2010年05月30日

さらに検閲について

北原白秋『フレップ・トリップ』は、白秋が大正14年の夏に樺太を訪れた際の旅行記である(とても面白い)。以前、短歌の評論を書いた際に文章の一部を引用したことがあり、今回その引用の確認のために原文に当たったところ、古い文庫本と新しい文庫本とでは内容に違いがあることがわかった。

「イワンの家」というロシア人の家に天皇皇后の肖像が飾られていることを述べた部分。

(昭和15年、新潮文庫)
今上皇后両陛下の御尊像が並び立たせられた石版刷の軸が一本、まことにあり難さうに掛け垂らしてあつた。

(2007年、岩波文庫)
今上皇后両陛下に摂政宮と妃殿下の御尊像が並び立たせられた石版刷りの軸が一本、まことにありがたそうに掛け垂らしてあった、

一読してわかるように「摂政宮と妃殿下」の部分が古い文庫では見当たらない。大正14年の旅行記なので、この摂政宮とは昭和天皇のこと。昭和15年の発行という時期を考えると、何らかの検閲により削除された可能性もある。もちろん、単なる脱落かもしれないのだが。
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検閲について

『斎藤茂吉全集第一巻』の後記には歌集『つゆじも』について「本全集においては、第一刷発行当時の事情によつて削られた歌九首を復活せしめた」として、次のような歌を挙げている。

  日つぎの皇子国を見ますといでたたす筑紫の国の春もなかなり
  二十万の大御たからは真心の一つ心をたてまつるなり
  陸軍大将の大礼服をわれ等見つすべて尊しおほろかならず

『つゆじも』の発行は昭和21年8月なので、こうした歌がGHQの検閲により削除されただろうことは予測がつくのだが、はっきりとした証拠がなかった。

そこで、先日、メリーランド大学のプランゲ文庫から『つゆじも』のゲラの写真を取り寄せたところ、確かにこの九首に「delete」という書き込みがされ、赤線が引かれて削除されていた。『つゆじも』の九首の削除はGHQの検閲によるものであることが、確認できたのである。
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2010年05月26日

映画「パーマネント野ばら」

西原理恵子原作、菅野美穂主演。「MOVIX京都」にて。

海沿いの町にある小さな美容室「パーマネント野ばら」。離婚して一人娘とともに戻ってきた主人公を中心に、幼なじみや母親・店の常連客といった人々の織り成す悲喜こもごもの日常が描かれる。

圧倒的に女性が強い。登場する男性は、みんなダメな男ばかり。酒飲んだり、暴力振るったり、浮気したり、お金をせびったり、ギャンブルしたり・・・。

笑う場面もたくさんあるけれど、しんみりする場面も多い。自分の家族や友人や故郷のことを思い出したりした。生きるってことは強いことだなぁと、あらためて思う。
posted by 松村正直 at 18:26| Comment(0) | TrackBack(1) | 映画 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月25日

中島敦『南洋通信』

旧植民地関連の本。

1941年7月に南洋庁国語編集書記としてパラオに赴任した中島敦。彼が家族に宛てた手紙と南洋を舞台にした小説『南島譚』『環礁』をまとめたアンソロジー。当時の南洋群島の様子がとてもよくわかる。

一口に南洋群島と言っても広い。それは端的に日の出の時刻の違いとなって表れる。
パラオとヤルートとは東西千里も離れているんだから、同じ時計時間では無理なんだが、それを、みんな東京時間に統一したもんだから、おかしなことになる。(…)ヤルートへ行くと三時半頃には夜が明けちまうそうだ。

また、1941年11月21日の手紙には次のように書かれている。
何という船が、何日に出帆するというだけの事さえ、葉書に書いてもいけないし、電報に打ってもいけないんだ。全部秘密にしなければいけないんだ。まるで戦時状態だね。

実際にこの手紙から半月後の12月8日に太平洋戦争が始まるのである。

妻に宛てた手紙の文章はどれもいい。「僕によこす手紙は、やはり桓の名前にしろよ。(少しテレクサイからな)」とか「南洋群島の群の字を郡と間違えてはダメ。群だよ」とか、中島敦の素顔がのぞく部分がいっぱいある。また、幼い二人の息子のことを心配する文章は特に胸を打つ。中島敦が翌1942年に亡くなることを思うとなおさらである。川村湊編『中島敦 父から子への南洋だより』も読んでみようと思う。

この文庫本の困ったところは小説部分に誤植が非常に多いこと。例えば「ナポレオン」というわずか12ページの短編に、見つけただけで6か所の誤植がある。それも一目で誤植とわかるような、意味が通らないものばかり。

 ・「趣く新米の私」→「極く新米の私」
 ・「担えることにした」→「控えることにした」
 ・「某い警官」→「若い警官」
 ・「変い質さ」→「狡い賢さ」
 ・「線色の水」→「緑色の水」
 ・「其白い砂」→「真白い砂」

ちょっとひど過ぎる。

2001年9月25日、中公文庫、800円。
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映画「ヒロシマ・モナムール」

アラン・レネ監督、マルグリット・デュラス原作脚本、1959年の日仏合作映画。原題は「Hiroshima, mon amour」

「京都みなみ会館」で今週五日間だけの上映。前から見たいと思っていた映画を見ることができた。戦後の広島を舞台に、フランス人の女優と日本人の建築家が出逢う一日の物語。映画はホテルで抱き合う二人の「私はヒロシマを見たわ」「きみはヒロシマを見なかった、何も」という印象的な会話から始まる。当時の原爆資料館や平和公園、原爆ドームなどの映像もあり、印象に残った。

大口玲子さんの歌集『東北』に、この物語を元にした連作「ヒロシマ私の恋人」がある。

  真夏汗して人を抱き敷き立秋の向かうに燃ゆる都市の名を呼ぶ
  君を都市の名前で呼べば痩せて痩せて平凡な死を死ぬ朝の表情(かほ)

また、谷村はるかさんの歌集『ドームの骨の隙間の空に』の歌の中にも、この物語は響いているように思う。

  おまえはまだたった一人を愛し得たことさえないと広島は言う
  平和は愛の別名だから会う会いたいあの街にそれ以外思わない

映画の中の会話はすべてフランス語。岡田英次のフランス語は「ヒロシマ」と言っているが、エマニュエル・リヴァの方はH音のない「イロシマ」。それを聞いて次の歌を思い出した。

  「イロシマハ、ナツノキゴカ」と問ふサラに冬には詠まぬ我を恥ぢたり
                         小川真理子『母音梯形』

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2010年05月23日

岡井隆『鴎外・茂吉・杢太郎』

500ページを超す大著。明治末〜大正期にかけての森鴎外・木下杢太郎・斎藤茂吉の三人の足跡を作品や書簡などを通じて丁寧に描いている。前作『『赤光』の生誕』の時と同様に、話題があちこち飛んだり時間が前後したりと自在な書きぶりであるが、それが混乱の元にはならず、逆に重層的に時代の様相を浮かび上がらせているように感じる。

全体としては明治末〜大正期の文学者たちがどのように新しい詩や短歌の言葉を作り出していったのか、また医者であり文学者であった三人が二足のわらじの生活をどのように送ったのかといったことが大きなテーマになっている。しかし、読んでいて面白いのはディテールだ。そして、それはとても大事なことだと思う。

自分の関心がある部分では、例えば

○鴎外が「仮名遣意見」を私費で刊行して、文部省案を葬ったこと
○鴎外が「陸軍次官石本新六」と対立したこと
 (この石本新六は高安国世の次姉の夫・石本巳四雄の父に当たる)
○「祖母」を「おおはは」と読ませるのは、茂吉の『あらたま』が初めてであること

などが面白かった。

細かい話になるが、いくつか誤植があったので忘備のために書き留めておく。

○P424 「一九一一年」→「大正十一年」
○P444 「一九〇〇年生まれ」→「一八九〇年生まれ」
○P481 「重るる」→「垂るる」

岡井さんは既にこの続編に当る「森鴎外の『うた日記』」を「未来」に連載中である。すごいことだと思う。

2008年10月10日、書肆山田、4800円。

posted by 松村正直 at 10:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 歌集・歌書 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月22日

「短歌研究」6月号

特集「雨の歌をよむ」に文章+新作3首掲載。
そう言えば、「歌壇」6月号の特集も「短歌にみる雨の表情」だった。梅雨の時期ということか。

座談会「批評の言葉について」がおもしろい。参加者は坂井修一、大辻隆弘、斉藤斎藤、花山周子。四人それぞれの短歌観や時代への向き合い方などが、かなり率直に述べられている。内容的には賛成のところも反対のところもあるが、そういうふうに読者が意見を言いたくなるというのは、良い座談会であった証だろう。

僕は自分が50年前の歌を読んだり調べたりするのが好きなので、それと同じように50年後の人も今の歌を読んだり調べたりしてくれると思っている。歌というのは自然と「残る」ものではなくて、誰かが「残す」ものだし、あるいは「発掘」するものだろう。

 時刻表をひらけば春がレレレレレレレとわたしを通過してゆく 荻原裕幸
 あ・ま・や・ど・り 軒に水滴ならびゐて「あ」が落ち「ま」が落ち「や・ど・り」が残る 川野里子

荻原さんの歌の「レ」は時刻表の通過のマーク。横書きにすると時刻表らしくなくなってしまうな。
posted by 松村正直 at 10:36| Comment(0) | TrackBack(0) | 短歌誌 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月21日

木下杢太郎『新編百花譜百選』

詩人であり医者であった木下杢太郎(太田正雄)が晩年に描いた植物図譜。総計872点の『百花譜』の中から100点を選んで一冊にまとめたもの。前川誠郎編。

絵は横罫線の入った紙に色付きで描かれており、細密画のように丁寧な筆致。それぞれの植物の花や葉や枝の質感が巧みに捉えられていて、画家志望であった杢太郎の画力を感じさせる。

1枚目の「まんさく」が描かれたのが昭和18年3月10日。最後の「やまゆり」は昭和20年7月27日。余白には植物名や日付の他に簡単な日記も記されており、戦時中の杢太郎の生活がうかがわれる。

最後の一枚には「胃腸の痙攣疼痛なほ去らず(…)運勢たどたどし」という言葉がある。この年の10月、杢太郎は胃癌のために亡くなっている。

2007年1月16日、岩波文庫、1500円。
posted by 松村正直 at 17:45| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月20日

須田郡司『日本石巡礼』

2003年から2006年まで日本中の石を訪ねる旅をした作者の記録。全国各地の巨石や奇岩、不思議な石が豊富な写真とともに紹介されている。

巨石の中には神の依代や御神体として祀られているものも多い。神社などで注連縄を巻いた岩を見たことがある人も多いだろう。こうした石のことをイワクラ(磐座)と呼ぶ。

イワクラは全国至る所にある。わが家の近所にある大岩神社にも「大岩」「小岩」という二つの巨石が祀られている。「塔」発行所のある京都市岩倉という地名も、もちろんイワクラが元になっている。「石」「岩」「磐」などが名前に付く神社には、たいていイワクラがあると思っていい。

もっとも僕自身は最近はやりのパワースポットとか聖地巡礼とかには興味がない。ただ、大きな石には不思議と惹かれるものがある。それが原初的な信仰心だと言われれば、そうなのかもしれない。

作者は日本だけでなく世界中の石巡りもしていて、素敵な写真集も出している。一度、この人の「石の語りべ」(スライド&トーク)を聴きに行きたいと思う。

2008年10月23日、日本経済新聞出版社、1300円。

posted by 松村正直 at 17:17| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月19日

松原一枝『幻の大連』

旧植民地関連の本。

1916(大正6)年生まれの作者は1937(昭和12)年までを大連で過ごしている。小学校の遠足が旅順の日露戦跡めぐりであったこと、初めて内地(日本)に行った時に「道が狭い」「建物に色がない」「お年寄りがたくさんいる」といった感想を抱いたことなど、当時の人々の日常が描かれていて、新鮮であった。

歴史を学ぶには歴史書に載っているような政治や社会の大きな出来事だけでなく、人々の日常の暮らしの些細な部分にも目を向ける必要があることを強く感じた。

2008年3月20日、新潮新書、700円。
posted by 松村正直 at 00:50| Comment(0) | TrackBack(0) | | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2010年05月18日

松村由利子歌集『大女伝説』

松村由利子さんの第3歌集。タイトルは「おおおんな伝説」と読む。「短歌研究」の作品連載を中心に編んでいることもあって、連作単位で読む歌集という感じが強い。

連作は〈天体の月〉と〈女性の月経〉を描いた「月と女」、〈真珠〉と〈沖縄〉を描いた「真珠考」など、いくつかのイメージが重層的に展開される内容のものが多く、いずれも確かな構成力を感じさせる。

「歌によって何か物語を紡ぐことができれば」(あとがき)という作者の狙いは成功していると言えるだろう。やや理が勝ち過ぎていると思う部分もあるが、多様に展開していく物語の中から、「女性」「沖縄」「仕事」といった作者固有ののテーマが見えてくる。

羊皮紙の地図捲(めく)れゆくにっぽんの湿度のような迫害なりき
観賞用鯨飼いたしふたつ三つ丼鉢にあおく泳がせ
ああ何か油まみれになりたくてペンネ・アラビアータの山崩す
スカラベの観察記いと仔細にてファーブル夫人の孤独思えり
腑分けする最後の臓の豊けさをかつて暗黒大陸と呼び
月の支配を逃れる日やや近づかんジョギングシューズの軽きを選ぶ
初恋という知恵の輪のようなものあなたに見せぬ抽斗の底
ああわれの太郎は人に育てられ電話の声も野太くなりぬ
一心にミルクを注ぐ幸いよ永遠はその静けき角度
メロスを走らせセリヌンティウスを捕縛せし王の孤独を子らは知り得ず

2010年5月11日発行、短歌研究社、2500円。

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