2011年03月31日

山内美緒 『父・大村呉樓』

歌人大村呉樓の足跡を、歌集や日記などの資料によってまとめたもの。著者は大村の二女。大村は昭和29年に高安国世が「関西アララギ」の編集を辞して「塔」を創刊した後、長く「関西アララギ」を率いた歌人である。

この分裂についても、「関西アララギ」に掲載された「編集を辞するに当って」(高安国世)、「別れる言葉」(鈴江幸太郎)、「高安編集を歓送する」(大村呉樓)といった文章を載せており、その経緯がよくわかる。

いろいろと初めて知るような事実があって面白い。昭和24年の日記には
十月十六日 高安国世著「真実」出版記念会が京都嵯峨天龍寺で開催出席。会者二十余名、西村俊一、丸山修三、岩崎美弥子らも来る。夜懇親会、十名ほど。

とあり、当時の出版記念会の小規模でつつましい様子がわかる。
あと、これは時代のせいか大村自身に理由があるのかわからないのだが、持ち物を盗まれるという記載が非常に多い。
宿直明けの今朝、校閲室に置いてあつた靴(靴下共)を盗まれてゐるのを知る。八方捜査したが見つからず、やむなく新しく買つて帰る。甚だ物騒である。(昭和16年12月3日)

今日出版局の招待宴あり、出席した所皮製ボストンバッグ盗難に遭ふ。「万葉秀歌」、中沢家の妊産婦手帳、牛乳購入券、粉乳等あり、他家のものもあり大いに弱る。(昭和20年10月1日)

中央郵便局へ「三種郵便」の交渉に行く。ズボンに入れてゐた乗車券掏摸られる。(昭和21年9月18日)

汽車混雑、夕刻帰宅。然るところ内懐の財布掏られてゐた。大いに不愉快。千円余在中の筈である。(昭和22年3月10日)

出勤の途中阪急電車にて赤皮鞄を盗難にあふ。中に高槻の柴谷君受持の選歌原稿あり大いに弱る。早速交番に届ける。一日不快。(昭和24年3月24日)

これまで大村呉樓については高安国世との関わりで少し知っているだけであったが、この本を通じて、大村のナマの姿に触れられたことは非常に良かった。

2010年11月25日、短歌新聞社、3000円。
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2011年03月29日

西宮市短歌大会のお知らせ

*選者として参加しますので、皆さんのご投稿、ご参加をお待ちしております。

日時 平成23年6月16日(木)
     13:00〜16:00

会場 西宮市民会館アミティホール

選者 小黒世茂・篠 弘・玉井清弘・古谷智子・松村正直・米田律子

講演 篠 弘「現代短歌の魅力」

主催 NHK学園・西宮市

投稿締切 4月18日(月)消印有効

詳しくは→パンフレットをご覧ください。
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2011年03月28日

フォーラム福島

震災の影響により営業を休止していた映画館「フォーラム福島」が、4月2日から営業を再開することになった。嬉しいニュースである。

「フォーラム」は一般会員からの出資をもとに、主に東北地方に映画館をつくる運動をしている団体で、現在、山形・福島・仙台・盛岡・八戸・東根・那須塩原の7都市で計58スクリーンを運営している。

私は1997年〜99年に福島に住んでいた時、この映画館で働いていた。映写全般に渡ることから、切符切り、町中のポスター貼り、フィルムチェック、駐車場の誘導など、何でもやらせてもらった。若いスタッフがみんな元気に働いていて、本当に楽しい思い出の多い二年間だ。十年以上が経った今でも、「フォーラムラヴィ」という上映案内が、毎月送られてくる。

当時は、まだ山形・福島・盛岡の3都市だけという規模だったので、この十年で随分大きくなったなあと感じる。東京をはじめとした大都市でしか上映されないミニシアター系、アート系と呼ばれる作品や、ドキュメンタリー映画などを数多く上映してきた「フォーラム」の姿勢が、多くの方々の支持や評価を得た結果なのだと思う。

今回の原発事故について、フォーラム福島総支配人の阿部泰宏さんがメッセージの中で、次のように書いている。
営々と築きあげてきた「うつくしまふくしま」のキャッチフレーズはいまや「美しい島」どころかチェルノブイリ、スリーマイルと並ぶ放射能汚染にまみれた原子力災害のシンボリックな地「フクシマ」として、世界じゅうの人々にその名を印象づけかねない状況にあります。信じがたい屈辱。

屈辱という強い言葉を使った阿部さんの気持ちが、ずっしりと胸に響いてくる文章だ。福島の地で映画の灯をともし続ける皆さんを、私は心から応援する。
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2011年03月27日

「短歌研究」2011年4月号

川野里子さんの「疎開という文学空間の誕生」に注目した。

これは昨年11月に東京で行われた「今、読み直す戦後短歌」の三回目のシンポジウム(サブタイトルは「戦中からの視野」)の基調講演である。この中で川野さんは
文学者の年譜にいつどこへ疎開した、と出てくるんですけれども、疎開というものが、ことばに与えた影響は語られてこなかったんじゃないかという気がします。しかし、「戦中からの視野」で考えてみると、これは見逃すことのできないかなり大きな要素だろうということに気がついてきました。

と述べ、葛原妙子・斎藤史・斎藤茂吉という三人の歌人の疎開時の作品を取り上げている。そして、
三者三様の疎開体験ですけれども、疎開という空間、戦中の場が戦時中の文学にもたらしたものは少なくない。そしてたぶん、戦後文学の礎となっていった部分があったのではなかったろうかと思いました。

という結論を導き出すのである。とても重要な指摘だと思う。この三人以外でも、例えば群馬県の川戸に疎開した土屋文明の場合、『山下水』『自流泉』といった歌集を読めば、疎開生活が作品に与えた影響の大きさは明らかだろう。

さらに言えば、これは短歌に限った話ではない。先日読んだ有栖川有栖『作家の犯行現場』の中で、著者は横溝正史をめぐる旅に出るにあたって、次のように記している。
ミステリーファンなら、正史が疎開先だった岡山を舞台にした作品をたくさん遺していることをご存じだろう。彼はそこで昭和二十年春から終戦を挟んで二十三年夏まで過ごし、『本陣殺人事件』『蝶々殺人事件』『獄門島』という日本推理小説史に輝く傑作を書いた。

疎開という出来事がなければ、あるいはこうした横溝正史の傑作は生まれていなかったかもしれないのである。
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2011年03月26日

小池和夫 『異体字の世界』


副題に「旧字・俗字・略字の漢字百科」とあるように、狭義の異体字だけでなく漢字のさまざまな字体について、その歴史的な経緯や現状を詳しく記した本。著者はJIS規格(第3・第4水準漢字)の開発に関わった方。
正字と俗字、その他の異体字が混在した一見無秩序な日本語表記の世界。その混乱を解決しようとする努力が、「漢字制限」と「字体整理」でしたが、押さえつければどこからか漏れ出すのが世の習い。

とあるように、漢字を秩序立てて整理しようという試みはこれまで何度も行われてきたものの、いまだに整理できていないのが現状。というより、完璧に整理しようと思うのがそもそも間違いなのだろう。ある程度の差異や揺れ幅、不統一を許容する方がむしろ合理的なようだ。

口語・文語の問題にも似ているのだが、手書きの字体と印刷字体に差が生まれるのは当然のこと。手書きの字体が省略などによって変化しやすいのに対して、印刷字体は一度決まれば変化しない。その差を埋めていく作業は、いたちごっこにも似ている。

また、戦後の旧字から新字への移行も、いくつもの問題を抱えている。この移行は当用漢字字体表に記載された一部の漢字についてだけ行われたものであった。

 A→a (旧字→新字)
 B→B (変更なし)
 c→c (変更なし)

これが、やがて字体整理を表外の漢字にまで当て嵌めた拡張新字体「B→b」を生み出す。さらには、歴史的に存在しなかった拡張旧字体「C←c」までも生み出してしまうという奇妙な現象を引き起こしている。

読めば読むほどその混乱ぶりに頭が痛くなってしまうのだが、それをむしろ豊かさとして楽しむようなゆとりが必要なのかもしれない。

2007年7月20日、河出文庫、640円。
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2011年03月25日

専門家について

新聞やテレビで今回の大震災のニュースを見ていると、専門家のあり方というものを考えさせられる。原子力関係の専門家の中には、残念ながら一般の人々を軽んじているようにしか見えない人がいる。原子力の難しい話は一般人に説明してもわかるはずがない、一般人はすぐにパニックになるから困るといった見方をしているようで、そこに大きな問題があるように感じる。

一方で、ニュースを見ていて一番好感を持ったのは、東北大学の今村文彦教授(東北大学大学院工学研究科附属災害制御研究センター長)。津波の専門家である。今回の津波に関する分析や説明をわかりやすく述べ、また予測以上の津波に襲われたことに対しても率直に責任を感じて、対策を講じる必要性を語っている。

もちろん、津波に対してこれまで何の予測も対策もしていなかったわけではない。昨年放映されたNHKスペシャルの内容をまとめた『メガクエイク(巨大地震)』(主婦と生活社)という本には、次のように記されている。
仙台市の郊外。東北大学・今村文彦教授の研究チームは、海岸から4キロ近く離れた水田の地下から、あるはずのない海の砂を発見した。分析の結果、この砂は約1000年前に起きた日本最大級の津波の痕跡で、1000年ごとに繰り返し起きていることがわかった。つまり、いつ次の大津波が来てもおかしくはない。この津波を起こす地震は、本州東方のプレート境界。最大ではマグニチュード9近くのメガクエイクになる可能性もある。

三陸海岸は、過去何度も大津波に襲われている。岩手県宮古市田老地区の海岸には、津波に備えて高さ約10メートルの防波堤が築かれている。しかし、1896年の明治三陸大津波が再び起きたと仮定し、シミュレーションを行ったところ、上の写真のように、この防波堤を軽々と乗り越えてしまうという結果が出た。

今回、津波による大きな被害を防ぐことはできなかったわけで、今村教授も心を痛めているだろうと思う。しかし、普段からこうした研究を地道に続けておられた方がいることを知って、私は心強く思ったのであった。
posted by 松村正直 at 19:47| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

カルチャーセンター

4月から新規のカルチャー講座を二つ担当することになりました。
ご興味のある方は、ぜ造お越しください。

○「はじめてよむ短歌」
  朝日カルチャーセンター芦屋教室 0797−38−2666
  4月1日(金)から3回 第1金曜10:30〜12:30
   詳細は→こちら

○「初めてでも大丈夫 短歌教室」
  醍醐カルチャーセンター 075−573−5911
  4月11日(月)から 第2月曜13:00〜15:00
   詳細は→こちら

どうぞよろしくお願いします。

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2011年03月24日

翻訳のむずかしさ

『近江八景の幻影』の邦訳は、地元出身の二人の訳者の方の熱意の賜物である。一方で、お二人ともドイツ文学や翻訳の専門家ではない。そのために、読んでいて気になる部分が散見する。ドイツ人が初めて見る日本について書いた文章が、あたかも元々知っていたかのように訳されていることがある。

例えば、直訳すれば「竪琴の形をした琵琶湖」となるべき部分が「琵琶の形をした琵琶湖」となっている。これには訳者の注が付いていて「竪琴の形をしているというのでは日本の読者に奇異な感じを与えるので」とあるのだが、それは心配し過ぎというものだろう。ドイツ人が「琵琶」という言葉を使う方がよっぽど奇異な感じを受ける。

また、次のような部分がある。
古い家のなかは暗く、褐色の梁がやたら多い。竈と飼葉桶のあいだに石の柵で囲んだ湧水がある。そのために古壁に囲まれた宿の部屋が冷え冷えしている。(…)農作物の商いと畑仕事を活計(たつき)としていたこの家の家族は、水場のまわりで井戸端会議をしながら百年間も気楽に暮らしてきたのだ。

旅の途中の民家で休憩をした場面である。土間にある井戸のことを描いているのだが、ここでは「井戸端会議」という言葉が気にかかる。井戸のことを「石の柵で囲んだ湧水」と述べていたドイツ人が、その直後に「井戸端会議」という言葉を使うのは、やはり変であろう。

翻訳というのは難しいとつくづく思う。
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2011年03月23日

マックス・ダウテンダイ 『近江八景の幻影』

河瀬文太郎・高橋勉 共訳。

マックス・ダウテンダイ(1867―1918)はドイツの詩人・文学者。1906年に世界一周旅行をして日本を訪れ、京都や大津をめぐった。帰国後、近江八景をモチーフにして書いたのが、この小説である。

この本は、外国人から見た日本というジャポニスム的な要素に、作者の生み出した幻想が加わって、独特で不思議な世界を生み出している。似たようなものとしては、ピーター・グリーナウェイの映画『枕草子』や山口雅也『日本殺人事件』などが思い浮かぶ。

日本の文字は、彼の目に特に不思議なものとして映ったようだ。樹木の皺や雁の飛ぶ絵を文字になぞらえて物語を作っている。
毎日の出来事を、樹皮が表面にできる速記文字のような皺や刻み傷、節や掻き傷で書きとめる。(…)樹齢を重ねた琵琶湖畔の謎めいた樹の樹皮の解読はそれまで不可能だったが、それを最初に成し遂げたのがこの日本人の僧だった。

どの雁もほかの雁の後ろを飛ぶわけですから、絵師の描いた雁の渡りがまとまると字になります。ある種の木と小さな山の尾根を渡って行く雁の列で文字ができるのです(…)

その一方で、日本文化についての的確な観察や描写も多く、日本文化論や比較文化論としても読むことのできる内容となっている。
白い冬の季節には日本人は、鼠色や茶色の絹の綿入れを三、四枚重ねて着る。彼らは暖炉を知らない。真鍮の火鉢に埋めたわずかな炭火に手をかざして、指先を暖めるだけだ。だが、日本人は温度を調節するいろんな方法を知っている。彼らが住んでいる竹と木でできた小さな家は、薄い紙の障子や襖で外界と隔てられているだけなので風がよく通る。

この本は大津市出身のお二人の方が翻訳したもの。邦訳が出版されているとは知らなかったので、たいへん有難かった。ダウテンダイの出身地ヴュルツブルグと大津市は姉妹都市になっているのだそうだ。

2004年10月8日、文化書院、1980円。
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2011年03月22日

有栖川有栖 『作家の犯行現場』

有栖川 有栖,川口 宗道
メディアファクトリーダヴィンチ編集部
発売日:2002-02


写真:川口宗道。
新潮文庫で探したものの見つからず、古本屋で単行本を購入。

「有栖川有栖 ミステリー・ツアー」という題で「ダ・ヴィンチ」に連載された紀行エッセイ21編+書き下ろし小説2編という内容。軍艦島(長崎)、即身仏(山形)、江戸川乱歩邸(東京)、白駒池(長野)、犬吠埼灯台(千葉)、富士の樹海(山梨)、鳥取砂丘(鳥取)など、有名なミステリーの舞台になった場所や、作者の興味を引いた場所を求めて、日本各地に出かけていく。

ただの旅行記とは違って、推理作家ならではの観察と描写が随所にちりばめられており、「何か起こりそう」な雰囲気に満ちている。同行する編集者の「岸本さん」やカメラマンの「川口さん」とのやり取りも楽しい。

江戸川乱歩邸については、連載第5回に「この乱歩邸の洋館部分と土蔵が豊島区に寄贈されることになった(…)ゆくゆくは“江戸川乱歩記念館”として一般公開する構想があるという」とあり、その後、第14回で「財政的な事情からその計画が撤回されてしまった」と記されている。

さらに注釈に「その後、乱歩邸は立教大学に買い上げられた。現在、一般公開の予定はない」とあって気になったのだが、調べてみると現在では「立教大学江戸川乱歩記念大衆文化研究センター(旧江戸川乱歩邸)」として公開されているようだ。そのことを喜びたい。

2002年2月16日、メディアファクトリー、1500円。
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2011年03月19日

吉本隆明『詩の力』

吉本 隆明
新潮社
発売日:2008-12-20


構成/大井浩一・重里徹也。
詩、俳句、短歌、歌謡曲など様々な言葉をめぐって吉本隆明が語った内容を、毎日新聞の記者が聞き取って構成した一冊。新聞連載をまとめた『現代日本の詩歌』(2003年、毎日新聞社)を改題のうえ文庫化したもの。

短歌関係で取り上げられているのは、塚本邦雄、岡井隆、俵万智、佐佐木幸綱、寺山修司、近藤芳美。印象に残ったのは次のような部分。
五・七・五の上句と七・七の下句との間に深い息継ぎ、区切りのある形が短歌の特徴であるのに対し、例えば正徹の歌集『草根集』などの作品では、もう上句と下句の間に深い思い入れはなくなって一つに連続している。三十一文字ののっぺらぼうといっていいくらい、上から下まで一呼吸でつながる形になってしまった。これが和歌の壊れる始めだという印象を強く与える。

同じことが戦後派の詩や短歌、俳句にもいえる。主観性を中心にした作品はどうしても多様性に欠けるため、今では単調なものに、主観を一行に書き流しただけのように読めてしまうのだ。しかし、それらを戦後間もなくの世相の中に入れて見ると、全く意味合いが違ってくる。

いずれも示唆に富む指摘だと思う。短歌を他のジャンルも含めた言葉の表現の一つとして捉えること、その中から逆に短歌ならではの特徴というものも見えてくるのだろう。

新聞連載という性格のために、編集サイドの要望に応じたと思われる内容も含まれているのが若干気になる。例えば「宇多田ヒカル」の回などは、冒頭に「宇多田ヒカルさんの歌をじっくりと聴いたことはない。だから、歌詞だけを見て感想めいたことをいうしかない」とあって、何だか可哀想だ。

2009年1月1日、新潮文庫、362円。
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2011年03月18日

日本経済新聞

日本経済新聞のホームページに「初めての俳句・短歌」という連載があるのを見つけた。毎週土曜日の更新で、俳句は高田正子さん、短歌は大辻隆弘さんが書いている。新聞の夕刊に載る「耳を澄まして あの歌この句」に連動した企画とのこと。コンパクトながら深く的確な鑑賞で、読むのが楽しい。
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2011年03月17日

柏崎驍二歌集 『百たびの雪』

春ゆふべやうやく昏れて食卓の煮物の鹿尾菜(ひじき)くろぐろひかる
山鳩はすがたの見えてわがまへに啼くなれど声はとほく聞ゆる
一列に雪のあさ行く子らにして幼きものは顔引き緊まる
針のごと突きいだしたる嘴(くちばし)の先端に朱をともせりさより
アクアチントのやうな日暮れだ銀行に橋行く人に霙(みぞれ)は降りて
自転車を押すわが影を見てのぼる〈踵(あぐど)下がり〉の三馬橋(さんまばし)の坂
九十七歳ですよと母に言ひやれば舌が笑へり歯のなき口に
脚立下り松を眺むる庭師にて手順のごとく煙草をくはふ
雪の来て寡黙にわれらなりゆくに木々はしづけき力をたもつ
山茱萸(さんしゆゆ)の珊瑚の色の実に降れる師走の雪は影をともなふ

第6歌集。作者が住む盛岡を中心とした東北地方の気候や風土を詠んだ歌が多い。「岩手地名集」や「方言」といった地元の言葉を題材にした一連もあり、土地への愛着がうかがわれる。見た目の派手さはないが、文語定型の持つ味わいを十二分に感じさせる歌集と言えるだろう。

タイトルは「渋民を出でてかへらぬ一人ありひばの木に降りし百たびの雪」という一首から取られたもの。この歌には「啄木が渋民を出でしは明治四十年五月」の詞書があり、それから百年が過ぎたことが背景となっている。その百年の間、冬が来るたびにこの地に雪は降り積もったのだ。そうした歴史的な厚みが、この歌集を豊かなものにしている。

第26回 詩歌文学館賞受賞。

2010年9月30日、柊書房、2500円。
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2011年03月16日

チューリップ


IMG_2222.jpg
ベランダで育てているチューリップの花が咲いた。黄色い花の内側に橙色があって、鮮やかである。昼間には花が開き、夜になると閉じる。これを花弁の開閉運動と呼ぶらしい。他の鉢にもピンク色の蕾ができていて、これからしばらく楽しめそうだ。

秋の終わりに植えた球根が、冬を経て春になると花を咲かせる。チューリップを育てたのは今年が初めてだが、とてもいい。黒土を破って芽を出し、日々生長していく姿を見ていると、気持ちが前向きになってくる。

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2011年03月15日

太平洋

1997年から1999年にかけて、二年あまり福島市に暮らしていた。福島女子高校の前に佐藤さんというお宅があり、そこの敷地内に建っている貸家に住んで、福島フォーラムという映画館で働いていた。

その頃、太平洋側の海へ行ったことが二回ある。一回目は海水浴のため。常磐線の新地駅(福島県新地町)から歩いて10分ほどの釣師浜海水浴場というところへ行った。二回目は初日の出を見るため。当時の日記には
1999年 1/1(金) 常磐線の山下駅で降り(0:09)海岸で初日の出を見る。とにかく寒い。バスタオルを持参したのが正解。水平線には雲があって海から直接あがってはこなかったが、金色でとても素敵だった。

と書いてある。山下駅(宮城県山元町)で降りたのは、終電がその駅止まりだったから。海岸までは歩いて15分くらい。途中にあった小学校の校舎の陰で休んだり、堤防の上を歩いたりして、朝日が昇るまでの6時間あまりを過ごした。ひたすら寒かったのを覚えている。
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2011年03月14日

「塔」3月号

「塔」3月号を読み始めて、最初のページの栗木京子さんの歌に目が止まった。
亡き人との親交誇る歌並べど殉死しますといふ歌は無し
大らかな彼女であれば笑みてゐむ副葬品の歌なぞいらぬと

河野さんのことを詠んだ歌だろう。かなりキツイ内容の歌ではあるが、共感するものがある。河野さんへの挽歌が大量に載る「塔」の誌面に、これらの歌を発表するには大きな覚悟が必要だっただろう。その姿勢を潔いものだと思う。
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2011年03月11日

キラー・ホエール

『知床・北方四島』に「シャチのクジラ狩り」の話が載っている。択捉島と国後島の間の国後水道で、シャチの群れがミンククジラを襲っている様子である。それに続けて
択捉で遭遇したのは「キラー・ホエール」の英名を実践する通過型のシャチだった。

と書かれている。英語でシャチのことを「キラー・ホエール killer whale」と言うことを初めて知った。しかし、どうも疑問が残る。「英名を実践する」とあるが、この英語は「殺し屋クジラ」という意味であって「クジラ殺し」ではないのではないか。それならば「whale killer」とでもなるところだろう。

シャチを広辞苑で調べてみると
クジラ目の歯クジラの一種。体長約9メートル。(…)クジラを襲うので、土佐方言で「くじらとおし」という。

とある。シャチもクジラの一種ということなので、やはり「キラー・ホエール」は「殺し屋クジラ」ということだろう。でも、クジラの一種なのにクジラを襲うことで知られているわけだから、話がややこしくなる。

大辞林には「鯨に鯱」という慣用句も載っていて、
(シャチが鯨を襲う様子から)どこまでもつきまとって害をなしたり、邪魔をしたりすることのたとえ。

とある。ただし、この「鯱」は「しゃち」ではなく「しゃちほこ」と読むらしい。しゃちほこと言えば、あのお城の屋根に載っているやつだ。しゃちほことシャチ。ますますややこしい。「麒麟」と「キリン」のように、想像上の動物と実在の動物という関係なのだろうか。
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大泰司紀之・本間浩昭著 『知床・北方四島―流氷が育む自然遺産』


知床半島から北方四島、さらに千島列島を含む地域の生態系を、100点以上のカラー写真をまじえて解説した一冊。ラッコ、アザラシ、エトピリカ、ヒグマ、カラフトマス、シマフクロウなど、写真を見ているだけでも楽しい。

日本と旧ソ連との間に領土問題があったために、北方四島ではあまり開発が進まず、豊かな自然が残された。考えてみると皮肉な話である。しかし、ソ連崩壊後は状況が大きく変わり、開発の波がこれらの島にも訪れようとしている。そのため、著者は知床の世界自然遺産を北方四島、さらにウルップ島まで拡張して、日ロ両国で共同して保全することを提案している。

それは、この本が出版された2008年当時の「ロシアは領土問題を棚上げした状態での四島の共同開発を期待している」という前提に基づいたものなのだが、最近の報道を見る限り、その実現の可能性は今ではだいぶ低くなってしまったようだ。

2008年5月20日、岩波新書、1000円。
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2011年03月10日

森岡貞香歌集 『少時』

『九夜八日』に続く第十歌集で、歌集名は「しまし」と読む。2000年から2003年までの四年間の歌を収録。遺歌集はもう一冊出るとのこと。
われはしも紅茶を買ひぬさざんくわの赤き花ちるさーびすえりや
斷層はここと言へればここなるを大根畑のみどりしづまる
雨の豫報とほざかりたり桃の木の桃の葉茂りおぼおぼとある
沼にゐる水鳥がその數増えてゆらぎ出でくるこゑのひびかふ
いつしかに徐行をしつつ此の通りに蕎麥店あれば駐車場探す
妙高のいもり沼にはまた行くのかと言葉のつづきに汝の問ひたる
梅の木の蕾見ゆるを見てゐたり日の暮れかたのにはかに暗く
葉ざくらとなりてゐたればゆふぐれに暗きみちなりわが歸りみち
手文庫の中に見當たらねばつつじ咲く庭の向うを見てをり少時
がまがへるながきねむりより目覺むるにけふ覺めるとは思はざりしを
樹木の葉それぞれ形を見つつゐてつひにわが手を視るとかなしも
(一部、字体が異なるものがあります)

正字、旧仮名遣い。カタカナはほとんど使われていない。

助詞・助動詞を駆使して、今まさに詠われつつあるような、進行形の作りの歌を生み出している。一首のなかに複数の時間が流れているような感じとでも言えばいいか。とは言っても、以前の森岡作品に比べるとかなり読みやすくなっている。

「かの」「この」「その」といった連体詞の用法に独特なものがある。例えば四首目の歌の場合、普通なら「沼にゐる水鳥の數(が)増えて・・・」あるいは「沼にゐる水鳥がその數を増やして・・・」とでもなるところを、「沼にゐる水鳥がその數増えて」という少し奇妙な形にしている。

それが、この歌のいいところ。「沼にゐる水鳥が・・・」と詠い始めて、そこに覆いかぶせるように「その數増えて」と続けていく。最初は一羽だった水鳥が、そこで一気に増えたような鮮やかな印象を受ける。

まあ、あまり真似はしない方が良さそうですが。

2010年8月30日、砂子屋書房、3000円。
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2011年03月09日

内田青蔵 『「間取り」で楽しむ住宅読本』


家に興味がある。自分で家を建てたいとは思わないが、家についてあれこれ考えるのは楽しい。町を歩いていて、ちょっとレトロな家などを見ると心がなごむ。

日本近代住宅史を専門とする著者が、間取りを中心に日本の家の変遷について解説した本。「戦前は約八割が借家で、まだまだ借家が一般的だった」とか、日本に水洗トイレがなかなか普及しなかったのは「汚水は商品として扱われ、汲み取るほうから逆にお金をいただいていた」名残であることなど、これまで知らなかったこと、気付いていなかったことが数多く載っている。

家屋の移り変わりには、もちろん家族のあり方や制度の変化も関係している。例えば、1902(明治35)年に出版された『家庭の快楽』という本を紹介して、著者は「当時の流行語として紹介されている“団欒”という言葉が再三使われている」「一九〇〇(明治三三)年前後には家族の努力の結晶としての家族団欒という行為が重視され」ていたと述べる。

こういう話を読むと、坪内稔典の『正岡子規』に引かれていた次のような子規の文章の意味も初めてよくわかる。
今迄の日本の習慣では、一家の和楽といふ事が甚だ乏しい。それは第一に一家の団欒といふ事の欠乏して居るのを見てもわかる。一家の団欒といふ事は、普通に食事の時を利用してやるのが簡便な法であるが、それさへも行はれて居らぬ家庭が少くは無い。  (『病床六尺』明治35年)

これなども、一見古めかしいことを述べているように思えるが、実は当時の最先端の考えを反映したものであったのだ。

明治から大正、昭和にかけての家の変遷と今後の展望がよくわかる好著であるが、家族のあり方についての著者の価値観がやや出過ぎている部分があるようにも思う。「男が男として凛としていた姿」「女も女の空間で凛としていた様子」「母親と子どもの連携による子ども文化が蔓延したことによる弊害」といった言い回しには、(これは世代的なものも大きいのだろうが)少し押しつけがましさを感じた。

2005年1月20日、光文社新書、740円。
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2011年03月07日

坪内稔典著 『正岡子規 言葉と生きる』


子規の残した文章や詩歌を引いて、それに関する事柄を記していくというスタイルで書かれた評伝。明治12年、子規12歳の文章に始まり、明治35年の絶筆三句までという流れになっている。

俳句、短歌に限らず子規のさまざまな文章が引かれていて面白い。例えば、ベースボールが戦争のように激しいことを述べて、子規は次のように言う。
二町四方の間は弾丸は縦横無尽に飛びめぐり 攻め手はこれにつれて戦場を馳せまはり 防ぎ手は弾丸を受けて投げ返しおつかけなどし あるは要害をくひとめて敵を擒(とりこ)にし弾丸を受けて敵を殺し あるは不意を討ち あるは夾み撃し あるは戦場までこぬうちにやみ討ちにあふも少なからず (「筆まかせ」明治21年)

これなどを読むと、浜田康敬の有名な〈「盗む」「刺す」「殺す」はたまた「憤死」する言葉生き生き野球しており〉という一首が思い浮かぶ。

また、子規と言えば写生(写実)を重んじたことで有名であるが、それはあくまで子規の一面に過ぎなかったようだ。
空想と写実と合同して一種非空非実の大文学を製出せざるべからず空想に偏僻し写実に拘泥する者は固(もと)より其至る者に非るなり (「俳諧大要」)

この文章からも、子規が空想と写実の両方を大事にしていたことがよくわかる。〈足たゝば北インヂヤのヒマラヤのエヴェレストなる雪くはましを〉と詠んだ子規であるから、むしろ当然のことではあるのだが、「子規=写生」というような図式的な把握になりがちな現代において、このように原点に戻って読み直すことの大切さを感じた。

評伝を読む楽しさは、そこに描かれた人物を知る楽しさであると同時に、それを描く人のことを知る楽しさでもあるだろう。この本から浮んでくる子規もまた、著者坪内稔典のフィルターを通した子規の姿なのである。
子規の俳句は、そして短歌も文章もだが、自分が面白いと思ったことが、読者にも面白いと思ってもらえるものであった。いつも読者がいて、読者と共に楽しむのである。

このように子規の姿を描くとき、そこには坪内自身の姿が二重写しになっているように感じる。

2010年12月17日、岩波文庫、720円。
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2011年03月06日

桜井の別れ


IMG_2217.jpg滋賀県のとある神社へ行ったところ、参道わきに二人の人物の石像があった。よく見ると楠正成・正行親子の「桜井の別れ」の像である。どうしてこんな所に桜井の別れの像があるのかと不思議に思って説明書きを読んでみると、戦前は近くの小学校の校庭にあったものが、戦後になって撤去され、この神社に移されたとのこと。なるほどと納得した。

御真影や教育勅語を収めた奉安殿が戦後に撤去されたのはよく知られていることだが、この像も同じような運命をたどったのだろう。桜井の別れは戦前には教科書にも唱歌にも載っている有名な話だったので、各地の小学校に同じような像があったのかもしれない。こういう歴史書にも残らないような部分が、今になると意外とわからなくなっているものである。
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2011年03月05日

河東碧梧桐著 『子規を語る』

河東 碧梧桐
岩波書店
発売日:2002-06-14


虚子と並んで子規門下の双璧とされる碧梧桐が、子規に関する思い出を記した一冊。子規が十三、四歳、碧梧桐七、八歳の初対面の場面から始まって、明治二十八年に至るまでの記録である。当時の手紙や日記、句会の原稿などが引用されていて、資料的な価値もすこぶる高い。

例えば、「月並」という言葉が〈平凡、陳腐〉の意味で使われるようになったのも、子規たちの間から始まったことであるらしい。
この言葉が、その後子規の俳句に帰依する人々の間に伝播し、更に社会一般に押しひろげられて、明治の新語として迎えられる確定的のものとなった。ただ一語の「月並」ではある、が、その伝播性はやがて子規の人格芸術、言いかえれば子規宗そのものの社会への湿潤性を標識するものと言ってもいいのだ。

本書はまた、子規だけでなく、子規の周りに集った非風、飄亭、古白、虚子、漱石といった人々とその交流を、鮮やかになまなましく描き出している。愛憎半ばするがゆえに美しい師弟関係の姿というものを十二分に感じることができる好著。
(…)碧梧虚子の中にても碧梧才能ありと覚えしは其のはじめの事にて、小生は以前よりすでに碧梧を捨て申候、併し虚子は何処やりとげ得べきものと鑑定致し(…)

明治28年の飄亭宛の子規の手紙である。これを、碧梧桐はどんな気持ちで引いたのだろう。子規の死後、碧梧桐は虚子と袂を分かち、新傾向俳句から自由律へと進んで行く。

2002年6月14日、岩波文庫、660円。
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2011年03月04日

チャボとシャモ

チャボ(矮鶏)とシャモ(軍鶏)は、どちらもニワトリの一種だし、時おり混同しそうになる。調べてみると、それもなるほどという理由があって、それぞれの名前の由来が似ているのだ。

チャボ・・・チャンパ(ベトナム)から渡来したことから。
シャモ・・・シャム(タイ)から渡来したことから。

どちらも江戸時代の初期に東南アジアからやって来たということらしい。

  チャボと聞き違えもらわれて来しシャモはいま笹の子を押し分け歩む
            田井安曇『父、信濃』

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2011年03月03日

1994年の京都神無月歌会

時々、自分が入会する前の「塔」のバックナンバーをぱらぱら読んでいる。今よりずっと薄い冊子だが、誌面からは活気が伝わってきておもしろい。

1994年11月号の編集後記に、河野裕子さんがこんなことを書いている。
□京都の第二歌会(旧月歌会)への参加者がふえ、神無月歌会は、一から七時半までというハードな歌会になった。第一歌会の参加が多すぎた為、旧月歌会ができたのだが、こうなると、旧月歌会の運営方法をまた考えなければならないだろう。

なんと、6時間半も歌会をしていた計算になる。旧月歌会の進行に苦労するのは、今に始まったことではなかったのだ。それにしても、6時間半って、すごいエネルギーである。みんな大丈夫だったんだろうか。

翌月号に掲載されている「十月京都神無月歌会記」(塩崎緑)を見ると
出席者二十八名。五十六首すべてを批評し終えると、なんと午後七時をまわっていた。皆さんが最後まで参加できるよう時間内に終了した方が良いだろう。司会担当としては、次回から進行に工夫しなくっちゃ。

と書いてある。この頃は一人2首でやっていたのだ。おそらく夕飯の支度などのために、途中で家に帰らなくてはいけない人が、けっこう出たのだろう。歌会は時間内に終わることがもちろん大切であるが、一方でこんなはちゃめちゃなエネルギーを羨ましく思ったりもする。
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2011年03月02日

小高賢歌集 『長夜集』

第八歌集。438首。

老いや死に関する歌が多いが、あまり深刻な感じは受けない。精神的にも肉体的にもまだまだ余裕があるようで、むしろのんびりとした印象の歌集となっている。退職後の時間の流れ方というのは、やはり現役の頃とは大きく違っているようだ。
師走坂下りゆく先に灯りあり通夜式場のはなやぎもるる
ランドセル背負い少女はリコーダー吹きつつ唱歌を家まで運ぶ
手をつなぎ信号を待つ両国の日光翁月光媼
水でっぽうにいくたび死にし子の夏をとおく眺めるようにいう妻
水仙に妻は水やる成績の挙がらぬ子等を励ますごとく
骨につきあれこれ語る数人は燻製を噛む骨上げの間に
現役を退(ひ)いていながら役職の順につづきぬ焼香の列
遠からず世を去る背のあとにつき焼香をまつ三列に待つ
青年とあらそうことに倦みはじめ明治後期の詩文にあそぶ
微笑みという懲役に仏壇の父はまだまだ堪えねばならぬ

2010年9月20日、柊書房、2700円。
posted by 松村正直 at 18:36| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年03月01日

岡本幸緒歌集 『十月桜』

「塔」所属の歌人の第一歌集。440首。

毎月の「塔」の誌面で作品はずっと読んでいたが、こうして一冊の歌集にまとまると、フォーカスを合わせるように作者像が立ち現れてくるのを感じた。病気の歌やふるさとの歌に印象的なものが多い。
海に降る雪の最期を見届けず小さなトンネルいくつも続く
少しずつ不安持ち寄り病院の待合室はふくらんでゆく
秋は空を見上げる季節 約束は守らなくてもいいと思えり
いつまでも馴れない靴を選ぶとき跪(ひざまず)かれて恥ずかしくなる
秋の葉の原の駅から日の暮れる里の駅までまどろむ七分
へんてこな形に雪の溶け残る線路沿いの日向を歩く
咲くまではここがどこだか分からない分からぬままにつぼみふくらむ
心という形に池はつくられて池のめぐりを鴉も歩く
夜遅く宿に入りてもう見えぬ海を見るため窓辺に寄りぬ
一晩をかけて冷えたるような掌が朝の目覚めのかたわらにあり

4月2日(日)に東京で批評会が行われることになっており、私もパネリストの一人として参加する。他のメンバーは中川佐和子さん、佐藤弓生さん、内山晶太さん、徳重龍弥さん。はたしてどんな批評会になるか、楽しみである。

2010年8月4日、青磁社、2500円。
posted by 松村正直 at 00:40| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする