2010年06月28日

山口謠司『日本語の奇跡』

日本語関連本。

副題は「〈アイウエオ〉と〈いろは〉の発明」。五十音図といろは歌の成り立ちを軸に、漢字伝来から明治時代までの日本語の歴史をたどる本。空海、明覚、藤原定家、本居宣長、大槻文彦といった人物が取り上げられている。

新書サイズで通史を描いているので、内容的にはそれほど深くはないが、日本語の歴史の全体像を把握するには良いと思う。
八つの母音を持つ万葉時代の音韻体系は、平安時代初期に突如として消失する。どうして消失したのか……。これについては、いくつかの研究がなされているが、実は『古事記』『日本書紀』『万葉集』を編纂したのが帰化人だったからではないかと筆者は考えるのである。

上代特殊仮名遣いに関するこのような説に、特に興味をそそられた。専門家の間では、どういう議論になっているのだろうか。

全体を通じて気になったのが、日本語礼賛の口調。「日本人の語学的なセンスのレベルの高さ」「世界広しといえども、日本しかないのである」「このような仕組みの言語は、日本語以外にはないだろう」など、どれも日本人にしか通用しない論理だと思う。

2007年12月20日、新潮新書、680円。


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2010年06月26日

清原日出夫の生年

清原日出夫のことを調べていて、気になったことがある。清原の生年についてである。

『現代歌人文庫 清原日出夫歌集』(国文社・1980年)、『現代短歌全集 第十五巻』(筑摩書房・1981年)、『現代短歌大辞典』(三省堂・2000年)など、短歌関係の本ではすべて1936(昭和11)年1月1日生まれとなっている。

しかし、どうもこれが違うらしい。

2004年6月6日に清原が亡くなった時の訃報を見ると、すべて1937年生まれの67歳となっているのだ。清原は長野県の企業局長や朝日放送顧問も務めた人物なので、その訃報が間違っているとも思えない。

「開放区」に野一色容子さんが連載している清原日出夫の評伝の中でも
なお、彼の生年は一九三七年(昭和一二年)が正しい。現代歌人文庫19『清原日出夫歌集』の裏表紙の年譜の生年は間違っている。

と、連載の初回で明確に指摘している。

では、なぜこんなズレが生じたのだろうか。真っ先に思い浮かんだのは友人でありライバルであった坂田博義との関係である。坂田は1937年1月22日生まれ。つまり坂田と清原は本当は同じ年の生まれということになる。それを嫌って1936年生まれを自称していたのではないか、と想像したのである。

しかし、どうもそれも違うらしい。

清原の第一歌集『流氷の季』のあとがきを見ると
ここにまとめた作品は、一九五八年から六三年、私の二十一歳から二十六歳までの期間に作られたものである。

と書かれている。計算すれば1937年生まれということになり、別にサバを読んではいない。

結局、国文社の『清原日出夫歌集』の誤記が、それ以降の本にも引き継がれてしまったということなのだろう。それにしても、不思議な気がする。


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2010年06月25日

「短歌現代」7月号

歌壇時評に佐藤通雅さんが書いている「信仰と文学について」という文章が良かった。岩井謙一さんの川野里子『幻想の重量―葛原妙子の戦後短歌』批判をめぐって、ここしばらくいくつかの議論があったが、それらを踏まえてのものである。

議論の中身を偏りなく公平に捉え、しかもそれを自分の問題として深く考えた上で、実りのある議論へと導こうとする内容で、非常にすぐれた文章だと思った。

沖縄を痛めつけたる軍人の名を冠されてキャンプ・シュワブ在り
英雄といへどシュワブは二十四にて戦死したりき基地に名を残し
              栗木京子「英雄の名」

普天間基地の移設先として名前が挙がっている沖縄のキャンプ・シュワブ。この名前は沖縄戦で24歳で戦死したアルバート・E・シュワブ一等兵にちなんで付けられたもの。彼はこの戦いの功績により名誉勲章を受賞している。
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2010年06月24日

再版

小高賢編著『現代の歌人140』(新書館)が再版になったそうで、その分の印税が送られてきた。もちろん大した額ではないが、売れているというのはやはり嬉しい。京都のジュンク堂書店でも平積みになっていた。

A5判、297ページ。近藤芳美、塚本邦雄、岡井隆、馬場あき子、高野公彦、永田和宏、河野裕子、穂村弘、俵万智、松村正直ほか140名の歌人の自選30首+歌人解説(小高賢)が収録されている。定価2000円。

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2010年06月23日

山内道雄『離島発 生き残るための10の戦略』

面積33.5平方キロ、人口約2500人。島根県の沖合約60キロにある隠岐の「中ノ島」。町村合併をせずに単独町制での生き残りを目指す海士(あま)町の町長の書いた本である。

「あえて単独での道を選ぶ」「誰もができないと思ったことをやる」「答は常に現場にある」など10のポイントを挙げて、過疎と財政危機に面した海士町の再生の軌跡をたどっていく。「島をまるごとブランド化」戦略により商品化された「さざえカレー」や「隠岐牛」、3年間で145人を数えるUターン・Iターンの定住者など、着々と成果も挙がっているようだ。

「若者」「馬鹿者」「よそ者」がいれば町は動く、という話が面白い。これは各地で行われている町起しの成功・失敗を分ける大きなポイントになるだろう。

2007年6月10日、NHK出版生活人新書、700円。
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藤原浩『宮沢賢治とサハリン』


旧植民地関連本。

大正12年7月31日〜8月11日にかけて、宮沢賢治は樺太へ旅をした。行先は栄浜(現スタロドゥプスコエ)。前年に亡くなった妹トシの鎮魂の旅であった。
わたくしが樺太のひとのない海岸を
ひとり歩いたり疲れて睡つたりしてゐるとき
とし子はあの青いところのはてにゐて
なにをしてゐるのかわからない
        『オホーツク挽歌』

今回、この本を読んで初めて知ったことがある。それは北海道の稚内と樺太の大泊(現コルサコフ)とを結ぶ稚泊航路の就航がこの年の5月1日であったこと。これにより本土と樺太は鉄道で結ばれることになったのだ。

そして、その終点が栄浜なのである。つまり、栄浜は当時日本の最北端の駅であったわけだ。宮沢賢治が栄浜に降り立ったことにも時代的な必然があったということになる。

一度、行ってみたいな。

2009年6月20日、東洋書店ユーラシア・ブックレット137 600円。


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2010年06月21日

斉木実・米屋浩二『ニッポン鉄道遺産』

副題に「列車に栓抜きがあった頃」とある。栓抜きと言っても、持ち運びできるものではない。ボックスシートの窓際からせり出したテーブルに付いていた金具のような栓抜きのことである。そういうものがあったことを、すっかり忘れていた。何とも懐かしい。

この本には、栓抜きをはじめとして、今ではあまり見かけなくなった鉄道関係の設備や風景・文化といったものが36点取り上げられている。「タブレット」「硬券切符」「駅弁の立ち売り」といった定番のものから、「赤帽」「(駅のホームの)洗面所」「鉄道林」といったユニークなものまであって、楽しい。

こうした本を読むと、鉄道というシステムが近代という歴史と非常に深く結び付いていたということがよくわかる。そういう意味では国鉄が分割民営化された1987年あたりが、一つの時代の終わりであったのだろう。

2009年6月15日、交通新聞社新書、800円。
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2010年06月17日

森井マスミ『不可解な殺意』

2004年に現代短歌評論賞を受賞した著者の初めての評論集。副題は「短歌定型という可能性」。印象に残った部分を引いておく。
作中の「私」=作者といった短歌的な制約は、現代の文学的な状況の中にあっては逆に、表現が超越性や規範性を回復していくための、手がかりとなるものである。

だが、同じく男歌と女歌の一元化を、問題にしていた折口は、「文学化」しないことの中に、短歌の活路を見出していた。

ただしポストモダンが、モダンの一部でしかないことが示しているように、近代短歌を否定する前衛短歌が、それをのり越えることはできない。

現代短歌を和歌〜近代短歌〜前衛短歌という縦軸と小説・演劇など他ジャンルを含めた同時代の横軸によって分析していく手つきは鮮やかだ。しかし、あるべき短歌の姿を求めるあまり、現状の短歌に対する見方がやや一面的であったり、図式的に過ぎる点もあるように感じた。

2008年12月15日 ながらみ書房 2600円。
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2010年06月16日

再び検閲について

「塔」6月号に「高安国世の手紙18―『Vorfruhling』と検閲」と題して、検閲について少し書いた。その中でGHQの検閲による削除の例として
武装せるアメリカ兵に護られし天皇陛下の御車進む
            /蘆田定文

という一首を挙げて「護られし」という言葉が問題になったのだろうと書いた。しかし、どうもそれだけではなかったらしい。

先日読んだ楠見朋彦『塚本邦雄の青春』に
『木槿』十二月号と一月号(1947年〜48年)で、天皇巡幸にふれられた歌は、占領軍からの削除の指示を受けている。

とあり、8首の歌が引かれている。つまり、天皇巡幸に関する歌は軒並み削除されているようなのだ。天皇が再び国民の信望を集めるようになることを危惧したのだろうか。

さらにもう一つ。
最初に引いた蘆田定文は尼崎の人であり、この歌は1947年6月の関西方面への巡行を詠んだ歌なのだが、この関西巡行は他の巡行と少し違っていたらしい。西川秀和編著『昭和天皇の全国巡行(第一巻全国編)』から写真のキャプションを引用する。
アメリカ軍兵士に護衛される昭和天皇
 兵庫県 神戸市 昭和22年6月11日
関西巡行ではアメリカ軍による警戒が厳重を極めた。御行列が道路を通行する際、戦車や装甲車で前後を警護したり、銃剣を構えた部隊が警戒にあたったりした。今までの巡行とは違ってものものしい雰囲気であった。対敵諜報部に何らかの情報が入ったからだという。

「何らかの情報」というのはどんな情報だったのか気になるが、写真にも、帽子をあげて挨拶をする昭和天皇の横に、銃剣を構えたアメリカ兵が3人写っている。
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2010年06月14日

楠見朋彦『塚本邦雄の青春』

塚本邦雄が第一歌集『水葬物語』(1951)を刊行するまでの道のりを丁寧にたどった一冊。2006年から2007年にかけて京都新聞(滋賀版)に50回にわたって連載された文章が元になっている。

この本の最大の特徴は「木槿」「青樫」「オレンヂ」などの短歌雑誌に発表された初期の塚本作品を丹念に掘り起こしていることだろう。前衛短歌が生まれるまでの歌風の変遷が実に鮮やかに見えてくる。

塚本の『水葬物語』が何もないところから突然生まれたのではなく、長い助走を経て、さまざまな人々との交流や影響の中から誕生したという事実。これは考えてみれば当り前のことなのだが、これまで塚本の革新性ばかりが伝説のように語られるなかで、あまり見えていなかった部分だろう。

引用されている歌の中では第22歌集『汨羅變』の
炎天ひややかにしづまりつ終(つひ)の日はかならず紐育にも❢爆

という一首が目を引いた。9・11の予言という意味ではなく、この歌人もそうした暗い鬱屈を抱えていたのだという意味において。

生年が2年早まった年譜の問題をはじめ、戦前の塚本の経歴には依然として謎の部分が残されている。塚本が隠したがったものは一体何だったのか。非常に気になる。

2009年2月23日、ウェッジ文庫、840円。

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2010年06月11日

「Esそらみみ」第19号

同人誌「Es」が届く。「Es」は年に2回発行される同人誌で、メンバーは天草季紅・江田浩司・大津仁昭・加藤英彦・崔龍源・桜井健司・谷村はるか・松野志保・山田消児の十名。いずれも作品だけでなく評論も書く個性派揃いが集まっている。

「Es」は不思議な同人誌である。毎号「間氷期」とか「ナシマ」とか変った副題が付いている。もちろんそれだけではなく、誌面から書き手たちのエネルギーが強く感じられる。

今号はまず表紙裏の「そらみみ」についての谷村さんのエッセイが良かった。そして山田消児の評論「作者と作品をめぐる二つの考察―映画『妻の貌』を観て」が印象に残った。

この評論の中に「慟哭」という詩についての考察があるのだが、これは吉川宏志『風景と実感』、山田消児『短歌が人を騙すとき』と続く話の流れを受けてのものである。

ネットでいろいろ調べてみたところ、伝言ヒロシマ2002という新聞記事があった。作品と作者、そして読み手の関係というのは実に不思議なものだと思う。
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2010年06月10日

川口良・角田史幸『「国語」という呪縛』

日本語関連本。

副題は「国語から日本語、そして○○語へ」。タイトルや副題にある通り、国語=日本語=日本人=日本国=日本文化といった図式を検証することに焦点を当てた一冊。最近はやりの「美しい日本語」論や藤原正彦『祖国とは国語』などへの批判の書でもある。

著者の主張には半ば同意するのだが、イデオロギー臭の強さに辟易させられる。「国語」という思想が差別や排除といった暴力と結び付いてきたのは確かなことだと思うが、そうした考えをすべて「思い込み」「欠陥」「虚妄」「迷妄」と切り捨てて、「今こそ、十分な反省がなされなければいけません」といった文言を繰り返すのはいかがなものか。

「国語」という呪縛から抜け出ようとするあまり、別の呪縛に囚われているような印象を受ける。バランスの良い記述をすることの難しさを考えさせられた。

2010年2月1日、吉川弘文館、1700円。
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2010年06月08日

品田悦一『万葉集の発明』

日本語関連本。

読まなければと思いつつ未読だった本をようやく読む。「国民国家と文化装置としての古典」という副題が示す通り、『万葉集』が近代国民国家成立の過程で新たな古典として「発見」された経緯やその後の推移を丹念にたどる内容。やはり必読の書である。

1890(明治23)年以降、「国民」意識を高めるための「国詩」が必要とされるようになり、そうした時代の要請の中で『万葉集』が選ばれて、日本人のナショナル・アイデンティティーを支える文化装置として働くようになっていく。その足跡を近世の国学の影響や万葉集のテキストの変遷、民謡との関わりなど、さまざまな記述を比較検討しつつ明らかにしている。

もちろん、万葉集を国民歌集へと高めていった運動の中には、子規・左千夫・節・赤彦・茂吉・文明といった根岸短歌会からアララギへの流れに連なる人々も加わっている。特に赤彦が万葉集を教育論の中へ取り込んだことの果たした役割は大きかったようだ。

2001年2月15日、新曜社、3200円。
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2010年06月05日

「現代詩手帖」6月号

「短詩型新時代」という特集が組まれている。座談会に岡井隆・穂村弘が出ているほか、野口あや子・松木秀・望月裕二郎・雪舟えまといった方々が文章を書いている。

「ゼロ年代の短歌100選」(黒瀬珂瀾編)「ゼロ年代の俳句100選」(高柳克弘編)というアンソロジーも載っている。この黒瀬・高柳の二名+詩人の城戸朱理が行った鼎談「いま短詩型であること」が面白かった。
つまりつくる技術、いかに俳句を仕立てるのかというレトリックを教える場というよりも、作品を読む技術を伝えていく場所として結社という場がなくてはならないだろうと私は思います

という高柳さんの発言は短歌にも当てはまることだろう。結社の問題以外にも、私性や口語やインターネットをめぐる様々なやり取りがあり、興味深い。

「ゼロ年代の短歌100選」はこの十年の間に話題になった作品がバランスよく取り上げられている。「新旧の価値観が渾然一体となっている場から選び、それぞれの価値観を並列させていった」と述べる黒瀬さんのスタンスがよく表れた選びだと思う。

「俳句100選」の方から印象に残ったものを少し。
亡き人の香水使ふたびに減る  岩田由美
水遊びする子に先生から手紙  田中裕明
帰りたし子猫のやうに咥へられ 照井 翠
実(じつ)のあるカツサンドなり冬の雲 小川軽舟
ガラス戸の遠き夜火事に触れにけり 村上鞆彦

2010年6月1日、思潮社、1400円

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2010年06月03日

安島太佳由『歩いて見た太平洋戦争の島々』

旧植民地関連本。

太平洋戦争の跡をたどって、硫黄島・ガダルカナル島、ラバウル、ニューギニア東部、ビアク島、トラック諸島、マリアナ諸島、パラオ諸島、フィリピンといった島々を訪れた旅の記録。作者はもともとはカメラマンであり、『日本戦跡』『要塞列島』などの写真集を出している。この本にも、トーチカや高射砲、戦車や戦闘機の残骸などの写真が数多く収められている。

サイパン・テニアン・パラオ諸島・トラック諸島などは、昭和16年から17年にかけて中島敦が訪れた場所である。中島敦は海の色の美しさを何度も手紙に書いていた。それからわずか2年ほどで、これらの島々で激しい戦闘が起こり、多くの死傷者を出すことになったのだ。

太平洋の島々における激戦の多くは、飛行場をめぐるものであった。航空兵力が戦争の行方を決めるようになってから、飛行場の価値は飛躍的に増したのである。

特に太平洋地域においては、飛行機の航続距離を考えて飛行場を確保していかなければならなかった。戦争の初期は日本軍が、そして後にはアメリカ軍が、島から島へ飛行場を造りながら、勢力を拡大していったのである。

2010年4月20日、岩波ジュニア新書、940円。



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2010年06月02日

栗木京子歌集『しらまゆみ』

2006年から2010年までの作品440首を収めた第7歌集。歌作りのお手本となるような巧い歌が多い。

寒き夜の宝石店に飾らるる黒き首黒き手のうつくしきかな
つらさうに生き物たちの歩みをり雨の動物園、否(いな)新宿駅前
むき出しの右腕ぬッと湯に入るるごとく乗り出しダライ・ラマ語る
昼寝より覚むれば世界黄ばみをりカナカナの声ひとすぢ垂れて
燃えさかる炎は不意に掌(て)となりてつかみぬ焚火の中の手紙を
グラスへと氷入れたり氷には音符がひとつづつ隠れゐて
ダンボール箱にて軍法会議などありしや月夜のみかんの甘し
錦糸卵ふはりと寿司に散らしたり老後を託すべき娘なく
巨いなる鍵盤の上ゆくごとし月夜の並木道をあゆめば
昨夜(よべ)書きしこころの重さ測られてをり旅先の郵便局に

いずれの歌も比喩や上句・下句の取り合わせなど鮮やかで印象に残る。こうした特徴は栗木さんの持ち味であるが、もう少し何でもない歌があってもいいように思う。

歌集には「ここは戦場でなし」「戦争はあらぬに」「軍装の天皇在らぬ国」「「捧げ銃(つつ)」の体験あらぬ若者」「徴兵のなき世」など、戦争をイメージさせることによって、平和な日常を問い直す作品が数多くある。自分自身も日本の社会もこのままで良いのだろうかといった、作者の漠然とした不安や焦りのようなものを強く感じた。

2010年6月3日、本阿弥書店、2500円。
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2010年06月01日

安田敏朗『「国語」の近代史』

日本語関連本。
副題は「帝国日本と国語学者たち」。

明治から戦後にかけての「国語」の移り変わりや国家の言語政策に、国語学者たちがどのように関わってきたのかを描いた本。登場するのは上田万年・保科孝一・金田一京助・新村出・山田孝雄・時枝誠記など。

明治の近代国家樹立期に地域差や階層差をなくすために生み出された「国語」が、やがて植民地を含めた大東亜共栄圏の共通語という役割を担うようになっていく様子が明らかにされている。

また、表音仮名遣や漢字制限といった国語改革についても、敗戦後に急に巻き起った議論ではなく、明治以来の長い試行錯誤の繰り返しの末に行われたものであることが述べられている。

日本の近代の流れがコンパクトにまとめられており、「国語」の変遷が非常によくわかる。引用文献に関する目配りもいい。ただ、全体としてやや引用に頼る部分が多く、著者自身の言葉で語る部分が弱い印象も受けた。

2006年12月20日、中公新書、880円。


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