2010年12月30日

二人ゐて何にさびしき(その2)

もう一つ、鑑賞を引く。
わたしの好きな、若々しい相聞歌である。二人で一緒にいることは幸せなことであるに違いないのに、二人が一緒に居る故にいっそう寂しさが感じられる時がある。理由はわからない。どこか湖の奥にカイツブリが鳴いていると不意に呟く恋人にも、同じ思いは去来していたのだろう。 /永田和宏『京都うた紀行』(2010年)

さて、高安のこの歌を初めて読んだ時、すぐに思い浮かんだのがドイツ語の「Zweisamkeit」という単語であった。「Einsamkeit」が「孤独、一人ぼっちの寂しさ」を意味するのに対して、「Zweisamkeit」は「二人でいることの寂しさ」を意味する言葉。永田の鑑賞文にある「二人が一緒に居る故にいっそう寂しさが感じられる」というのに相当する。ドイツ語にはこんな言い方があるのかと、学生時代に印象に残った言葉だった。おそらく高安の意識にも、この語があったのではないかという気がする。

これについては、既に水沢遙子による指摘がある。
一九三六年の作品である。これらは、リルケの詩人としてのあり方に愛情と信頼をよせ、受けた影響をみずからの作品に生かした堀辰雄の世界を思い起こさせる。(…)「二人ゐて何にさびしき」は「Zweisamkeit ツヴァイザムカイト 差向いの羞しさ」(短編「晩夏」にある)ではないだろうか。 /水沢遙子『高安国世ノート』(2005)

この中で水沢の挙げている堀辰雄の小説『晩夏』も引いておこう。思い立って妻と二人で旅に出た作者が、夏の終わりの野尻湖を訪れる話である。湖畔の外国人向けのホテルに宿泊した二人は、ある日、湖の反対側まで歩いて出かけた。

 湖の水がずっと向うまで引いているのをいい事に、私達は渚づたいに宿の方へ帰って往った。
 葭がところどころに群生している外には、私達の邪魔になるようなものは何者もなかった。一箇処、岸の崩れたところがあって、其処に生えていた水楢の若木が根こそぎ湖水へ横倒しにされながら、いまだに青い葉を簇(むら)がらせていた。私達はその木を避けるために、殆ど水とすれすれのところを歩かなければならなかった。が、その時にでさえ、湖の水は私達の足もとで波ひとつ立てず、何のにおいさえもさせなかった。それでいて、湖全体が何処か奥深いところで呼吸(いき)づいているらしいのが、何か異様に感ぜられた。
「Zweisamkeit!……」そんな独逸語が本当に何年かぶりで私の口を衝(つ)いて出た。――孤独の淋しさ(アインザアムカイト)とはちがう、が殆どそれと同種の、いわば差し向いの淋しさ(ツワイザアムカイト)と云ったようなもの、そんなものだってこの人生にはあろうじゃあないか?
「そうだろう、ねえ、お前……」私は口の中でそんな事をつぶやくように言ってみた。
「何あに?」と、ひょっとしたら妻が私に追いついて訊き返しはしないかしらと思った。しかし妻にはそれが聞えよう筈もなく、私の少しあとから黙ってついて来るだけだった。

『晩夏』は昭和15年の作品で高安の歌の4年後のものであるが、シチュエーションがよく似ているように思う。二人の感性には共通するものがあったのだろう。堀辰雄が野尻湖を訪れたのは昭和14年のことだが、その4年後、昭和18年に高安も家族でこの野尻湖を訪れている。(これについては、「高安国世の手紙11」(「塔」2009年11月号)で既に触れた)

最後にもう一度、高安の歌を一首前の歌とならべて引いておこう。
青海苔の生(お)ひ付く岸を踏みゆきて黙(もだ)居(を)るときに恋(こ)ほしきものを
二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひ出づるはや

posted by 松村正直 at 01:18| Comment(2) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月29日

二人ゐて何にさびしき(その1)

 池本一郎の第五歌集『草立』(2008年)に

  二人いて何に寂しきと歌にあり海さわだてて去る夏の雨

という一首がある。この歌は、高安国世の

  二人ゐて何にさびしき湖(うみ)の奥にかいつぶり鳴くと言ひ出づるはや

を踏まえたものだ。第一歌集『Vorfruhling』に収められた高安初期の代表的な相聞歌である。

 高安の歌は「秋から冬へ」という一連に入っており、舞台は湖。それに対して、池本の歌の舞台は海であり、季節は夏となっている。夏の激しい雨が降って過ぎた海を見ながら、高安の歌や高安国世という人間を思い返しているのであろう。

 さて、この高安の歌は二句切れとなっており、「二人ゐて何にさびしき」と詠まれている。この歌については、既に多くの方が鑑賞を書いており、今さら付け加えることはほとんどない。いくつか引いておこう。

(…)「二人ゐて何にさびしき」は、疑問でも、反語でもないだろう。また、この「さびしさ」は、なにか具体的な要因をもったさびしさでは、もちろんない。(…)充実しきった時間の中にいながら、しかもなお、そこに影をおとす、さびしさ、あるいはせつなさ。それは、すでに相聞という場をはなれて、青春という一回性の〈時間〉そのものでもあるはずだ。 /永田和宏「高安国世秀歌鑑賞(三)」(「塔」1985年4月号)

(…)逢いたかったひととの、喜びに満ちた時間であるはずなのになぜこんなにさびしいのかと作者はひそかに自らの心に問うていただろう。(…)「二人ゐて何にさびしき」という問いかけは、彼自身の内面に向けられ、君に向けられ、存在の根源にあるおおきなさびしさに行きつく。(…)こんなにも寂しい魂がひっそりと寄り添うことの愛しさを、作者はまるごと抱き取るのである。 /小林幸子「高安国世入門 秀歌六〇首鑑賞」(「塔」2004年4月号)

(…)私はこの「さびしさ」は行為などによっては満たされることのないものであり、そのことを作者は行為を知る前にすでに知ってしまっていたのではないか。少くとも、そうした予感が、氏にこの歌を作らせたのではないか、というひそかな感じをぬぐいきれないでいる。 /黒住嘉輝『高安国世秀歌鑑賞』(2005年)

 三者の解釈・鑑賞は、ほぼ重なっていると言えるように思う。

posted by 松村正直 at 00:34| Comment(0) | 高安国世 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月28日

旧かなの魅力?

 「旧かなの魅力」という言い方を、短歌の世界ではしばしば耳にする。10月にも北上市の詩歌文学館で「詩歌のかな遣い―〈旧かな〉の魅力」と題するシンポジウムが開かれたようだ。

 このシンポジウムで永田さんは、旧かなを使うことで一首の滞空時間が長くなるという趣旨のことを述べている。それを旧かなの魅力として挙げているのだと思うのだが、私はあまり賛成しない。

 こうした発言の中でよく聞くのが、旧かなは実際の発音と表記との間に違いがあるので、それが頭の中で一瞬の時間の滞留を生むという主張だ。つまり、新かなで「言う」と書かれていれば、読み手はそのまま「言う」と理解するが、旧かなで「言ふ」と書かれていると、一度頭の中で「言う」に直してから理解するので、そこにわずかな時間が生まれるというものである。

 これは、なるほど、もっともらしく思える論である。確かに旧かなの歌を読む時には、新かなの歌に比べて少し余計に時間がかかる。しかし、それは本当に「発音」と「表記」の差から来ているものなのだろうか?

 例えば、私たちは、「私は」と書くべきところを発音通り「私わ」と書いてあったら、どう感じるだろうか。子どもの文章などよく見かける表記だが、非常に違和感を持つだろう。そして、私たちはやはり頭の中で「私は」に直して理解するだろう。つまり、そうした変換が必要となるのは「発音」と「表記」の差によるのではない。頭の中にある「仮名遣い」と文字に書かれた「仮名遣い」との差によるのである。

 そもそも仮名遣いというのは社会的に決められたルール(=規範)なのであって、旧かなにしろ新かなにしろ、それ自体に何か魅力があるというようなものではない。旧かなに魅力があるように感じるのは、新かな教育を受けた人間の感じ方であって、旧かな教育を受けた人間は別に旧かなに魅力など感じないだろう。考えてみれば当り前の話である。

 つまり、「旧かなの魅力」ということが言われ始めたのは、戦後、新かな教育が進んでからのことなのであり、普段と違う仮名遣いに対する違和感を「魅力」と呼んでいるに過ぎないのだ。それが本当に魅力と呼び得るものならば、「私わ」という仮名遣いも同じように魅力ということになるだろう。

 最後に、念のために書いておきたいのだが、私は旧かなを使うことや旧かな遣い自体に反対しているわけではない。また、旧かなと新かなのどちらが正しいかという話をしているのでもない。私が反対しているのは、「旧かなの魅力」という言い方を安易に用いることに対してである。短歌を始めたばかりの人が「やっぱり旧かなの方が魅力的よね」などと言っているのを聞くと、何とも複雑な気持ちになるのだ。新かなでダメな歌が旧かなにした途端に良くなるなどということがあるはずもないのだから。
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2010年12月27日

「杉浦明平の世界」

田原市博物館発行の『杉浦明平の世界 「みんぺーさん」の記憶と魅力」という図録がある。杉浦の故郷の博物館で今年の夏に行われた企画展のもの。

杉浦明平は現在、短歌の世界では忘れられかけている存在であるが、一高在学中に「アララギ」に入会して土屋文明に師事、戦後の「アララギ」や「未来」などで大きな役割を果たした人物である。

この図録を見ると、杉浦の交友関係の幅広さとその業績の大きさに驚かざるを得ない。杉浦は手紙類をすべて捨てずに残していたそうで、厖大な量の手紙が杉浦家には残されているとのこと。現在その一部が田原博物館により分類・整理されつつある。

高安国世が杉浦に宛てた手紙がないかと同博物館に問い合わせたのをきっかけに、この図録も送っていただいた次第。残念ながら高安の手紙は、未整理の手紙の中に埋もれている状況らしい。いつかそれらが整理される日を待ちたいと思う。

それにしても、こうした企画展を行い図録を刊行するには大変な尽力があったことだろう。非常に充実した内容の図録である。田原博物館と学芸員の皆さんに深く感謝したい。

posted by 松村正直 at 08:50| Comment(0) | メモ | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月25日

「短歌人」2011年1月号

「短歌人」の1月号が届く。

この号から編集人が小池光さんから藤原龍一郎さんに交代したことを知って、かなり驚いた。編集室雁信に小池さんは「体調を崩してしまった」と記している。

  わが妻のどこにもあらぬこれの世をただよふごとく自転車を漕ぐ / 小池光
  わがこころちりぢりになりてありしかばわがからだぼろぼろになりて寄り添ふ

作品5首も胸に沁みるものであった。

もう一つ驚いたこと。
2011年度の評論・エッセイ賞募集の案内が誌面に載っているのだが、その課題が「河野裕子の残したもの」なのである。こうして河野裕子という歌人が、結社を超えて広く語られていくのは嬉しいことだ。


posted by 松村正直 at 21:20| Comment(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月24日

映画「酔いがさめたら、うちに帰ろう。」

京都シネマにて。
原作・鴨志田穣、出演・浅野忠信、永作博美ほか、監督・東陽一。

アルコール依存症の主人公が漫画家の元妻などの支えを受けながら、依存症を克服して家族のもとに帰るまでの物語。クリスマスイブに見るにはちょっと重い内容で、いろいろと身につまされるものがあった。アルコール病棟での日々の生活が細部に至るまでリアルに描かれている。

浅野忠信は「PiCNiC」(1996)の頃から、その俳優としての存在感に注目してきた。ただ、この人は演技がうまいのかどうか、どうもよくわからない。演技くさくない演技をしているようでもあり、素のままのようでもあって、何とも不思議な感じだ。

posted by 松村正直 at 22:36| Comment(0) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月23日

中村裕『俳句観賞450番勝負』


時々、俳句のアンソロジーなどを読む。本当は句集を丸ごと読むのがいいのだろうが、なかなかそこまでいかない。それでも、俳句を読むのは楽しい。

この本は「家」「山」「芸術」「身体」「都市」など30のテーマ別に、各15句、合計450の俳句を取り上げて、それぞれ半ページの解説を付けている。好きなものを10句引く。
しんしんと肺碧きまで海のたび   篠原鳳作
永き日のにはとり柵を越えにけり  芝不器男
石段のはじめは地べた秋祭     三橋敏雄
春ひとり槍投げて槍に歩み寄る  能村登四郎
おそるべき君らの乳房夏来る    西東三鬼
大寒や見舞に行けば死んでをり  高浜虚子
ところてん煙のごとく沈みをり    日野草城
しぐるゝや駅に西口東口       安住敦
満月をよぎるセスナ機明るからむ 大高芭瑠子
戦争が廊下の奥に立つてゐた   渡邊白泉

最近は何でも高安国世に関連付けて考える癖が付いていて、石田波郷や渡邊白泉が高安と同じ大正2年生まれなのだと覚えたりする。二人とも高安よりだいぶ早く、昭和44年に亡くなっている。

作者に関する年譜的な事実は作品の鑑賞と切り離すべきだと考える人もいるが、僕はあまりこだわらない。例えば「太陽に襁褓(むつき)かかげて我家とす」という篠原鳳作の句は、これだけでも十分に印象的な作品だ。赤ん坊が生まれて、貧しくとも(?)前向きに生きていこうとする意志の強さが感じられる。

ただ、鳳作がこの句を発表した年に30歳にならずに急逝し、この赤子も翌年に夭折したことを解説によって知ると、句の印象はさらに強くなる。それが良いことなのかどうかはわからない。ただ、僕はその事実を否定することはできない。
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2010年12月22日

かわのさとこの詩(その4)

詩集『日常の鏡』(1976年)の中から一篇。
引用は「愛媛詩人会議詩誌」36号より。

  台所

働く女はうつむいて
だんらんに背をむけて日常を洗う。
ちゃわん。はし。皿。
食べのこしのやさいといっしょに
男たちの腕もこっそり一本もぎとって
ビニール袋に入れしらんふりしている。
男たちは腕が一本足りないことに気付かず
ギロンに夢中だ。とびちるコトバ。
だから、足もいらないでしょうとつぶやいて
ついでに足も一本もいでしまう。
男たちはときどきふりむいて
女の背をのぞいてみるが
うつむいて働きつづける背に安心して
またまたギロンに夢中だ。
女が“家事”という忙しさの口実の陰で
舌だしているのにも気づかずに。
台所。なめくじや野菜の切れっぱしと共に
女がいつまでもそこに在るとは限らない。
ふしぎな微笑をもらして
女は 包丁を 研ぐ。

かわのさとこさんの詩の紹介は、ひとまずここまで。
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2010年12月21日

かわのさとこの詩(その3)

(「戸外診療」つづき)

―保母をやっていた?私が……
とぎれとぎれの私の記憶には
疲れやあせりやいらだちのなかで
それに対峙するよりいくぢなくくずおれ
逃げてきてしまったという思いに
目をそむけたい心が動くのだ。
―保母をやっていた
と言い切れる何が私にあったろう
体はそこにあっても私は居なかった。
私はつねに何かに追いたてられ
何かを追いかけながら追われていた。
聞こえぬはずのものが聞こえたし
手はおむつをかえ、
ほ乳びんを握り本のページを繰るのに
心はつねにその声におびえていた。
体中耳になり目になり舌になり
長い夜を猫のように息つめてくらした
あのころの私は何だったのだろう。
―負けよう、そしたら楽になる
そのいくじなさの中で
私は眠りを得た、と思った。
けれどその眠りの中では
あらゆる現実もゆめだったのではないか
永遠にゆめであれ!と希うのはやさしい
けれどどこかでめざめようという
意志が働くとき私は私の秩序を失う。
その不安のやじろべえの
揺らぎのなかで
―かって保母であった
ということは
今、目の前の保母の背に
自らの過去を重ねあわせると
その増幅を多くするが
うしろめたさをあえて抱いて
記憶の底をのぞいてみる。

―じゃあ、このへんで。
と背後からE先生の声がした。
短かかったが長いようにも感じられた時間。
―君にここに勤めて貰って
 作業治療が出来ればいいけどねえ
 ここの院長はちょっとコチコチやから……
ふりむかぬ姿勢のまま歩く医師が
つきはじくように笑った。
二晩つづきの夜勤あけという医師の
白衣のすそのしわに
昨夜の疲れがそのまま残っていた。
病棟の入口で始めて振りかえったE先生が
―戸外診療、どうだった?
と言ってちらりと私の表情をみたので
私は口をすこしゆがめて笑った。

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2010年12月20日

かわのさとこの詩(その2)

詩集『窓―病棟抄より』(1975年)の中から一篇。
引用は「かわのさとこ追悼集 梨の花」(1987年)より。

  戸外診療

夜勤明けの担当医のE先生と
午后の病庭を歩く。
―今日は戸外診療や
といって連れられて出た戸外。
入院以来始めて受ける初春の風が
セーターを通して
ぴしぴし肌を打ってゆく。
青草の出揃ったあの丘を越え
糸杉で囲まれたあの棟は
外来用の診療棟だ。
―あそこへ行くのだろうか。
と思っていると
駐車場、プールのある広場をぬけ
診療棟とは別の木造へと
医師は進んでゆく。
やがて作業棟の奥の一角に
ちいさなピンクの日差しが見えた。
―○○保育園
と書かれた木札があり
その下の小さな扉をE先生は押した。
―君をここに連れてこようと思ってね
と言われたここは病院付設保育所だった。
キャンデー色の靴ばこに
子ども達の小さな靴が並んでいる
私には懐しいはずの風景だった。
―今、お昼寝の時間なんですよ、
と顔出した保母が私を見た。
―僕の患者で保母をやってた人なんだ
 ちょっと見せてやってくれる
E先生はその保母に言った。
よくスチームの利いた部屋には
小さなゆで卵たちが汗ばんで眠っていた。
甘ずっぱいミルクの匂い
メリーゴーランドにおむつカバー
陽に光るほ乳ビン、ガラガラ……
私もかってあの中に居たと
思ってみるが
なれなれしい懐しさに身を任かせるには
私の中にかすかな抗いがあった。
(つづく)

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2010年12月19日

かわのさとこの詩(その1)

かわのさとこ(河野里子)さんの詩をいくつか紹介したい。
河野里子さんについては、「短歌往来」1月号に書いた「亡きひとのこゑ」という文章をお読みいただければと思う。

   日記

二月十八日―洗濯をする
  物干場を星会場(せいかいじょう)と呼ぼう。

  暗闇を白いけむりの雲がすうっと
  流れてゆく。
  何だか星たちが順ぐりに
  洗われてゆくようだ。
  さっぱりとした星は、
  うれしそうに
  ぞくぞく体をふるわせている。
  きょうは、星たちの心が
  自然と分ってくるような日だ。

(略)
 
三月九日―春
  こわれた小さな赤い傘が
  カーネーションに見える日
  川の水は濁っていて流れない。

  バターのやわらかくなったことや、
  紅茶椀のレモンの車輪が、
  ゆるゆる まわるのをみつめていると、
  やっぱり春は来ているのだと思う。

(略)

四月十八日―まよい
  このごろまた、
  まよいが
  まぬけな青だいしょうのように
  よたよたしはじめた。

(略)

小野十三郎編『大阪文学学校詩集』(1968年)より。
次のような作者紹介が載っている。

 河野里子(かわのさとこ)
*’66年10月「新文学」22号に発表。自由で新鮮な眼をもつ。第2回文学集会ではフジ・三太郎の遠視の思想をもちだし、そのゲリラ的発想で並居る猛者達を仰天させた。京都の女子大の学生だったが、退学し、好きな保母になるため勉強中。野菊の風情あり。大阪文学協会会員。  
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2010年12月18日

川野里子歌集『王者の道』

山姥は携帯ストラップとなりてきらありきらあり刃物向けくる
蟇蛙かんがへて跳びかんがへて跳ばぬことありこの世の春を
夫のシャツ子のシャツ異なる匂ひもち仕方なさげに重なりあへり
背中にひとり湿布貼るすべ湿布ひろげ狙ひさだめて寝ころぶと言ふ
  青森県野辺地
マンバウの刺身ふぶきの街に食み茫々と吾にはじまる吹雪
お大事に、と老女らわかれゆきしのち安達医院に日だまり残る
日本兵の遺品は木の根に巌の間にさびしい場所を選びて宿る
こんな人ゐたつけと思ふクラス写真その人にしんと見られつつ閉づ
遺書書きて死ぬとふ作法なぜ守るひらがな多きこころ遺して
くらがりに蕨のやうに祈る人祈りは美しとほく見るとき

第4歌集。引いた歌は日常詠が多くなったが、歌集全体としてはタイトルにも見られるように、もっと大きなものを詠おうとしている。日常の出来事を日常の出来事として捉えるのではなく、歴史や物語や神話といったものへつなげていこうとする志向が強い。

母や息子、妹などを詠んだ歌に生彩があり、特にふるさと竹田市にひとりで暮らす母を詠んだ歌に印象的なものが多かった。また、その土地その土地の持っている歴史や固有の力というものを歌から強く感じた。

全体的にやや理知的過ぎる感じはあり、もう少し作者のコントロールの弱い歌がまじっていてもいいかもしれないなと思う。

2010年8月26日、角川書店、2571円。

posted by 松村正直 at 10:39| Comment(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月17日

時評と論争

 「アークレポート」3号の「ゼロ年代短歌私史」(柳澤美晴)の中で、2007年のところに「松村正直と佐佐木幸綱」の論争のことが取り上げられている。あれからもう4年近い歳月が経ったのかと、個人的には感慨深い。

 興味のある方のために、資料的なことを整理しておこう。直接関係のあるものは、以下の4点である。

○佐佐木幸綱・来嶋靖生・間ルリ「作品季評」(「短歌研究」2007年1月号)
○松村正直 歌壇時評「歌を読む姿勢」(「短歌」2007年3月号)
○佐佐木幸綱「批評と礼節…三月号歌壇時評『歌を読む姿勢』を読んで」(「短歌」2007年
  4月号)
○松村正直「『批評と礼節』に答える―佐佐木幸綱氏へ」(「短歌」2007年5月号)

 また、この論争について触れた時評・発言としては、次のようなものがある。これ以外にもネットなどでいくつかの意見を読んだが、結局後まで残るのは紙媒体のものということになる。

○大辻隆弘「非抑圧的対話状況」(「青磁社週刊時評」2007年3月26日『対峙と対話』収録)
○吉川宏志「ジャンルの危機―言論を封じないために」(「青磁社週刊時評」2007年4月2日
  『対峙と対話』収録)
○米口實 短歌時評「批評という行為」(「眩」76号 2007年5月)
○菊池裕 異論・正論「批評と論争」(「開放区」第79号 2007年6月)
○田村広志 時評「短歌の財産」(「歌壇」2007年6月号)
○谷村はるか 時評「届け先はもっと遠くだ」(「短歌人」2007年6月号)
○小林文子 歌壇時評「ある論争―姿勢と『嘘』と礼節と」(「林間」2007年7月号)
○田島邦彦 今月の視点「批評用語の問題」(短歌往来)2007年8月号)
○武藤雅治 視点・論点「『嘘』の行方」(「開放区」第80号 2007年10月)
○篠弘 歌壇への提言「読み込みの功罪」(「角川短歌年鑑」2008年1月増刊号)

 既に過去のものとなった論争について、今さら何も言うことはない。論争を通じて得たものも失ったものもたくさんあったが、それは当然、私自身が引き受けるべきことである。ただ一つだけ残念なのは、あれ以来、「時評」と名の付く原稿依頼が一件も来なくなってしまったことだ。

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2010年12月16日

飛高隆夫・野山嘉正編『展望 現代の詩歌』


明治書院の『展望 現代の詩歌』(飛高隆夫・野山嘉正編)というシリーズがある。戦後から現在にかけて活躍した詩人・歌人・俳人を対象に、作者の経歴や活動、作品の鑑賞、作風の変化などを記したもの。全11巻のうち、第6〜8巻の三冊が短歌となっており、全部で54名の歌人が取り上げられている。

時々、調べものをする時に参考にしたりするのだが、第8巻の「岡井隆」についての内容があまりにひどいので、驚いてしまった。執筆者は吉村睦人氏。とにかく最初から最後まで岡井に対する批判を書き連ねているのである。

吉村はまず昭和27年の「アララギ」土屋文明選歌欄に掲載された初期の岡井作品が歌集に入っていないことに不満を述べ、その後「岡井隆には、その出発の発端から私には疑問を抱かざるを得ないことになる」「その後の彼の変節ぶりには、戸惑うばかりでなく、文学者のあり方として、理解に苦しまざるを得ないのであった」「短歌の本質から離れた岡井隆を私は見るばかりで、そういう作者にも早さしたる興味も関心も持てない」「このようにして、無理に歌を作り出す歌人と岡井隆はなっていっている」などと、書きたい放題だ。

岡井隆に対する評価は人それぞれであっていいと思うし、私も別に岡井ファンなわけでも何でもない。吉村が自分の評論集などに書いているのであれば、私も何とも思わない。ただ、このシリーズのような鑑賞・解説書にあっては、できるだけ客観的な記述を志す必要があるのではないだろうか。もちろん、百パーセント客観中立の立場などあり得ないわけだが、少なくともそれを目指す気持ちは持つべきであろう。

さらに困るのは、吉村が岡井の初期作品を評価するに当って、「これらは土屋文明が確信をもって選び出した作品なのである」「それは土屋文明も認めたものだというところが重要と思われる」などと、土屋文明のお墨付きを振りかざすところである。自分が良いと思ったのなら、そう書けば十分だろう。土屋文明が認めたから良いといったような論理はまったくナンセンスでしかない。こういう人たちが、結局は文明を祀り上げて権威化してしまったのだろう。何とも残念なことである。

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2010年12月15日

「アークレポート」3号

同人誌「アークレポート」3号を読んでいる。北海道の若手歌人が作る超結社「アークの会」の会報だ。メンバーは阿部久美、北辻千展、佐野書恵、樋口智子、真狩浪子、柳澤美晴、山田航。(「やなぎ」の正しい字が環境依存文字なので「柳」で代用してます)

見出しの付け方や字体などに工夫があり、読む気をそそる誌面になっている。全60ページにわたって目配りが行き届いていて、同人誌としてはかなりハイレベルであろう。ところどころ誤字に訂正の紙が貼ってあるのも、その手作業の労力などが思われて好ましく感じる。

メンバーの30首、15首の連作、歌会記、書評などのほかに「ゼロ年代を問い直す」という特集が組まれていて、これが非常に充実している。「ゼロ年代の自然の歌二十五首」や「ゼロ年代の第一歌集」などの選があり、また柳澤さんが「ゼロ年代短歌私史」という文章を書いている。これは2000年から2009年までの短歌界で起こった出来事を一年ごとにまとめたもので、この十年の短歌史が柳沢さんの目を通してよく見えてくる。

ちょうど先月京都でも「ゼロ年代を振り返る」というシンポジウムがあったところ。これからの短歌のあり方を考えるためにも、この十年の流れを整理しておくことは大切なことだろう。
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2010年12月14日

結社というもの

高安国世や土屋文明に関する文章を書いていて、しばしば参照している資料に、以下のようなものがある。

・『土屋文明論考』(1976年、短歌新聞社)
・『復刻「ぎしぎし會々報」』(1981年)
・『「未来」と現代短歌』(1991年、六法出版社)

これら3点には共通する点がある。それは、いずれも「未来短歌会」が企画・刊行したものだということだ。

『土屋文明論考』は「未来」の25周年を記念して出版されたもの。土屋文明論が18編載っているほか、資料として「土屋文明年譜」「土屋文明著作一覧」「土屋文明研究文献一覧」「アララギ年表」「土屋文明全歌集初二句索引」が付いている。

この資料部分がとにかく凄い。これだけ詳細で精密なものは、もう二度とできないのではないかと思われるほどだ。野場鑛太郎・吉田漱の両氏が中心になって作成したものである。

『復刻「ぎしぎし會々報」』は戦後に出た同人誌「ぎしぎし」全36巻を手作業で復元・コピーしたもの。限定200部の発行。井上美地・田井安曇・吉田漱といった方々の労作である。戦後の短歌史に名前を残す「ぎしぎし」を今日読むことができるのは、こうした方々の努力のお蔭だ。

『「未来」と現代短歌』は副題に「アルバムと年表による40年史」とあるように、未来の40周年を記念して出版されたもの。250枚にも及ぶ写真と詳細な年表とによって、時代の移り変わりが非常によくわかるように工夫されている。吉田漱・小野寺幸男・今西久穂といった方々が中心になって刊行されたもの。

こうした出版物を作るのには、おそらく気の遠くなるような時間と労力を要したことだろう。しかも、その割には報われることの少ない作業であったに違いない。けれども、そうした手間を惜しまずにかけているからこそ、今もなお非常に資料的な価値の高いものとして、残っているのだと思う。

結社というものの存在意義は、何よりもこういうところにあるのではないかと、この頃しきりに考えるのである。
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2010年12月13日

資料や歌を集めるということ

評論集『短歌は記憶する』や「高安国世の手紙」の連載について話をしていると、「よく、あんなに資料を集めたねえ」とか「どうやって、あんなにたくさんの引用歌を見つけたの?」といったことを言われることが多い。そのたびに複雑な気持ちになる。

一つには、資料収集や引用歌の発見について感心されてもなあ・・・という思いがある。集めた資料や歌をもとにして、そこから何を見つけ、何を論じられるかが大切なのであって、資料や引用歌の収集自体に価値があるわけではない。

地図のところで書いた話にも共通することだが、例えば将来、短歌関係の資料(歌集、歌書、全集等)が大量にデータ化されたならば、「仁丹」の歌など検索一つで何十首でも見つけられるようになるだろう。そうなれば、私が本の中で引いた二十三首の「仁丹」の歌を見つけるのに要した何か月もの時間など、何の意味もなくなってしまう。だから、そのこと自体には何の価値もない。

でも・・・本当にそうなのだろうか?

本当に「何の価値もない」と思っているのなら、そうしたことに時間や労力を使えるはずもない。自分では資料の収集や引用歌の発見、それ自体に十分に価値があると思っているからこそ、やっているのである。

ただ、それは自分の胸の中の話であって、人に言うべき話ではない。だから人と話をする時には、「何の価値もない」と思うように心がけている。そして、そのたびに「複雑な気持ち」になるのである。
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2010年12月11日

山岡光治『地図の科学』


国土地理院などで長年にわたって地図作りをしてきた著者が、地図の歴史や種類、作り方や読み方などを解説した本。イラストや写真、図版なども豊富に載っていて、とてもわかりやすい。

地図を作成するための測量と言うと、すぐに新田次郎『劒岳 点の記』の世界をイメージしてしまうのだが、測量機器の進歩やGPS測量・航空レーザー測量などの登場によって、今では随分と様変わりしているようだ。それに伴って、昔ながらの職人技が必要とされる場面も次第に少なくなっているらしい。

ただ、やはりそうした最新の技術や機械を支える根っこの部分に、何十年にもわたって続けられてきた手作業の積み重ねや地図作りに対する情熱といったものが存在していることを忘れてはならないのだろう。これは、どの世界でも同じことのように思う。

地図というのは単なる印刷された紙であるが、著者のような人が見れば、一枚の紙からその土地の歴史や地形の様子、人々の営みまでもが、まざまざと立ち上がってくるのである。新聞の株価の欄が、ただの数字の羅列にしか見えない人と経済動向のなまなましい反映として見える人との違いのようなものだろう。

それは、短歌を読むことの楽しさとも、どこか似ているように思うのである。

2010年10月25日、サイエンスアイ新書、952円。


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2010年12月10日

内灘砂丘(その4)

高安国世はなぜ内灘砂丘を訪れたのか。

直接の理由は、新聞に載せる歌の取材ということであった。しかし、それだけでは十分な答にはならないだろう。池本は先のエッセイの最後を次のように結んでいる。
生死をかけた過激な闘争は戦後史の1ページ。金沢の歌人など幾人かの同行者は、何を感受したのか。なぜ高安国世は内灘を選んだのだろう。

内灘へ同行した池本にさえ、「なぜ」に対する十分な答は出ていないことがわかる。40年経っても解けない謎として、それは池本の胸に残ったままなのである。

黒住が「作者は何のためにここを訪れたのだろう」と書き、池本が「なぜ高安国世は内灘を選んだのだろう」と書くのには、わけがある。それは、高安と内灘という取り合わせが意外なものであったからだ。高安に似つかわしい場所であれば、そもそもこんな疑問は出てこない。

高安は政治的な行動とは一貫して距離を取ってきた人である。共産党員であった野間宏をはじめ、高安の友人には政治的な立場を明確にして、実際に活動に移す人も多かった。しかし、高安自身はそうではない。その高安が、なぜ、あの「内灘」に、というわけだ。

もちろん、当の高安が亡くなっている以上、その理由は永遠にわからない。あれこれ調べてみたところで、すべては推測の域を出ない。それでもなお、私はそうした疑問の一つ一つにできるだけ迫って、少しでも謎を解き明かしたいと考えている。たとえ40年前の出来事であっても、その時の高安の心境に寄り添うことくらいはできると思う。

内灘のことは来年2月号の「高安国世の手紙」で、少し触れてみたい。
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2010年12月09日

内灘砂丘(その3)

「内灘砂丘」が5首で区切られている理由については、わかっている。これは新聞に発表された作品だからだ。初出は毎日新聞の昭和46年10月2日の朝刊。ちなみに高安はこの年の3月から毎日歌壇の選者となっている。

新聞掲載の経緯については、「短歌」2010年4月号掲載の池本一郎のエッセイに詳しい。「想い出の場所、想い出の歌」というコーナーで、池本は「星条旗のなびきいしはここか造成地過ぎ来てコンクリートの廃墟ある窪」の一首を引いて、次のように記している。
 歌集『朝から朝』(昭47)後半の歌。昭和46年秋、金沢市に近い内灘砂丘に取材した連作5首の1首。毎日新聞紙上の「師弟競詠」のシリーズに登載された。(…)現地ルポの連作は国世には珍しい。
 じつは私も同行し、やはり5首をもって紙上に師と並んで掲載された。(…)当日は曇り日で、日本海へ日本第3位の長大な砂丘が湾曲して対きあっていた。
 星条旗も試射場もなくて、コンクリートの弾庫が砂上に黒い廃墟をさらしていた。

当時の新聞を見ると、「内灘砂丘」というタイトル文字と砂丘の大きな写真があり、コンクリート製のかまぼこ型の弾薬庫が写っている。顔写真入りで掲載された師弟競詠は高安国世と池本一郎の各5首。当時、高安58歳、池本32歳。高安の連作は紙上では「灰色の海」という題が付けられている。なぜか旧かな遣いとなっているほかは「内灘砂丘」5首と同じ内容だ。

一方の池本の作品は次の通り。
  廃庫
路上灯曇れる昼をともしつつ一段高く海がひらける
遅れ来てまたも史実はとどろかず試射場跡の丘雲に入る
暗き口さらして低き弾庫あり廃墟はつねに砂呼びよせる
思想にはかかわりもなき暗がりよ無頼のごとく廃庫にはいる
ひしひしと押し寄せている小宇宙海すれすれに靴さげて立つ

こちらも題を「内灘」と変えて、そのままの内容で『池本一郎歌集』(1990年)に収められている。
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2010年12月08日

内灘砂丘(その2)

思い出話がしたかったのではなかった。
高安国世の「内灘砂丘」の話である。

黒住嘉輝は『高安国世秀歌鑑賞』の中で、「灰色の海に向いて突堤に背走をくり返す一つトラック」の一首を取り上げて、次のように書いている。

 「内灘砂丘」五首の最後の歌だが、つぎに「同じく」という題で四首が続いている珍しい構成である。若い人にはもうわからないだろうが、日本本土におけるかなり早い時期の、米軍基地反対闘争に「内灘闘争」というのがあった。この歌も単なる情景描写ではなく、闘争を回顧したものであるのは、(…)明らかであろう。石川県の日本海に面した地域である。
 それにしても作者は何のためにここを訪れたのだろう。

黒住が指摘している通り、歌集『朝から朝』では、「内灘砂丘」5首に続いて「同じく」という題の4首が載っている。
   同じく
砂にねてまなぶた透す陽の光港建設の鼓動伝わる
くもり日の砂あたたかく身に添いてけじめもあらぬ海と空あり
海越えてわたりくるもの動くともあらぬ六基のクレーンの音
水平線曇りに隠れかすか微か砂に音する雨は到りぬ

この4首も、やはり内灘砂丘を詠んだものである。内容的にが「内灘砂丘」5首とひとつながりのものと言っていい。砂丘で行われている工事の様子が描かれており、「一つトラック」の歌の続きとして読むことができる。

「内灘砂丘」の4首目に「崩れしも興りゆくものも美しからず」という言葉があるが、このうち「崩れし(もの)」が米軍の試射場の跡地を詠んだ歌であり、「興りしもの」がこれらの工事の歌という図式になるのだろう。

では、なぜ内灘砂丘の歌は「内灘砂丘」5首と「同じく」4首に分れているのか。
そして、これも黒住が言うように、高安は何のために内灘砂丘を訪れたのだろうか。

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2010年12月07日

内灘砂丘(その1)

内灘砂丘に行ったことがある。

金沢に住み始めてすぐの頃だったので、たぶん1994年の秋であろう。金沢から北陸鉄道というローカル線に乗って20分ほどで終点の内灘駅に着く。そこから駅前の道を海の方に向って歩く。すぐそこに海があるのかと思っていたら、少し距離があった。20分ほど歩いただろうか、林の間をしばらく歩いた後で、急に視界が開けて海が見えた。

季節外れのさびしい海だった。広々とした砂浜の遠くの方に数人の人影が見えているだけ。しばらく海を眺めてから砂浜を歩いた。コンクリートの古い構造物が残っていて、それは内灘闘争に関係するものらしかった。
   内灘砂丘
砂止めして小松植うるを見し砂丘ただアカシアの樹海ひろがる
朽葉の上砂の流れし跡見ゆるアカシア樹林また雨とならん
星条旗のなびきいしはここか造成地過ぎ来てコンクリートの廃墟ある窪
十五年の推移はありて崩れしも興りゆくものも美しからず
灰色の海に向いて突堤に背走をくり返す一つトラック

高安国世の歌である。第9歌集『朝から朝へ』(1972年)に収められたもの。(この一連については後でゆっくり考えたい)

砂浜を長いこと歩き回って、それから、もうやることがなかった。元の道をまた引き返す。駅まで続く道の途中で、喫茶店のようなところに寄って昼飯を食べたように思う。それからまた北陸鉄道に乗って、金沢に帰った。

金沢駅からアパートまで帰る途中で、そのころ自分が働いていた本屋に寄って、五木寛之の『内灘夫人』を買った。その日はアパートの部屋でその本を読んだのだが、これも何だかさびしい本であった。

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2010年12月06日

冨田恭彦『柏木達彦の哲学革命講義』


柏木達彦シリーズの3冊目。
古代ギリシャの原子論に始まってヨーロッパ近代の原子仮説をベースにした認識論、さらに認識論的転回から言語論的転回、ノミナリズムといった問題が取り上げられる。

哲学的な内容の面白さももちろんだが、それ以外の部分も楽しめる。例えば、対話相手の女子学生咲村紫苑が登場するたびに、著者はそのファッションを細かく描写する。
ドアを開けて入ってきた紫苑は、なんと、淡いピンクを基調とした花の丸文の本振袖。同系色の帯をふくら雀に結び、緋色の帯締めと萌黄の帯揚げで、鮮やかにまとめている。

グレーのタートルカットソーにオフホワイトのロングセーターを重ね着し、ヒップハガーのグレージュサンテンプリーツスカートに黒のサイド柄レギンス。足もとはアイボリーのニットブーツで、全体をモノトーン系にまとめている。

暖かそうなオフホワイトのダウンコートを脱ぐと、濃いピンクのロング丈裏毛チュニックに、インディゴのスキニー。マゼンタを基調にしたチェックのボアブーツが、軽快な雰囲気を演出している。

コートを脱いだ紫苑は、赤を基調にしたアーガイル柄ニットワンピースの下に、黒のチュールスカートをエレガントに重ね着し、黒のタイツと黒のニーハイブーツ。ハートの大きなイヤリングがきらりと光り、なんだか全身からオーラが出ている。

ファッション関係にはまったく詳しくないので、正直言うとこういう文章を読んでも「???」なのだが、こういう所へのこだわりが楽しい。

2010年3月25日、角川ソフィア文庫、781円。
posted by 松村正直 at 07:03| Comment(1) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年12月01日

冨田恭彦『科学哲学者柏木達彦のプラトン講義』


大学教授の柏木達彦と学生の咲村紫苑の対話を軸に、科学哲学の話をわかりやすく説くシリーズの文庫2作目。

取り上げられている話題は「伝統的指示論」「指示の因果説」「観察の理論負荷性」「アトランティスの物語理解」「根源的観念論」と、何やら難しそうなものばかりなのだが、京都の大学という舞台設定や対話の面白さもあって、楽しく読み進めることができる。

野矢茂樹『無限論の教室』や北村薫の円紫さんシリーズと雰囲気が似ているかもしれない。

2009年12月25日、角川ソフィア文庫、743円。

posted by 松村正直 at 23:02| Comment(4) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする