乗り場に到着。

posted by 松村正直 at 18:47| Comment(0) | 旅行 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月29日

「世紀」創刊号

「世紀」という雑誌の創刊号(昭和21年4月号)を入手した。新村出「春秋弁」、吉澤義則「なまめかし・みやび・えん・すき・風流」、高田保馬「戦後経済に関しての談話」、石田憲次「米英文学と民主主義」などが載っている。

編集後記には〈「世紀」創刊号を送るに当つて、吾々は先づ、吾々が如何なる党派にも属さぬものであることを明言する。一つの政治的色彩が帯びた旗の下に編輯される雑誌も勿論必要ではあるが、現在の社会はかうした一元的なジャーナリズムの枠内に入るには余りにも複雑である〉などと書かれている。戦後すぐの雰囲気が濃く感じられる文章だ。

この雑誌に高安国世の短歌「ひともと樅」5首が掲載されている。
  ひともと樅
しづかなる光移りてわが窓はひともと樅の影になりつも
子と来つる園ひろびろと冬枯れてけだもの吼ゆる方もあらずも
時雨の雨散りくる鷲の檻のまへ白木蓮の蕾ふふみぬ
松並木片照る幹はしろじろと雪のこるかと見えてつづきぬ
さしあたり為すことのなき寂しさは妻の起居(たちゐ)の音ききてをり

高安の歌集『真実』を見てみると、これらの5首は改作されて、巻頭付近の「霜ふる」「動物園」「冬日抄」の3つの連作に分れて入っていることがわかる。
 「霜ふる」
しづかなる光満ちくる我が庭のひともと樅の影の中に居り
 「動物園」
さむざむと時雨ながらふる園ひろくけだもの吼ゆる方もあらぬか
時雨の雨散りくる鷲の檻の前白木蓮の蕾ふふみぬ
 「冬日抄」
松並木片照る幹はしろじろと雪のこりつつ見ゆるさびしさ
さしあたり為(な)すことのなき寂(さぶ)しさは妻の立居(たちゐ)の音ききており

歌集に入れる際に、けっこう手を加えているなあ、という印象だ。

posted by 松村正直 at 23:07| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月28日

花山多佳子歌集 『胡瓜草』

2005年から2007年までの作品423首を収めた第八歌集。

とにかく読んでいて楽しく、退屈しない。特に息子さんを詠った歌はどれも面白い。意識の端や視野の端、風景の端など、中心ではなく端っこを詠った作品に花山さんの特徴がある。結句で焦点を合わせたり、反転させたりして、歌を成立させるのが一つのパターンになっているかもしれない。
あの……髪のかたですか 病院の受付の人が息子を指せり
冬の陽をまぶしみ渡りゆくときを信号の庇ふかぶかと見ゆ
ふうせんがおもい、ふうせんがおもいと泣いてゐる子供はしだいに母に遅れて
冬の夜の湯上がりのからだしなやかに爪先だちて電球を替ふ
明治生れの祖父母の孫でありしのみ わたしは誰のむすめでもなく
電子辞書ひらくつもりがケータイをひらきて指はしばしさまよふ
負(おぶ)ひたる子供を下ろしてそののちを負ふことなき最後の日ありき
戦死者の本音をあれこれ忖度す生者の側のたてまへにより
このごろは物とり落とすこと多し頭から手が遠く離れて
植木等も死んでしまひていくたびもオフィスの机の上に飛び乗る

日常を詠んだ歌やユーモアを感じさせる歌が多いなかに、例えば5首目のような直球の歌があって、ずしんと胸にひびく。60歳近くなっても「わたしは誰のむすめでもなく」という思いは、消えることなく残っているのだ。「髪あれば髪を洗ひてゐるならむ八十歳(はちじふ)過ぎたる男はひとり」という歌も、おそらくそういう文脈で読むべき歌なのだろう。

個人的な話をすると、「御所」と題する一連は、「ダーツ」の終刊号の座談会に花山さんをゲストとしてお招きした時のもの。一緒に京都を散策したあの日から、早いものでもう6年になる。

2011年4月5日、砂子屋書房、3000円。
posted by 松村正直 at 01:00| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月27日

雑感

東日本大震災のことを「3・11」と呼んだり書いたりするのが嫌いである。9・11の時も感じたことだが、いつからこんな雑な括り方が行われるようになってしまったのだろう。日付を乱暴に扱わないでほしいと思う。「3・11」という言い方には、4・28とか10・21とか言っていた頃の早口のアジ演説の匂いがする。

日付というのは個人的な記憶と深く結びついているものだ。3月11日から何を思い浮かべるかは人それぞれである。3月11日が誕生日の人もいれば、何か大切な記念日の人もいるだろう。そうした個々の思いを無視して、「3・11」などと軽々しく口にする人のことを、私は信用しない。3月11日=東日本大震災ではないのだ。

posted by 松村正直 at 19:02| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月24日

二冊の歌集

河野裕子の第一歌集『森のやうに獣のやうに』(1972年)を読んでいると、しばしば永田和宏の第一歌集『メビウスの地平』(1975年)の歌を思い出す。例えば、以下のような感じ。Aが『森のやうに…』、Bが『メビウス…』である。
「ゆたゆたと血のあふれてる冥い海ね」くちづけのあと母胎のこと語れり
あなた・海・くちづけ・海ね うつくしきことばに逢えり夜の踊り場

青年は背より老いゆくなだれ落つるうるしもみぢをきりぎしとして
背を抱けば四肢かろうじて耐えているなだれおつるを紅葉と呼べり

海くさき髪なげかけてかき抱く汝が胸くらき音叉のごとし
重心を失えるものうつくしく崩おれてきぬその海の髪
駆けてくる髪の速度を受けとめてわが胸青き地平をなせり

こんなふうに二首を対にして鑑賞するのは邪道かもしれないが、相聞歌のやり取りのようにも思われて、私には面白い。もっとも、こうした見方は既に岩田正が『現代短歌 愛のうた60人』で述べていることでもある。岩田は『森のやうに…』と『メビウス…』からそれぞれ五首ずつを引いて、「呼応して歌いあっているわけではないが、(…)あきらかに呼応しあって歌っているようにみえる」と記している。
posted by 松村正直 at 00:43| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月23日

原武史 『鉄道ひとつばなし3』


講談社の月刊情報誌「本」連載の人気エッセイの第三弾。今回も鉄道や団地、近代日本史をめぐって、いくつもの興味深い内容が書かれている。

例えば、1977年に開成高校が東大合格者数で全国トップに躍り出た理由として、首都圏の鉄道事情を挙げる「東大合格上位校と鉄道」。
(1969年)十二月に営団地下鉄(現・東京メトロ)千代田線の大手町―北千住間が開通し、西日暮里駅が開業した。(…)そして七一年には、山手線と京浜東北線の日暮里―田端間にも西日暮里駅が開業するとともに、千代田線が常磐線の我孫子まで乗り入れるようになり、山手線、京浜東北線、常磐線沿線に住む中学生や高校生が通いやすくなった。(…)開成は東京都ばかりか、埼玉県や千葉県に住む優秀な児童や生徒までも取り込んだのだ。

なるほど、面白い指摘だと思う。確かに中学・高校生は大学生と違って下宿することはなく基本的に自宅から通うわけだから、通学事情が学校選択にも大きく関わってくるわけだ。これは、自分の経験に照らしてみてもよくわかる。

筆者の鉄道に対する見方がよく表れているのは「廃線シンポジウム」という文章。これは全国で廃線になった路線たちが集って議論をするという架空のシンポジウムの記録である。
議長 地方の窮状が目に見えるようです。新幹線や高速道路や空港ができて、地方は便利になったように見えながら、結局一番得をしているのは東京だというわけですね。戦後は地方行政のレベルでも、知事の官選を民選にするなど、明治以来の中央集権の構造を改めたはずなのに、鉄道的に見ると、東京一極集中がかえって強化されているのは皮肉なことです。

先日、4月19日の朝日新聞の朝刊に原武史さんのインタビュー記事が載っていた、東日本大震災に関連して「新幹線優先の復旧でいいのか」「記憶と深く結びつくローカル線をまず走らせて日常を回復せよ」という内容のもの。同じ日の社会面には「東北新幹線30日ごろ全通」という記事が載っている。この時期にこうした発言をするのは、なかなか勇気が要ることだと思うが、そのぶれない姿勢に私は好感を持つ。

2011年3月20日、講談社現代新書、740円。
posted by 松村正直 at 00:31| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月22日

橄欖追放

東郷雄二さんのHPの「橄欖追放(第73回)」に拙著『短歌は記憶する』を取り上げていただきました。ありがとうございます。

posted by 松村正直 at 07:00| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

特殊潜航艇(その4)

これまで「特殊潜航艇」という言葉を手掛かりに、小池光の歌が岡井隆の本歌取りであり、岡井の歌は斎藤茂吉の歌や北川透の詩を踏まえたものであろうということを見てきた。これで終わりでもいいのだが、今回は少し角度を変えて、特殊潜航艇とはそもそも何か、について考えてみたい。

特殊潜航艇と聞いて、私が最初に思い浮かべるのはハワイの真珠湾攻撃であり、九軍神のことである。真珠湾攻撃では航空機による攻撃が行われたが、同時に5隻の特殊潜航艇による湾内への侵入も試みられた。この5隻は帰還することなく、2名×5隻=10名の乗員のうち、1名は捕虜となり、9名が戦死した。彼らは九軍神として祀られ、戦時中の日本で讃えられたのである。

それだけではない。日本軍はアメリカ軍の戦艦アリゾナを撃沈しているが、この戦果は当時、この特殊潜航艇の魚雷攻撃によるものと発表されたのである。これは事実とは異なる戦意高揚のためのプロパガンダであったが、真珠湾攻撃の成功とともに日本国民に強く印象付けられた出来事であっただろう。

例えば、昭和17年4月号の「画報躍進之日本」というグラビア雑誌には、次のような記事が載っている。
 斯くて十数時間を水中で過ごし、ほのぼのと月の出る時刻となつた、月が出るとその光で湾内に残つてゐた敵艦一隻が発見された、まがふ方なき「アリゾナ型」戦艦である。
 それを見かけて一隻の特殊潜航艇が、海豹の如く進んで行つた、瞬くうちに、遙か真珠湾内に一大爆発が起こり火焔天に沖し、灼熱した鉄片が花火のやうに高く舞ひあがつた、その光茫がすッと消えた時「アリゾナ」型の艦影は海面からその姿を消してゐた。時に十二月八日午後四時三十一分、月の出二分後であつた、同日午後六時十一分、特殊潜航艇から「襲撃に成功す」の無電放送があつた。

この特殊潜航艇のイメージが、昭和三年生まれの岡井隆の歌の背後にあったのではないだろうか。そんなふうに思うのである。
あかあかとまなこをあげて昇り行く特殊潜航艇「月読(つきよみ)」は。
           岡井隆『親和力』

posted by 松村正直 at 00:57| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月21日

特殊潜航艇(その3)

あかあかとまなこをあげて昇り行く特殊潜航艇「月読(つきよみ)」は。
           岡井隆『親和力』

この一首を含む一連には、次のような詞書がついている。
北川透氏の『魔女的機械』(弓立社版。昭和五十八年五月三十日開板)に収める「魔女的機械」他に唱和する三十一音詩によるカノン(断片)

では、『魔女的機械』とはどのような詩集なのか。この詩集には全部で13編の詩が収められているが、それらが緩やかにつながっており、連作のような形になっている。キッチュで猥雑で、それでいて非常に生々しく、想像力をかき立てる作品である。

そこに繰り返し登場するのが「特殊潜航艇」なのだ。13編のうちの1編である「魔女伝説―いとしのサリーちゃんへ」という詩の冒頭部分を引く。
風呂屋へ出かけよう
洗面器などかかえて外へ出ると
黒っぽい謎の物体が
あかね色の上空をゆっくり旋回しながら降りてきた
あっ特殊潜航艇だ
(以下略)

岡井の一首は、この詩を踏まえていると読んでもいいだろう。北川の「ゆっくり旋回しながら降りてきた」特殊潜航艇に対して、岡井は「あかあかとまなこをあげて昇り行く」特殊潜航艇を詠んだことになる。
posted by 松村正直 at 00:16| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月20日

特殊潜航艇(その2)

あかあかとまなこをあげて昇り行く特殊潜航艇「月読(つきよみ)」は。
           岡井隆『親和力』

「月読」は月の神、または月そのものを指す言葉。旧日本軍の艦艇には「八雲」(巡洋艦)や「雪風」(駆逐艦)といった命名が普通にあったから、「月読」という風流な名前があってもおかしくはない。

岡井隆は歌集のあとがきにこの歌を引いて、
これなんか、月の出の景色を詠んだ風流な作品ととってもらって、なんらさしつかえない。

と記している。なるほど、〈特殊潜航艇「月読」〉=月、と読めば、風流かどうかはともかく、そうした歌として読むことが可能である。その場合、念頭にあるのは次の茂吉の歌かもしれない。
わがこころいつしか和みあかあかと冴えたる月ののぼるを見たり
        斎藤茂吉『ともしび』(1950年)

この歌になると、本当に「月の出の景色を詠んだ風流な作品」である。韻律も伸びやかで、茂吉らしい名歌と言っていいだろう。もっとも、岡井の文章には韜晦が含まれているのであって、あとがきの文章を素直に受け取るわけにはいかない。「あかあかと…」の一首が歌集では「共同詩」と題した章に入っていることからもわかるように、これは北川透の詩集『魔女的機械』に触発されて生まれた作品なのである。

posted by 松村正直 at 00:28| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月19日

特殊潜航艇(その1)

小池光の『滴滴集』(2004年)を読み直していたら、次のような歌があった。
まよひこみたるアザラシを人拝むかるくタマチャンなどと言ひながら
満月の夜の河口に浮上せり特殊潜航艇アザラシは
タマチャンに食へよと投ぐるホタテ貝ぽちやんぽちやんと川に落ちたり

この歌集には2〜3首の歌のまとまりが多数収められているが、この3首は「103 騒動」という小題のもの。そう言えば、多摩川にアザラシのタマチャンが迷い込んで、多くの見物客を集めていたことがあったなあと思い出す。当時、テレビニュースでもさんざん取り上げられていた。そのタマチャンである。

二首目は水中の移動に適したアザラシの体型を潜航艇に見立てた歌である。潜航艇というのは、とりあえず潜水艦の小型のものと考えればいいだろう。もっとも、この歌に特殊潜航艇が登場するのは、岡井隆の歌の本歌取りという理由の方が大きいにちがいない。
あかあかとまなこをあげて昇り行く特殊潜航艇「月読(つきよみ)」は。
           岡井隆『親和力』(1989年)

小池光は『鑑賞・現代短歌 岡井隆』の中で、秀歌三百首選にこの「あかあかと…」の歌を選んでいるくらいなので、当然この歌を踏まえていると言っていいだろう。

posted by 松村正直 at 19:35| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月18日

「短歌往来」2011年5月号

巻頭の渡辺松男「鶴」21首に注目した。

私は渡辺松男の歌、特に『泡宇宙の蛙』『歩く仏像』が大好きだが、ここ数年の歌は飛躍が大き過ぎて、どうにもついて行けないという思いだった。それが、今回の作品には再び強く惹きつけられた。
足のうら沙ばくにみえて茫たればそこあゆみつつすすまぬ軍馬
寒鯉のぢつとゐるその頭(づ)のなかに炎をあげてゐる本能寺

足の裏に広大な砂漠があって、その砂に脚を取られて進めなくなる軍馬。冬の冷たい池に動かずにいる鯉、その頭の中に激しく燃え上がる本能寺。どちらもシュールで鮮やかなイメージが読み手の脳裏に浮かび上がる。
ぎやくくわうにくもの糸ほそくかかやけどそれら払ひてゆくわれあらぬ
霧のあさ霧をめくればみえてくるものつまらなしスカイツリーも

一首目、目の前にあらわれる蜘蛛の巣だけがあって、それを手で払って先へ進む私がいない。ひらがな書きが効果的な歌で、これが「逆光に蜘蛛の糸細く輝けど」ではダメだろう。二首目は窓から見える景色を詠んだ歌。「霧をめくれば」という表現が、実体感のない二次元の絵のような不思議な感じを醸し出している。

これらの歌は、そのまま読んでも十分に良い歌である。その一方で、筋委縮性側索硬化症(「かりん」2010年11月号)という作者の病状を踏まえて読むこともできるだろう。
はか石は群れつつもきよりたもちゐてしんしんと雪にうもれてゆくも
などにひと年齢を問ふ彩雲のごとたはむれに生まれ消ゆるを

「群れつつもきよりたもちゐて」が、墓地に建つ墓石の姿をうまく捉えている。それは、単なる情景の描写にとどまらず、自ずから人間の死のあり方というものも感じさせる。二首目は絶唱と言っていいだろう。束の間の偶然によって生まれ、そして消えていく命。その運命の前では、年齢など何の意味も持たないのだ。

posted by 松村正直 at 19:09| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月16日

島内景二 『塚本邦雄』


コレクション日本歌人選19。
著者は国文学者、文芸評論家、電気通信大学教授。

塚本邦雄の作品50首を取り上げて、50のキーワードに沿ってその鑑賞を記した本である。「漢字は、文化の女神が着る衣裳」「『變』は、新しい音律から始まった」「日本人なら『源氏物語』くらい読め」「比喩の衝撃力が、虚構を現実に変える」といった題のもとに、正字正仮名の使用、語割れ・句またがりの導入、古典への親炙、暗喩の駆使といった塚本短歌の根幹が解き明かされていく。

単なる秀歌鑑賞とは違って、塚本の遺した手帳やノートに基づいた伝記的な事実の解説や筆者との個人的なやり取りなども記されており、評伝的にも読める内容となっている。塚本の弟子である著者の塚本に寄せる尊敬や愛情が十二分に感じられるのも、本書の特徴であろう。そして、ところどころに、偉大過ぎる師を持った弟子の哀しみのようなものも垣間見える。
私は二十歳頃から塚本に師事した弟子であるが、塚本の周囲にいる青年歌人たちの多くが美貌の持ち主であることと、何人か体育会系的な好漢が交じっていることが、ずっとコンプレックスの種だった。

『玲瓏』創刊の予告を見た瞬間に、その準備号から勇んで参加した。すると、「人間は、自分の才能を知るべきです、これからは実作者ではなく、研究者として生きてゆきなさい」と助言された。

歌の才能の乏しい私(島内景二)を、塚本が弟子の一人に加えたのは、ひとえに、私が東京大学大学院博士課程で古典文学を研究中の学徒だったからである。

本書は塚本短歌の成り立ちや短歌史的な意義を理解する上で、絶好の入門書になるだろう。コンパクトでしかも手頃なお値段となっており、ぜひ多くの方に読んでいただきたい一冊である。

2011年2月28日、笠間書院、1200円。
posted by 松村正直 at 16:38| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月15日

日本歌人クラブ評論賞

このたび、拙著『短歌は記憶する』(六花書林)が第9回日本歌人クラブ評論賞を受賞することになりました。いつも励まして下さる皆さんのおかげです。ありがとうございます。

贈呈式は5月21日(土)の15:45〜、日本歌人クラブ定期総会の席上で行われます。会場は明治神宮の参集殿です。詳しくは日本歌人クラブのHPをご覧ください。

なお、『短歌は記憶する』は手元に在庫が残っております。
ご注文は masanao-m@m7.dion.ne.jp までお願いします。振込用紙を同封のうえ送らせていただきます。この機会にお一人でも多くの方にお読みいただけると嬉しいです。 





posted by 松村正直 at 23:09| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月14日

初ツバメ

天井にきて飜りゆくつばめ四月十四日久留米駅の景  二宮冬鳥『南脣集』

そう言えば、今年はまだ初ツバメを見ていない。

気象庁が毎年、桜の開花情報を発表しているのは有名だが、実はサクラだけでなく、いろいろな植物や動物の情報を発表していることを最近になって知った。ウメやアジサイの開花、イチョウの黄葉、ウグイスやアブラゼミの初鳴、トノサマガエルやシオカラトンボの初見などもある。こうした「生物季節観測」の情報を、全国各地の気象台のHPで手軽に見ることができる。

京都地方気象台の生物季節観測によれば、今年のツバメはまだ京都には来ていないようだ。京都でのツバメの初見は、平年では3月26日、昨年は4月4日、これまでで最も早かったのは2月26日(1964年)、最も遅かったのは4月23日(1974年)といった記録が残っている。

気象庁の「ツバメ初見日の等期日線図」というのを見ると、ツバメの到来も桜前線のように日本列島を南から北へと進んでいくことがわかる。
ツバメの初見は、2月中旬から沖縄地方で始まります。3月20日に九州地方北
部・四国地方の一部・九州地方南部を結ぶ地域、3月31日に北陸地方、東海地
方を結ぶ地域、4月10日に北陸地方・関東甲信地方・東北地方南部を結ぶ地域、
その後、東北地方北部を北上し4月下旬に北海道地方に達します。

京都でツバメを見かけるのも、もう間もなくのことだろう。
でんせんにとまり危ふく揺れゐたり四月十八日、初つばめ  高野公彦『地中銀河』

posted by 松村正直 at 19:12| Comment(0) | 日付の歌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月13日

天田愚庵(その3)

Image452.jpg

いわき市に住む方が、このブログをお読みになって、天田愚庵の庵の写真を送ってきて下さった。その方のお宅は庵から歩いて15分ほどだそうで、震災で建物がどうなったか確かめてきて下さったのである。大変な時期にもかかわらず、無事をお知らせいただき、ありがとうございました。

庵は毎年お花見で賑わう公園の一角に建っているとのこと。右手の銅像が天田愚庵である。いわきで生まれて伏見桃山で亡くなった天田愚庵を通じて、今回いわき市がぐっと身近になったように感じる。

posted by 松村正直 at 18:49| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月12日

早川茉莉編 『玉子 ふわふわ』


玉子をめぐる話のアンソロジー。37人の作家、エッセイストらの文章が収められている。森茉莉、武田百合子、林芙美子、池波正太郎、東海林さだお、吉田健一、北大路魯山人、向田邦子、田村隆一、田辺聖子など。

登場する料理は、オムレツ、目玉焼き、卵かけご飯、玉子焼きなど、シンプルなものがほとんど。それでいて、誰もが玉子に対する強い思い入れを持っている様子が伝わってくる。
ぼくが小学生のころは玉子はゼイタク品であった。杉並のおばの家へ行くと、玉子かけ御飯を二杯、三杯と食べさせてくれるから、ぼくは杉並のおばがニワトリの化身ではないかとながめたものであった。  /嵐山光三郎「温泉玉子の冒険」

卵は、栄養に富み、精力を増す食品というのが古くは最も一般的な見方だった。(…)そういう「卵信仰」みたいな感じは、私たちの少年時代までは色濃く残っていた。たとえば、そのころ風邪を引いたりして、食欲もなく熱に浮かされてふせっていると、母親が「卵の皿焼き」というものを作ってくれた。  /林 望「ふわふわ」

私自身は、卵が大量生産されて「物価の優等生」になった時代に育ったので、卵に対する格別な思い入れは持っていない。それでも、こうした文章を読むと、卵が貴重品だった時代のことが何となくわかる。それは卵のあの独特な形や、命を丸ごと食べているというイメージとも関係したものであったのだろう。
卵かけごはんを二杯かつこめり滋養じやうと呪文をかけて  河野裕子『歩く』

2011年2月10日、ちくま文庫、780円。
posted by 松村正直 at 15:03| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月11日

天田愚庵(その2)

この「終焉之地」を詠んだ歌としては、愚庵が亡くなった翌年、明治38年にこの地を訪れた長塚節の歌がある。
   愚庵和尚の遺蹟を訪ふ、庵室の縁の高きは遠望に佳ならむがためなり、
   戸は鎖したれど時久しからねば垣も未だあらたなり。清泉大石のもとを流る

梧桐の庭ゆく水の流れ去る垣も朽ちねばいますかと思ふ
巨椋(おほくら)の池のつつみも遠山も淀洩く船も見ゆるこの庵
桃山の萱は葺きけむこの庵を秋雨漏らば誰が掩はむ
                  『長塚節歌集』

まだ生前のままに残っている庵を見て、亡き愚庵のことを偲んでいる歌である。今ではこのあたりは住宅地となっているが、当時は鄙びた場所であったのだろう。二首目に詠まれている「巨椋の池」は、周囲16キロ、794ヘクタールの広さを誇る湖であったが、昭和に入って干拓が行われ、現在もうその姿を見ることはできない。

なお、この地に建っていた庵は、1966年に愚庵の生地である福島県いわき市に移築され、「天田愚庵の庵」として現在も残されているそうだ。ぜひ一度訪れてみたいと思う。
posted by 松村正直 at 00:12| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月10日

天田愚庵(その1)


IMG_2279.jpg家の近所を歩いていて、いつもとは違う道を通ったところ、住宅地の中に「愚庵終焉之地」という石碑を見つけた。天田愚庵(あまだぐあん、1854―1904)は明治時代の歌人・禅僧。戊辰戦争で行方不明になった家族を探して全国を旅した末に、最後はこの京都の伏見桃山に庵を結び、そこで亡くなったらしい。

愚庵と言えば、正岡子規との交流が有名である。子規の歌集『竹の里歌』は、明治30年の次の歌から始まっている。
  愚庵和尚より其庭になりたる柿なりとて十五ばかりおくられけるに 録三首
御仏にそなへし柿ののこれるをわれにぞたびし十まりいつよ
籠にもりて柿おくりきぬ古里の高尾の楓色づきにけん
柿の実のあまきもありぬ柿の実のしぶきもありぬしぶきぞうまき

もっとも、この時の愚庵は、京都の清水、産寧坂に住んでいたそうなので、この柿も伏見桃山の産ではない。
posted by 松村正直 at 00:22| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月09日

「京大短歌」17号

学生10名+OB・OG16名の計26名の15首+エッセイを掲載。他に、評論2編、往復書簡、一首評など。全104ページというボリュームで、私が持っている「京大短歌」の中では一番厚い。

作品は全体的に少し凝り過ぎな気もするのだが、それも学生短歌の持ち味である。良いと思った歌が比較的シンプルなものになるのは、私の好みのせいだろう。
壮大な嘘をついたね おるがんにもたれている子の両手まっくろ /延 紀代子
西暦はあまねく人の没年と花瓶の細き影を見ており /大森静佳
護るため鉄条網は張らるるをその棘先に光る雨滴は /藪内亮輔
日記では二人称にて呼ぶひとを思えばどんな陸地も水辺 /笠木 拓
感情と言葉が一致しない日に百葉箱の白さを思う /矢頭由衣
洗濯機にたくさん入れる洗剤のさみしい人になりますように /吉田竜宇
退職を決めし同僚と向き合へりかもなんばんに鼻を温めて /澤村斉美
萩だろうようやく暮れ来し水に乗りすこし明るみながらゆくのは /中津昌子
遠空ゆふりくる雪は肉(ししむら)を持たねば夜の屋根に吸われつ /島田幸典
これからの春にて出会ふ木もふくめ桜のことはすべて思ひ出 /林 和清

大森静佳「大口玲子の〈起伏〉」、藪内亮輔「短歌の二重螺旋構造」は、ともに内容的にも分量の上でも本格的な評論。どちらも論理展開には異論を差し挟む余地があって、十分に論じ切れているとは言えないが、文章から書き手の「本気」が感じられて好ましく思った。これを手始めに、どんどん文章も書いていったらいいと思う。

往復書簡は、男女二人のメンバーが架空の物語という前提のもとで、手紙+短歌のやり取りをするというもの。ちょっと気恥ずかしい感じもする企画なのだが、これがけっこう良かった。「架空」とは言いながらも、どこかに「本当」の部分が透けて見えてくるように感じられた。
posted by 松村正直 at 00:26| Comment(2) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月08日

白いぼうし

この頃の小学生には、毎日「音読(おんどく)」の宿題がある。昨日も学校から帰ってくると、息子はさっそく国語の教科書を読み始めた。

「これはレモンのにおいですか。」
「いいえ、夏みかんですよ。」

あっ!と思う。

その瞬間、鮮やかで懐かしい感情の波のようなものが、どっと押し寄せてきた。匂いや空気や人の声などが一緒くたになって溢れ出してくる。たぶん三十年くらいの間まったく忘れていた話なのだが、それが冒頭の短いやり取りを聞いただけで、様々なものを伴って甦ってきたのだ。

記憶っていうのは、すごいものだと思う。
posted by 松村正直 at 00:41| Comment(5) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月07日

新学期


IMG_2266.jpg
 このところ20℃近い暖かな日が続いている。
 ベランダではチューリップが色あざやかに咲いている。
 息子は昨日から新学期。
 早くも4年生である。


チューリップ盛りをすこし過ぎしのみに心冷えつつ園をめぐれり
           /高安国世『朝から朝』
夕暮れに花閉ぢて立つチューリップ揺るるは人の悲しむに似る
           /小島ゆかり『水陽炎』
明快な赤白黄(きい)とチューリップお伽噺のように咲くなり
           /岡部桂一郎『一点鐘』

posted by 松村正直 at 00:03| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月06日

阿辻哲次 『戦後日本漢字史』


改訂常用漢字表の作成にも参加した著者が、戦後日本の国語政策・漢字政策の変遷を記した本。昭和21年の「当用漢字表」から昭和56年の「常用漢字表」、そして平成22年の「改訂常用漢字表」へと至る歴史の流れがよくわかる内容となっている。

漢字をめぐる様々な困った話も載っていて、雑学的な意味で面白い。例えば、当用漢字表に入らなかった漢字の言い換えについての話。
同じようにいまでは社会にすっかり定着した有名な例に、「推理小説」がある。
「当用漢字表」に「偵」という漢字が入らなかったので、それまで使われていた「探偵小説」という表記が使えなくなった。それで「探偵小説」の言い換えとして「推理小説」ということばが作られた。

あるいは昭和22年12月の「戸籍法」の施行によって、新しく付ける名前には当用漢字しか使えなくなった話。
もともと「当用漢字表」は終戦直後の占領軍主導の政策で決められた漢字制限のための規格だから、収録されている漢字の種類が少なすぎるという批判が当初からあった。さらにくわえて、そこには「弘」や「宏」、「昌」、「彦」のように、これまでの日本人の名前にはごくふつうに、それも頻繁に使われていた漢字が含まれていなかったことも大きな問題だった。

つまり、永田和宏(昭和22年5月生まれ)という名前も、昭和23年生まれであればあり得なかった名前ということになる。こうした状況が、昭和26年の人名用漢字別表の採用まで続いたのであった。

明治以降の日本の国語をめぐる様々な問題と短歌との関わりについては、一度自分なりにまとめて文章を書きたいと考えている。考えているだけでは仕方がないので、今年あたり何とか取り掛かりたいと思う。

2010年11月25日、新潮選書、1200円。
posted by 松村正直 at 14:04| Comment(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月04日

河野裕子と「コスモス」

昨年行われた「河野裕子を偲ぶ会」の席で、来賓挨拶に立った高野公彦さんが、河野さんについて
つまり歌人としての前半生は「コスモス」の人だったんですね。

とおっしゃっていた。これは知っている人にとっては当り前のことだけれど、最近では「塔」の中でも意外に知らない人が増えていることのように思う。

河野さんは1964年〜1989年までの25年間「コスモス」に在籍していた。「塔」は1990年〜2010年までの20年間ということになる。私自身、もちろん以前からそのことは知っていたのだが、例えば『みどりの家の窓から』を読んでいて、
飯綱高原に着くなり、亭主と光田先生は、塔の全国大会に行ってしまったから、私と子供たちが、キノコ狩りの主力部隊になった。

という文章などを読むと、一瞬「えっ?何で河野さんは全国大会に行かないの?」と思ったりしてしまう。

それだけ、〈河野さん=塔〉というイメージが強くなってしまったということなのだろう。その良し悪しは問わないが、「河野さんは永田さんと二人三脚でずっと塔を支えてきて・・・」みたいなことが平気で言われたり書かれたりしている現状を見て、戸惑うことも多い。事実とはズレた話がどんどん広がって行くことに対して、不安を覚えてしまうのである。
posted by 松村正直 at 23:42| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月03日

東京都立多摩図書館

現在、「GRAN CYBER CAFE BAGUS 新宿西口店」の店内。

今日は東京都立多摩図書館へ行っていた。立川駅から徒歩20分くらいのところ。都立図書館は「中央図書館」と「多摩図書館」の二つがあって、中央が図書、多摩が雑誌という区分けになっているようだ。

入館時に渡されたカードによって、書庫から雑誌を出してもらったり、コピーを頼んだりする。国会図書館に似た方式。開架の雑誌もかなり多いが、それほど混んではおらず、ゆったりとした雰囲気である。

今日は「コスモス」の古いバックナンバー(1964年〜1969年)を調べたほか、他の図書館にはない珍しい雑誌をいくつか見ることができた。小さな収穫あり。

これから格安の夜行バスで新宿→京都へ帰る予定。何とたったの3900円!
心配になるくらい安い。
posted by 松村正直 at 18:53| Comment(2) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年04月02日

電車賃

昨日はカルチャーセンターの講座のために芦屋へ。行きはJR、帰りは阪急+京阪を使ったのだが、思っていた以上に電車賃がちがう。

・JR藤森→(JR奈良線)→京都→(JR東海道本線)→芦屋 1110円

・芦屋川→(阪急)→河原町・・・祇園四条→(京阪)→墨染 510円+200円=710円

というわけで、片道400円の差。往復だと800円になる。多少時間がかかって乗り換えが面倒でも、これからは京阪+阪急を使おうかと思った次第。
posted by 松村正直 at 07:12| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする